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【本】リリー・フランキー「東京タワー」感想・レビュー・解説

「家族」というものを考える機会が、今の僕にはそもそもない。大学入学と同時に上京し、人暮らしをするようになったせいもあり、家族に触れることなく生活するようになったからかもしれないが、決してそのせいだけではないことを僕は知っている。


「家族」というものを考える時に僕の中で浮かぶものは、遠い世界で起こっている戦争について考える時のような、圧倒的な距離感である。


人によって、家族のあり方やその意味なんかは違うことだろう。支えあって生きている家族もあれば、反目しあったままの家族もあるだろう。そのあり方の絶対的な正しさの基準など知るよしもなく、誰もが手探りのままで家族を持ち、家庭を作ろうとする。押し付けられたり、当たり前のように存在するそれぞれの価値観が、うまくまとまればいいが、少なくとも僕の場合、そううまくいくことはなかった。


僕は、もう何年も両親と会っていない。声を聞いたこともほぼないだろう。携帯のメールで、極たまに連絡を取るぐらい、しかも事務的な用件ばかりである。そんな状態で、「家族」というものを意識することはほとんどない。
両親にとって、僕がどういう存在なのか、昔も今も知る由はないが、僕にとっての両親の位置付けは、大分昔から固定され、今でもほとんど変化することなく来ている。僕にとって両親というのは、常に手錠のような存在でしかなかった。


僕は正直言って、両親に怒られたり何かを強制させられたりしたことはない。至って真面目な面だけを両親に見せていたせいもあり、その中で両親の中での僕の印象は、よく出来た息子、というわかりやすい評価で固定されていたことだろうと思う。


しかし、僕はある時期を境に、緩やかにではあるが確実に両親を嫌悪するようになった。原因を一つに絞ることはできない。敢えて曖昧に、しかし大局的な表現をするなら、「価値観が合わなかった」とまあそういうことになるだろう。


特に母親とはまったくダメだった。僕は、表面上は母親といい関係を保ちながらも、その一方では常にその関係からの脱却を求めていた。草の根一本残らないようにして、母親との関係性を根こそぎ断ち切りたい、と常々そう考えていた。


いくつかのきっかけと、僕の不器用な訴えと、どうしようもなくなった現状にかこつけて、僕はようやく、ほぼその理想を得ることができた。長いこと夢見ていた状況だ。なんの不自由もない。僕は、今の状況に満足している。
母親の方としては、まったくそうではないだろう。それは充分にわかっているつもりだ。しかし僕は、自分のことをかなりひどい人間だと認識できている。だから、何の問題もない。

本作では、母親のことを「オカン」と呼んでいる。僕は母親のことを、昔は「オカア」と呼んでいた。今だったら、こうして他人に対しては「母親」と、本人に対しては「あのさ」ぐらいになるだろう。とてもではないが、「オカン」とも「オカア」とも呼べない。


もう僕には、そのことを悲しいと感じる神経すら残っていない。もうどこにも。


ただそれでも、母親が死んだとき僕は悲しむのだろうか?もしそうだとするなら、僕にとって母親というのは一体どんな存在だというのだろうか?考えたくないが、本作を読んで、ほんの少しだけ考えさせられた。


本作は、リリーフランキー本人を「ボク」として、そしてその母親と父親をそれぞれ「オカン」「オトン」として描いた、自伝と言っていい内容である。


その人生は、「波乱」という言葉では到底収まりきらないものがある。人の数だけ人生がある、とはいうけれども、リリーは数人分の人生を一気に背負ったような、そんな壮絶な人生を歩んできている。


もちろん、人生をそれぞれ比較することはできないけど、リリーよりも辛い人生を送ったという人だっているだろう。しかし、その人生を、ここまで文章に、しかも素晴らしい文章の中に収めることができる人はなかなかいないと思う。


ボクは九州で生まれた。オトンは何の仕事をしているのかよくわからない人で、時々暴れて帰ってきた。どんな事情があったのかは知らないが、ある時からオトンとオカンは別居するようになり、ボクは以後、オカンと一緒に過ごすことになる。副題の、「オカンとボクと、時々オトン」というのは、そういう背景があってのことだ。


ボクの様々な年代の様子が描かれる。九州での子供時代、高校からの一人暮らし、東京の大学へと行き、その学生時代とその卒業後の人生。そのどの時代にも、ボクはオカンを想い、オカンを見ている。


複雑な家庭環境や、決して裕福とは言えない経済状況。そんな中で、オカンの姿がとても眩しく描かれている。


どんな時でも明るく楽しく生きようとし、自分のことよりも常に息子のことを優先した。我慢強く、まさに九州の女という女性だが、最後の最後で病気にやられてしまう。まさに、オカンとボクの二人三脚とも言うべき二人の長い長い人生を、細かいエピソードをふんだんに盛り込み、またオカンへの感謝を常に描きながらも、淡々とした文章で綴る、リリー・フランキーの初の長編にして究極の自伝である。


本作を読む人は誰もがそうなのかもしれないが、僕は読みながら、自分の母親のことを考えていた。比較していたと言ってもいいかもしれない。


母親というのは、生まれた時から母親なわけではないし、万全の覚悟を持って母親になるわけでもない。不安に潰されそうになりながらも、期待に胸を膨らませるようにして、一人の女性から一人の母親になるその存在に、過剰な期待をするのは酷なのかもしれない。僕は実際に母親に甘えていただけで、過剰な期待ばかりを掛けすぎていたのかもしれない。


それでも、生まれてくる子供は母親を選ぶことはできない。母親にとっては残酷な物言いかもしれないけど、子供にとっては重大な問題だ。どの母親の息子として生まれてくるか。


僕は、自分の母親にものすごく失礼だとは思いながらも、このオカンが母親だったら、とそう思い続けながら本作を読んだ。「隣の芝は青く見える」という言葉もあるし、実際に本作中でボクが苦しんでいたようなことも味わうかもしれないけども、それでもこのオカンは、まさしく生まれた時から母親だったのではないか、とそんな気にさせてくれるような人なのだ。そこには、何かしら強い信念が感じられるし、信じてもいいと思わせる何かがどことなくある。実際どうなのか知らないけど、本作を読んでこう思った。男は、母親によって決まるのだろう、と。


オカンが、様々な事情から、東京へやってきてボクと一緒に住むようになった。オカンは、癌の摘出手術をしたばかりで、体調が万全とは言いがたかったが、それでも東京へやってきた。


東京タワーのある街へ。


本作冒頭にこんな文章がある。


「この話は、かつて、それを目指すために上京し、弾き飛ばされ故郷に戻っていったボクの父親と、同じようにやって来て、帰る場所を失くしてしまったボクと、そして、一度もそんな幻想を抱いたこともなかったのに東京に連れて来られて、戻ることも、帰ることもできず、東京タワーの麓で眠りについた、ボクの母親のちいさな話です。」


三者三様、それぞれに抱いた東京タワーへの想い。天に突き刺さる赤い橋のような東京タワーに導かれるようにしてやってきたオカンの生活は、羨ましいぐらいに楽しそうに思えた。誰からも愛され、家には始終誰かがいて、オカンはだれかれ構わず料理を振舞った。年齢を超えた付き合いの中で、仲間と呼ぶに相応しい関係を沢山持てたオカンの最期は、決して悪いものではなかったことだろう。


そう、オカンは癌で死んでしまう。


葬式にどれだけ来てくれるかで人の価値は決まる、というようなことを聞いたことがあるけど、それは確かにそうだろう。しかしそれ以上に、こうも思った。葬式の準備をどれだけ手伝い、かつ葬式をどれだけ盛り上げてくれる仲間がいるか。オカンは、本当にそうした人に恵まれた人生だった。東京という、まるで見知らぬ土地で出会った、誰もが一度はオカンの料理を食べたことがある仲間に囲まれて、オカンは静かに息を引き取った。


僕は最近、とても大切人を失って、失うまでその大切さに気付かなかったことに自分でも馬鹿だと思う。二度と会えないという関係ではないけど、失って初めてその存在感に気付くということはある。


だから本作の、オカンが死んだシーンには、多少ながら感情移入してしまった。普段小説を読んでも、登場人物に感情移入などしないような僕がである。いくつかのエピソードで泣きそうになったけど、葬式のシーンではもう少しで泣くところだった。


葬式を前にしてリリーに掛かって来た電話に、怒りを感じもした。その瞬間にリリーが味わった、それまでの自分を全否定したくなるような気持ちは、全てとはもちろん言わないが、少しはわかるような気がした。


本作は、ある一人の中年男が、自分の母親を想い描いた回想録とでもいうものであり、家族のあり方を考えさせるようなテーマで描かれた小説ではない。しかし、その実話に基づいて描かれたのだろう様々なエピソードを読むにつれて、「家族とはなんだろう?」という根元的な問い掛けをされているように感じる。もっと隅々まで穴が空くほどに読んで、自分の目から抜け落ちた大事な何かを必死で探さなくては。そんな気にさせる一冊である。


僕にとってリリー・フランキーというのは、バラエティ番組「ミラクルタイプ」に出てくるイメージでしかなかった。得体の知れない存在感と、謎めいたその風貌に、胡散臭い人間だという印象を拭えないでいたけど、本作を読んでその印象が大分変わった。相変わらず、何をしている人なのかはよくわからないけど、注目するに値する存在だ、と思い直している。


五月にある人は言った。


是非本作を読んでみてください、と。


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