【映画】「ポゼッサー」感想・レビュー・解説

精神が崩壊しそうな映画だった。

映画として面白かったのか、良かったのか、好きだったのかは、なんとも言えない。ただ、「特異な体験」という意味では非常に興味深いと言っていいだろう。他にも恐らく、精神に直接作用するような、感情ではなく脳を揺さぶるような映画はあるとは思うが、なかなか出来ない経験であることは確かだと思う。

理解できない恐怖、神経を切り裂くような映像、容赦のない殺害シーン。どれをとっても「平常」とは程遠いもので、「狂気」という単純な呼び方をするのも何か違うような気がする。

以前、麻耶雄嵩の『木製の王子』という作品を読んだことがある。ご存じない方に説明しておくと、麻耶雄嵩というのはミステリ作家の中でも相当にイカれた作品を書く、カルト的な人気を集める作家だ。そんなイカれた作品の中でも、『木製の王子』は相当にヤバかった。

読んだのが大分昔であるので内容をきちんとは覚えていないのと、あとは単純にネタバレはすべきではないだろうという観点から、何がどうヤバかったのか具体的に触れることはしないが、この作品では、「人間が人間としての意思を完全に喪失してこそ成立する状況」が描かれる。普通の作家が同じネタで小説を書いていたら、酷評の嵐だろう。「麻耶雄嵩が書いている」からこそ成立している(ように感じられる)異常な作品だ。

『ポゼッサー』にも、なんとなく近いものを感じた。登場人物すべてが「人間としての意思を完全に喪失している」のでなければ成立しないような設定・展開なのだ。

だから、「共感」などとは程遠い世界観だと断言していい。劇中の人物同士でさえ、恐らく、誰もが誰のことも理解しようとしていないし、そこに感情的な体温を感じさせることはない。ほんの僅か、そのような場面が垣間見えることもあるが、全体の中であまりに浮いているので、それすらも「違和感」としてしか処理できない。

ホラーやサスペンスなどとは違う。『ポゼッサー』にあるのは、ひたすらに「体温が失われた世界」であり、「そのことに誰も違和感を覚えていない世界」なのだ。おかしいと思っているのは、『ポゼッサー』の世界の外側にいる観客だけであり、『ポゼッサー』の内部では、「人間としての体温を喪失していること」は問題にならない。

スクリーンを隔てて、信じがたいほどの断絶があるのだ。

そして、そんな体温を失った世界で、これまた奇妙なことが行われている。「他人の脳と同期し、操ることができるシステム」が登場し、その技術と専門の工作員を擁するトレマトン社が「殺人依頼」を請け負うのだ。説明が難しいが、寄生生物みたいなイメージをしてもらえばいいだろう。菌類の中には、アリの脳内に寄生してアリを自在に操り、最終的に殺してしまうものがいる。似たようなことを人間相手にテクノロジーで行っている、というわけだ。

主人公は、ベテラン工作員のタシャ。彼女はこれまで幾度も暗殺を成功させてきたプロフェッショナルだ。このテクノロジーは、同期している「宿主」が死ぬことで「脱出」可能となる。つまり、「宿主」を操って遠隔殺人を行った後、自殺しなければならないのだ。

しかしタシャは、「最後に同期している宿主の頭を拳銃でぶち抜いて脱出する」ことができなくなっている。しかも、そのことを上司に報告しないのだ。「同期中に何かあった?」と聞かれても、「何の問題もない」と嘘をつく。

そしてそのことが、大きな問題となっていく……。

という話なのだが、はっきり言ってそんなストーリーどうでもよくなるぐらい、ベテラン工作員のタシャ、そしてタシャが同期した宿主であるコリン・テイトの言動が異常なのだ。後半に行けば行くほど、その異常さは増していく。もはや、本筋のストーリーラインがなんだったのかどうでもよくなるような展開で、正直、ストーリー的には上手く捉えきれなかった。特に、コリン(タシャ)が自分の頭をぶち抜けない、となってからの展開は、意味不明だった。

意味不明なんだけど、映像やら音楽やら、あとはそれまでで積み上げてきた強烈な違和感やらで、とにかく画面から目が離せなくなる。

真っ白い、何もない空間にたった1人、この映画だけが流れている。そんな状況に置かれたらちょっと気分が悪くなるかもしれないと思うような、「強烈な何か」に満ち溢れた作品だった。


この記事が参加している募集

映画感想文

サポートいただけると励みになります!