【映画】「夜空はいつでも最高密度の青色だ」感想・レビュー・解説

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街にはいつも答えがない。
答えではないものの周りをグルグルと回る回遊魚たちが、街の命そのものだ。
崩れそうな塔をみんなで無視するようにして、
解体を繰り返すいつかの夢を嬌声に紛れ込ませる。
クーデターが日常で、
瓦礫の山が地面だとしても、
この街ほどは壊れてはいない。
毎日の予感が死骸へと変換していき、
静かに降り積もった死骸に、野良犬から窒息していく。
薄くなっていく空気は月をますます綺麗に見せて、
そうやって人間を騙している。
楽しいと口にしていないと楽しさが反響しない空間が、
空き缶に残ったジュースのように腐敗していく。
意味が近い人間同士がくっつきあって、
あったはずの意味がバラバラになっていく。
そういう夜が、借り物の言葉の群れに埋もれないように、少しずつ濃くなっていく。
朝までに好きになれそうな誰かを探して、
ネームプレートがずり落ちるような関係に安堵して、
Google mapの赤いピンに消しゴムをかける。
あの人の顔から全力が消える瞬間を見て、
僕たちは夜の終わりを知る。
吐瀉物を避けて歩く人の流れは、
100年も続ければ地球の傷となって未来を目撃できる。
レールのないところを走る電車が、
きっと僕たちを目的地へと連れて行ってくれる。
さっき消したばかりの赤いピンのところまで。

美香は看護師として働いている。
人の生を支え、人の死を眺める。
裏手で煙草を吸いながら、プラスとマイナスの世界で美香はいつでもゼロのまま。
慎二は工事現場で働いている。
頭を使わない単純作業。
左目が見えず、世界を半分しか認識できない慎二は、喋り続けることで日常に留まる。
一瞬だけあった接点は、接点とも言えないような小さな点で、
それでも渋谷の街で、彼らは再び出会った。
ガールズバーで働く美香と、仕事仲間とガールズバーの客になった慎二。
何故か彼らは、それからも何度も遭遇する。
ある死をきっかけに寡黙になった慎二。
かつて存在した死の違和感を捨てられない美香。
二人は、遭遇ではない会い方を選択し、恋とも愛とも呼べないような時間を過ごす。
まだ愛していると言われた美香。
かつて愛していたと言われた慎二。
渋谷の街に、「頑張れ」の歌が響く。

詩を原作とした映画。
ところどころに、詩のナレーションが挟み込まれる。
詩を構成するのは言葉。
この映画を構成するのは情景。
物語ではないものに引っ張られていく。
渋谷の街を切り取る。
新宿の街を切り取る。
夜を切り取る。
工事現場を切り取る。
そうやって切り取ったものが組み合わされ、映画の形になっていく。
消えそうな繋がりが消えなかったことの意味よりも、
一緒にいる理由に名前をつけないことの意味の方が濃く映る。
前に進んでいく動力などとうに捨て去った者たちが、
その場に留まるためにも動力が必要だと気付かされる日常が照らされていく。
街があり、人がいて、その気配で空気がどんどんと消費されていく夜の中では、
人の形になれない者は溺れるしかない。
疑問も違和感も苦痛も、全部なかったことにするためにお金が飛び交い、
リセットボタンが無為に押されるだけの毎日を何故生きるのか。
何故生きるのか。
理由などなくてもいいのだと、
思えるのならそれだけで幸せで、
バス停に並ぶ者たちは飛行船を見ない。

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長江貴士
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