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【本】クリスティン・バーネット「ぼくは数式で宇宙の美しさを伝えたい」感想・レビュー・解説

いやー、久々にこんな酷いタイトルの本を読んだ。

いや、誤解しないでほしいのだけど、内容は素晴らしかった!!超絶素晴らしかった!久々にこんなとんでもない本を読んだな、という感じの内容だったのだけど、いかんせんタイトルが酷すぎる。

僕は本書を、物理の本だと思って買った。もちろん、中身をよく見もせずに買っている方が悪いと言われればそれまでだけど、誰だってこのタイトルを見れば、この本は「数学」か「物理」の本だと思うのではないか。しかし実際は本書は「子育て」の本だ。実際原題は、

「The Spark A Mother’s Story of Nurturing, Genius, and Autism」

である。知らない単語もあるが、要は「(才能の)きらめき ○○や天才や☓☓の母親の物語」という感じだろう。原題を見れば、「子育ての本」ということは伝わるだろうが、日本語のタイトルではその要素は一切皆無である。一体誰が誰に何を伝えたいと思ってこんなタイトルにしたのか、1ミクロンも理解できない。大体の人は、タイトルに「数式」や「宇宙」と入っているだけで手を伸ばさないだろう。本書を一番読むべき「母親」という存在に、まず届くことはない。いやホント、久々にこんな酷いタイトルに出会ったな、という感じだ。

本書を物理の本だと思っていた僕には、最初の100ページはかなり退屈だった。本書を子育ての本だと思って読めば、まあ読めるだろう(それでも正直、本書全体の面白さを考えれば、冒頭からもっと面白く出来るような気はするのだけど)。そして途中から、どんどん面白くなっていく。というのも本書は、ちょっとあり得ない、尋常ではない実話だからだ。

【そして息子の要望にしたがって、とある物理学者に連絡をとったのです。その学者はまだやりかけのジェイクの式を快く見てくれ、彼の理論は間違いなく彼独自のものであること、そしてもしこれが完成されれば、ノーベル賞候補にもなり得るだろう、と言ってくれました】

【ジェイクは大学の物理学の研究者として、十二歳で初めて夏休みのアルバイトを経験しました。アルバイトをはじめて三週間目、彼は格子説におけるある未解決問題を解いてしまったのです。この解答はのちに、一流の専門誌に掲載されることになりました】

著者の息子であるジェイクは、他にもとんでもないことがたくさん出来ます。一度聞いた音楽をその場でピアノで弾けたり(一度もピアノを教えたことはない)、地図を見ただけで全米の主要道路のほぼすべてを記憶し、実際に運転する際にナビゲートしてくれたりします。IQはなんと189で、しかも「天井効果」と呼ばれるものによって実際には測定不能だとのこと。彼は9歳にして大学に入学し、相対性理論や量子論を学び、自ら新しい理論を打ち立て、学生たちに数学を教える、というような日々を送っています。


しかし、彼がこうなることを予測出来た人はいませんでした。3歳の頃、ジェイクは専門家からこう診断されます。

【彼が十六歳になったときに自分で靴ひもを結べるようになっていたらラッキーだ】

彼は自閉症(IQが恐ろしく高かったのでアスペルガー症候群とされたようですが)と診断され、他人とコミュニケーションが取れず、集団行動が出来ず、ちょっとした刺激で突然かんしゃくを起こしてしまうような、そういう子供だったのです。ジェイクの自閉症はかなり重度のものだったようで、ジェイクが字を読めるようになると思っていた人もいませんでした。

そんな自閉症の子供が、何故大学に通い、ノーベル賞候補にもなり得る研究が出来ているのか。その秘密を解き明かすのが本書です。そしてその秘密の90%以上を、彼の母親、つまり本書の著者が担っているのです。

僕が退屈だと感じた最初の100ページには、「創意工夫の塊のような人だった祖父との関係」や「夫であるマイケルとの出会い」や「自閉症についてあまりまだ理解されていなかった時代に、いかにジェイクの振る舞いに振り回されたか」などですが、その中に、「専門家と呼ばれる人たちがジェイクをどう判断しているか」もあります。

アメリカには、自閉症患者に対するプログラムが用意されているようで、日々様々な訓練を行うことになっています。5歳までにどういう接し方をしたかで、自閉症児のその後の様子が大きく変わる、という研究結果があるようで、自閉症児の親たちは、専門家が良いと判断しているプログラムを毎日詰め込んで、少しでもたくさんの訓練を受けさせるべく奔走することになります。

その訓練というのが、著者の言い方を借りれば「出来ないことに焦点を当てたもの」ということになります。例えば、「じっと座っているのが出来ない」のであれば、それが出来るように訓練する、ということです。そのようにして、自閉症児たちが少しでも社会に適応できたり、他者とコミュニケーション出来たりするようになるのを目指すわけです。

しかし著者は、息子のジェイクが訓練させられている様子を見て疑問を抱きます。それは、発達障害の子供のためのプリスクールに通わせるようになってからも同じです。いわゆる専門家と呼ばれる人たちがやっていることが、少なくともジェイクのためにはなっていないのではないか、と感じていたのです。


しかし彼女は、なかなか決断出来ません。それはそうです。やはり経験のある専門家なわけだし、それに夫のマイケルも、知識のある専門家に任せるべきだ、という考え方だったからです。しかし、とあるきっかけ(ジェイクには字は覚えられないのだと専門家が決めつけていると判断出来た時)を境に、彼女は考えを変えます。全部自分でやろう、と。彼女は、渋る夫を説き伏せ、何の知識もないまま、重度の自閉症児を普通の小学校に通わせるための訓練を自宅で行うことにしました。

そしてここで彼女がとったアプローチが、「自閉症の天才児」に限らず、世の中のありとあらゆる子供との関わりに役立つのではないか、と感じさせるものなのです。実際著者もあとがきで、

【わたしがこの本を書いたのは、ジェイクのストーリーはすべての子どもに当てはまる話だと考えるからです】

と書いています。

彼女は、専門家らと真逆で、「出来ることに焦点を当てたプログラム」を組むことにしました。彼女はこの決断を、【崖から飛び降りるほどの勇気を必要とします】と表現しています。何故なら、先程も触れたように、自閉症児は5歳までにどれだけ訓練をしたかでその先が変わるので、どの親も苦手を克服する訓練に時間を費やそうとするからです。そんな中で、全然関係のない出来ること・得意なことばかりをやらせるというのは、相当勇気が要ることなわけです。

彼女が凄かったのは、それを他の自閉症児にも行ったことです。最初は、ジェイクの友達がほしいと思って、他の自閉症児をちょっとだけ集めるつもりでした。しかし、その案内を出すや、数百のメールが返ってきてしまいます。自閉症児を抱える親の苦悩や労力は十分理解している彼女は、誰も断らないと決め、それぞれの自閉症児に合ったオリジナルのプログラムを“無償”で行うことにしました(何故無償で提供したのかについては、彼女の生い立ちなどとも関係する話で、ここでは割愛します)。

彼女がどんな風に他の自閉症児と接していたのかは、こんな文章から理解できます。

【ここで何に時間を割いているか知ったら、誰もが驚くにちがいありません!「ある子とは、一緒に美術館に行って、一枚の絵の前で六時間いっしょにいました。ある子にはガレージセールで手に入れた製図台をあげました。ある子といっしょに何百枚ものクッキーを焼いて、アイシング(砂糖衣)でアルファベットを書いて、読み書きをおぼえました。あ、あとラマのことね…」】

ラマというのは、動物のラマで、動物好きな子どものために、農家からラマを借りて自宅のガレージで触れさせたのです。「リトル・ライト」と名付けたこのガレージでのプログラムは評判を呼びます。何故なら、ジェイクのみならず、重度の自閉症児たちが普通の小学校に通えるようになったのですから。著者はこう書いています。

【ジェイクは本格的な天文学を学ぶ機会を与えられている限りは、学校でもきちんとした社会的行動がとれるのだと。保育所の健常児たちや「リトル・ライト」の自閉症児たち、そしてジェイクを見ていてもわかるように、子どもというのは好きなことに打ち込む時間さえ与えられれば、それ以外のスキルも自然と向上していくものだと】

まさにこれこそが本書の主題です(「ぼくは数式で宇宙の美しさを伝えたい」なんてタイトルからでは1ミクロンも想像できない主題です。ホントに編集者は一体何を考えてこんなタイトルをつけたんだか)。これは、どんな子どもに対しても普遍的に当てはまるものではないかと、本書全体を読んで僕は強く感じました。

ジェイクがもし、「出来ないことに焦点を当てるプログラム」をずっと続けていれば、恐らく彼は16歳の時点で靴紐を結べなかったでしょう。しかし母親が、「出来ることに焦点を当てるプログラム」をやり続けたことで、ジェイクは飛躍的に変化します。「やりたいことを十分やらせてもらえれば、教わらなくたって苦手なことが出来るようになる」というのは、専門家からすれば衝撃的な事実でしょうし、また、いわゆる専門家ではたどり着けなかった結論でしょう。実際に子どもを育てるという過程の中で、注意深く観察し、可能性を信じ、尋常ではない努力をしたからこそ、たどり着けた結論です。その奮闘の記録だからこそ、本書は読む者の心を打つのだと思います。

本書は、ジェイク以外の部分でも波乱万丈です。例えば、著者が産んだ二番目の息子も、医者が人生で2例しか見たことがないという珍しい重篤な障害を抱えていました。また、あまりに忙しい生活を送っていた著者は、30歳にして脳卒中になってしまいます。自閉症児たちのためのセンターを作ろうとして、年金を解約し車を売り払いましたが、しかしその後予想もしなかったとんでもない事態に見舞われることになります。そんなこんなで、波乱万丈としか言いようがない壮絶な人生を送った女性の、多くの人に希望を抱かせる物語だと僕は感じました。タイトルに臆せず、是非読んでみてください!


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