【映画】「アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ 監督〈自己検閲〉版」感想・レビュー・解説

まったくぶっ飛んだ映画だったなぁ。タイトル通り、「イカれた」映画だった。

冒頭から、観客は大爆笑だった。いきなり、まさに「ポルノビデオ」のような映像から始まるのだが、それが”まともに”映るのは10秒ぐらいだろうか。その後すぐ、「モザイク」がかかる。

「モザイク」とカッコに入れたのは分けがある。一般的にイメージするモザイクでは全然ない。画面全体が色付きの布で覆われたような感じになり、さらにその布に色んな文字が書かれるのだ。

この文字がまあ面白い。

さて、その説明の前に書いておくべき点は、タイトルにある【監督〈自己検閲〉版】についてだ。日本公開版は、「自己検閲している」というのである。つまり、本来は「画面全体を色付きの布で覆うようなモザイク」は存在せず、そのまんま流しているということだ。観客にはほぼ音の情報しかないのだが、恐らく「アダルトビデオ」のような感じの映像が本来なら5~10分程度そのまま続いているのだろう。しかし僕らは「検閲版」しか見れず、「色付きの布モザイク」に覆われているというわけだ。

さて、そんな「色付きの布モザイク」にどんな文字が表示されるのか。最初に、

【皆さん!検閲版だよ!】
【検閲=金】

と表示される。もうこの段階で面白い。

他にも、

【殺人シーンはOKで、フェラはダメだって!】
【キリスト教・イスラム教版】
【米アカデミーで本作に一票を!】
【見られなくて残念だね】
【射精シーン!】

など、やりたい放題という感じだ。一応改めて説明しておくが、冒頭からしばらくの間、「明らかにアダルトビデオっぽい映像が流れているのだろうが、それは色付きの布モザイクで覆われて、セックスの音しか聞こえない中、その布モザイクに色んな文字が表示される」という映像を観ているのである。

これだけで十分狂気的な作品だということが分かるだろう。

さて、ではそもそも、この「ポルノビデオ」の映像は一体何なのか?ここで、主人公のエミの出番となる。名門校で歴史を教えている教師なのだが、そんなエミが夫と痴態を繰り広げているセックスの映像が、なんとネットに流出してしまったのだ!冒頭で流れているのは、「エミと夫がヤりまくってる映像」というわけだ。流出の経緯は正確には不明ながら、「夫がPCを修理に出した」後のことだったので、業者がイタズラに流出させた可能性もある。

エミは、学校に集まった保護者の前で事情を説明しなければならない。

全体の設定は、こんな感じである。

映画全体は、冒頭の「ポルノビデオ」を除いて、3つのパートに分かれている。

最初は、「保護者への説明会へ向かう前、エミがルーマニア・ブカレストの街を彷徨っている」パート。そして最後がその保護者会の場面なのだが、その間を繋ぐものがなかなか捉えがたい。「辞書」という括りで、「様々な単語を挙げ、それをルーマニアでの『現状』に即して説明する」みたいな説明になるだろうか。

例えば、

【図書室:殺人犯を生む場である】

といった具合だ。

正直、この真ん中のパート(パート2)が始まってからしばらくは、なんだかよく分からなかった。しかし、映画全体のテーマとまるで関係なさそうな言葉のセレクトや映像、時にはスマホで撮影しただろうものなど雑多なものが入り混じった映像を観ていると、「コロナ禍も含めた、社会に対する様々な鬱屈」みたいなものを詰め込んでいるのだ、という風に感じさせられた。

この映画は、映画内も「コロナ禍」という設定になっており、最初から最後まで役者がマスクをつけている。公式HPには、

【私は若い頃、『東への道』や『アギーレ/神の怒り』、『地獄の黙示録』などの撮影方法を本で読んでそのクレイジーさにとても憧れていました。今でも憧れはありますが、私は小心者なので撮影の際に誰かの命や健康を危険にさらすことはできません。たとえそれが普通の風邪だったとしても、健康を冒してまで作る価値のある映画はないと思っていますし、私の大したことない映画のためならなおさらです。そんな思いから、キャスティングもリハーサルもすべてZoomで行い、キャストを含め、全てのスタッフにマスクをしてもらうことにしました。第一に、この映画は現代を映し出すものであって欲しかったし、マスクが日常生活の一部となったこの瞬間を切り取り、マスク着用時代の人類学的側面を捉えたかったのです。第二に、関係者の健康を守りたかったからです。】

と書かれており、「安全性」と「時代の描写」という意味で、マスクを着用しての撮影となったそうだ。

また、ルーマニアという国を詳しく知っているわけではないが、映画の中で、「ユダヤ人を擁護するなんて(信じられない)」みたいな発言が当たり前に出てくるので、ソ連や旧東ドイツなど共産主義的な雰囲気の濃い国なんだろうと感じる。そういう国家であればあるほど、コロナ禍でなくとも様々な鬱屈が日常の中に詰め込まれていることだろう。

映画は、「ポルノビデオ」から始まり、女性教師を「ハレンチ」だという理由で吊るし上げる保護者会が描かれるなど、全体敵にシュールでジョーク的な感じなのだが、そういう作品の中に、パート2で描かれるような「まとまりのない雑多な鬱屈」が詰め込まれることで、このパート2こそが最も主張したかったことなのではないかとさえ感じられる気がします。

パート1は、ちょっとウトウトしながら観てしまったので正直ちゃんと覚えているわけではないのだが、個人的に印象が強かったのは、ブカレストの街中を歩くエミの周囲で、何らかの形で「怒り」が噴出しているということ。その「怒り」はエミ自身のものである場合もあるし、たまたまエミの近くで起こっているだけのものもあるが、とにかく「あまりに『怒り』が日常的である」ということがとても印象的だった。

のだが、他の人の感想をチラ見すると、どうやらパート1は、「街中に存在する、見ようによっては『猥雑』に感じられるもの」が映し出されていた、そうだ。ウトウトしていたからなのか、あるいは、男である僕の意識には届かなかったのか、どっちか分からないが、とにかく僕には、パート1は「猥雑」より「怒り」の方が印象的だった。

さて、「物語」として観た場合、やはりパート3の「教師VS保護者」が面白いと思う。

まず、表向きの基本的な構図をおさらいすると、

<名門校で歴史を教える優秀な女性教師が夫とセックスしている映像がネットで流出したことで、「子どもに害があるから辞めるべきだ」と保護者が教師に迫っている>

となる。現実にそんな映像が流出したら、このような保護者会が開かれることだろう。

さて、この構図ではやはり、女性教師の方が圧倒的に不利だと感じるだろう。僕は、この保護者会のやり取りが始まる前から、「この女性教師が学校を辞めなければならない理由なんかないだろう」と思っていたが、同時に、世間がそう考えないだろうとも理解しているつもりだし、保護者が「あんたみたいな教師は辞めろ」と主張する気持ちも分かるつもりだった。

ただ、この保護者会、時間経過と共にどんどんと当初の印象が反転していく。本当であれば「女性教師の落ち度を認めさせ、保護者が圧倒的優位に立って女性教師を辞めさせる」となるはずなのだが、保護者がなかなかに「アホ」すぎて、そうはならない。議論の本筋は「生徒たちも見れてしまうような形で私生活のセックスが流出した教師が学校に相応しいか」のはずなのだが、脱線に次ぐ脱線で全然そういう話にならない。「義務教育でユダヤ人を擁護するなんて許せない」と主張したり、「教育とはそもそも毒のようなものだ」と演説をぶったり、「学校でゲイまで称賛する気なのか?」と疑問を呈するなど、本題とはまったく関係ない話が展開される。ある父親が、「娘の純潔が汚されている」と文句を言うのだが、「女性教師のセックス動画が流出したこと」と「娘の純潔」はどう関係するのかイマイチ理解できない。

とにかく、保護者側からあまりに「知性」が感じられず、一般的なイメージからすれば圧倒的に不利なはずの女性教師が孤軍奮闘できてしまっている。

さらにこの女性教師、メチャクチャ強気で良い。彼女の主張は、僕には割と真っ当に感じられる。「成人していてお互いに合意がある者同士のセックスはわいせつではない」「子どもがアダルトサイトを見ないように教育するのは親の責任では?」など、保護者たちに対して基本的に非を認めない。僕は彼女が主張する通り「自分で動画をネットに上げた」のでないなら、彼女もまた被害者であり、責任を負う必要を感じない。これが夫以外の男性との不倫とかなら話は違うだろうが、「夫とセックスして何が悪い」という彼女の主張は、
確かにその通りだと思う。

ただ、彼女が「生徒とは信頼関係を築けています」と言った後で、

【教師を尊敬することは権利ではなく義務なのです】

と言っていた点はちょっと違和感があった。その考えは、ちょっと傲慢だなー、と。それ以外は基本的に、この女性教師の主張の方が真っ当な感じがした。

とにかくこの保護者会は、「オセロの対局で、初めは明らかに負けているように見えた側が、後半どんどんひっくり返してほとんどを自分の色に変えてしまう」みたいな感じがある。この話し合いでは、「圧倒的に不利なはずのエミが負けていない」という時点で「エミの勝ち」と判断していいと思うが、そういう意味でエミは圧勝だったと言っていいのではないかと思う。

もの凄くふざけたように見える映画で、たぶん実際にふざけているような感覚もあるはずだけど、同時に、こういう作品でなければ届かない問題もあると感じる。社会問題というのは、どれだけ深刻でも、それが社会の隅々にわたって根を張りおろしているものであればあるほど「問題として認識させること」そのものがまず難しい。この作品が全面に押し出す「猥雑」というテーマも、まさにそういう類のものだろう。それを、ふざけ倒したような映像・物語で展開させ、「快・不快の感情」に落とし込んでいくことで、実感させようとしているのではないかと感じた。

まー、とにかく変な映画だ。なかなかこんな映画、探しても見つからないだろう。なんとも評価しづらい映画ではあるが、とにかく「笑わされてしまった」ことは確かだ。


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