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【本】鴻上尚史「孤独と不安のレッスン よりよい人生を送るために」感想・レビュー・解説

本書の内容は、まさにタイトル通りです。一文で書くならば、


『よりよい人生を送るための、孤独と不安についてのレッスン』


となります。まさにタイトル通りですね。


これは本当に、色んな人に読んで欲しい本です。


たぶん、孤独と不安に苦しんでいない、という人はそうそういないのではないかと思います。僕は、後でも書くつもりでいますが、孤独とはかなりいい関係を築けている、と自分では思っています。でも、不安とはまだまだいい関係を築けていなくて、時々苦しくなったりします。本書では、少子化が進んだことで、大人になってから孤独と不安に苦しめられることになる人が増えている、というような話もあって、まあそこに本当に因果関係があるかどうかは別として、ざっくりとしたイメージでは、昔より遥かに、孤独と不安との付き合い方に悩んでいる人は増えているのではないか、と僕は勝手に思います。


本書は、孤独や不安をなくすための本、ではありません。本書には、こうあります。

『つまりは、どんなものを信じても、受け入れても、人は、一生、孤独と不安から自由にはなれない、ということなのです。』

本書は、孤独や不安をどうやってなくしたらいいか、ではなく、孤独や不安とどう付き合って行ったらいいか、という本です。孤独や不安は、どうやっても消えることはありません。孤独や不安とどう付き合っていくべきか、僕らはなかなか生活の中で自然に学ぶ機会が少なくなってきています。だからこそ、意識的に、孤独や不安とのつきあい方を学んでいくしかないのです。
本書は、前半では孤独について、後半では不安について書かれています。それぞれについて、ざっとどんなことを言っているのか書いてみようと思います。


孤独の方で重要なキーワードは、『「本当の孤独」と「ニセモノの孤独」』『一人でいることは悪いことなのか?』『世間という名の神様』という感じです。


最も重要なポイントは、『一人でいることは悪なのか?』ということです。
本書には、こうあります。

『一人がみじめなんじゃなくて、一人はみじめだと思い込んでいることに、苦しめられているんじゃないかと、僕は思うのです。』

ホント、その通りだと思います。僕は、いつの頃からか、『一人はみじめだ』という価値観から抜け出すことが出来ました。どうやって抜け出したのか、その過程はまったく覚えていないのだけど、いつの頃からか、一人でいることはみじめじゃない、と思えるようになりました。

いや、この表現だとちょっと違うんだな。僕は『一人でいると周りからみじめだと思われるだろうな』という考えから抜け出せたのでした。僕自身は元から、一人でいることはみじめだなんてあんまり思ってなかったんですけど、でも周りの人はそういう風に見るだろうな、という風には思っていたのでした。だから、あんまり一人でいたくはなかった。でも、いつの頃からか、そういう感覚を抜け出せていました。それは僕にとって、本当に楽になれる第一歩だったな、という気がします。


僕は今、一人でいることが全然苦ではない。もちろん、ずっと誰にも会えない、とかなったらそれはそれで寂しいけど、会おうと思えば誰かには会える、という状態の中で一人でいることは、特になんとも思わない。むしろ、一人でいることの方が気楽でいい。煩わしさがない。


いつも誰かとメールしていたり、触れ合っていたり、繋がっていると感じられないと辛い、という人は、凄く多いような気がする。そういう人は、『一人でいる自分はみじめだ』という価値観にガチガチに縛られているんだろうと思う。それは、そこから抜けだした僕からすると、本当に辛いだろうな、と思う。


『「友達ができればラッキーだけど、あわない人と無理に友達にならなくてもいい。一人でいてもそれは普通のこと」という価値観がしっかりあれば、イジメのエネルギーは、ずいぶん減るんじゃないかと思うのです。』

本書にはイジメの話も出てくるけど、ホントその通りだなと思います。昔は僕も、友達がいないのは寂しいなぁ、っていう風に思ってたはずだし、今だって友達が全然いなくなったら凄く寂しいだろうけど、それでも、合わない人と無理に友達になることはないってのはホントそうだと思う。寂しいから、というだけの理由で繋がっている関係って、凄く辛いと思う。


本書では、「本当の孤独」と「ニセモノの孤独」という話も出てくる。


「一人はみじめだ」と苦しむことが「ニセモノの孤独」。じゃあ「本当の孤独」は何か。それはこうあります。

『「本当の孤独」とは、自分とちゃんと対話することなのです。』

一人旅などで、自分から一人である状態を作り出す。なるべく誰とも連絡を取らず、特に目的のある行動もしない。出来るだけ長くその状態を維持する。すると次第に、自分と対話する状態になっていく、と著者は言います。
僕は実は、そういう状態を自ら作り出したことがあります。僕には、半年間、誰とも会話を交わさなかった時期、というのがあります。

その時期は、本当に色んな人に迷惑を掛けたな、と思います。かなり心配もしてもらったことでしょう。でも、今だから思うけど、僕はあの時期は凄く大事だった、と思います。その時期、自分が何を考えていたのかは、もはや思い出せません。でも確かに、誰とも喋らず、ネットを見るでもなく、ひたすらテレビを見続けるだけの生活を半年も続けていると、自分と対話する以外にやることがなくなってくるんですね。僕が孤独から脱することが出来たのが、その半年間を経験して以降だったのかどうか、もはや記憶にないから分からないのだけど。


あの半年間は、僕にとって、ありとあらゆることをリセットするのに本当に必要な時期でした。自分がそれまで生きてきた過程で抱え込んできた要らないものたちを、あの半年で全部振り払った、そんな気がします。その半年の前後で、変わりなく僕を迎え入れてくれた友人たちにも、本当に感謝しています。口に出しては言わないけどさ。


一人でいることはみじめだ、という価値観にさいなまれている人は、一度自分の意思で一人になってみるといいと思います。社会人だとなかなか難しいけど、学生ならどうにでもしようはあるでしょう。本書では、社会人だって、交通事故にでも遭ったと思えばどうにでもなるような気がするけど、みたいなことが書いてありました。本書に書いてあることではなくて、僕が何かで読んだ話ですけど、社会人の中にも、ある日突然会社に来なくなって失踪して、一週間ぐらいすると何食わぬ顔で出社してきて、でもそれから見違えるように変わった、なんていうこともあったりするみたいです。どうにもこうにも行き詰まっている人は、そんなことをやってみてもいいのかも。


最後に、世間について書きます。本書では、欧米における神と、日本における世間が対比されています。


日本人は、自分の意見をなかなか言わないし、周りに流される、とよく言われます。本書ではそれを、日本では世間が神の代わりになっているからでは、と分析します。


一神教を信じる人達は、悩んだり困ったりした時、最終的に自分が信じる神に問いかけます。そして、その神との対話によって、自分で判断を下します。


日本には、宗教的な意味での神というのはあんまり存在しない。でも、欧米人にとっての神と同じような働きをしているのが、世間、ではないか、と著者は言います。そして、現在の日本の世間は、中途半端に壊れているからこそ、息苦しさを覚えるのではないか、とそういうようなことが書かれています。


僕も日本人だから凄く分かるけど、世間の流れに反するのは凄く難しい。世間、っていうのは、広い意味で世の中ってことでもあるし、狭い意味では自分の周囲ってことでもある。世間が神様と同じなんだから、神様が言うことには従うしかない。でも中途半端に壊れているから、素直に従うのにも抵抗がある。そういう複雑な世の中に僕らは生きているわけです。


本書によれば、これは世界の最先端の悩み、なんだそうですよ。最近では外国でも宗教を信じない若者が出始めてきて、そういう若者が日本人と同じような悩みを抱えるようになっている、んだそうです。なんか、日本人がずっと付き合ってきた悩みが世界最先端だっていわれると、なんか楽しいですよね(笑)


さて、不安の方の話にいきましょう。僕は、不安とはまだいい関係を築けていないので、こちらの方が凄く響くことが多かったし、落ち込むことも多かった。


不安の方の話のキーワードは、『「他者」と「他人」』『「いまある自分」と「ありたい自分」』『人は分かり合えない』という感じでしょうか。


まず、人は分かり合えない、という話からしましょう。これは、孤独の話と似ている部分もあって、僕達は『人は分かり合えて当然だ』と思うからこそ苦しいのではないか、ということです。


これはそうですよね。僕は、この点に関して言えば、そう思っています。相手のことなんか、どうせわかりゃしないんだから、と僕は思っている。分かろうとする努力はもちろん大事。でも、絶対に分かることはない、と思って接しています。それは、聞きようによっては寂しく聞こえるかもしれないけど、そうではないと思えれば、凄く楽になれると僕も思います。


「いまある自分」と「ありたい自分」の話は、凄くよくわかりました。僕らは、自意識がちょっと過剰なところがあって、だから不安になる。「いまある自分」が何かしようとしても、それよりも上にいる「ありたい自分」が、そんなことして大丈夫なの?それって面白い?と突っ込んできます。それで僕らは、行動できなくなったり、前に踏み出せなくなったりする。「いまある自分」と「ありたい自分」との対話によって自分の行動を決めるのではなく、「いまある自分」と「目の前の相手」との対話によって自分の行動を決める方がいい、と本書ではいいます。


そして本書の中で僕が一番共感しながら読んだのが、「他者」と「他人」の話。まさにこれは僕の最大の問題点を本質的にズバッと衝いていると感じました。


僕は、深い人間関係が本当にしんどい。一番しんどい深い人間関係は、家族だ。僕は、小学生の頃既に家出を考えるくらい、両親が(というか、実家が)嫌だった。家族、という距離感に既に小学生の時点で耐え難かったのだ。


それは、今でも変わらない。家族に限らず、人間関係が深くなると、自分が辛くなっていく。自分なりの言葉でそれを説明することは出来ていたのだけど、本書の『他者』と『他人』の話は物凄くわかりやすかったし、結局のところ僕は、『他者』とうまく関係性を築けない人間だ、ということなのだ。
『他者』と『他人』の違いは、ズバッとは説明できないんだけど、『他人』は最終的に排除するか無視すれば済む相手、『他者』はそうすることが出来ない相手(家族や隣に住んでいる人や職場の人など)という感じです。
本書にはこうある。

『じつは、人間が成熟しているかどうかは、「他者」とどれぐらいつきあえるかだと僕は思っています。
やっかいな存在=「他者」とどうつきあえるかが、その人が成熟しているかどうかのバロメーターだと墓kは思っているのです。
そしてそれは、別な言い方をすると、自分の不安ともうまくつきあえるか、ということなのです。
「他者」とうまくつきあえる人は、自分の不安ともうまくつきあえるのです。「前向きの不安」を生きられる人です。そして、孤独とも。』

まさにその通りだ、と思いました。僕は未だに、不安と良好な関係を築けていない人間で、ちょっとしたことでもすぐに不安になってしまいます。そして僕は、『他者』ときちんとした関係を築くことが出来ない人間でもあります。つまり本書によれば、僕が不安と良好な関係を築きたければ、まず『他者』との関係をうまく築けるようにならなくてはいけない、ということになります。


…うぅ、それは厳しいなぁ。


関係性が深くなればなるほど、きちんと向き合うと辛くなる、というのは今の僕にとってはいかんともしがたいことなんですよね。それを乗り越えなくてはいけないのだなぁ。いや、でも、それを認識させてくれたことは本当に助かりました。僕は、『他者』との関係と不安について結びつけて考えたことがなかったので、それを知らないままだったら、結局僕はずっと、不安と良好な関係を築くことが出来ないままだったでしょう。


いや、『他者』との関係をきちんと築けるかどうか、僕にはちょっとわからないのだけど、でもとりあえずどうすればいいのか、という指針がなんとなく分かったということだけでもよかったなと思います。

中学生の自分に読ませたかったな、という本はいくつかあります。「非属の才能」という本も、中学時代の自分が読んでいたらどれだけ救われていたか、と思いました。本書も、中学時代の自分に読ませてあげたい気がします。周りにいた大人で、本書に書いてあるようなことを僕に教えてくれる人はいなかったはずです。こういうことを少しでも学校で教えてくれたら、学校って素敵な場所だと思えるかもしれないのに。


本書に書かれていることは、凄く『当たり前』のことかもしれません。僕は孤独についてはかなりいい関係を築けていると思っているので、孤独に関する部分は、結構『当たり前だな』と感じました。でも、不安については、凄く新鮮な意見がたくさんありました。


確かに本書は、『気づいている人からすれば言葉にする意味さえ感じられないほど当たり前のこと』かもしれません。でも、それに気づいていない人がたくさんいる、ということが重要であり問題なわけです。『一人でいることはみじめではない』『友達は少なくていい』『人は分かり合えない生き物だ』と言った意見のどれか一つでも『当たり前だ』と感じられないものがあったら、是非本書を読んで欲しい、と僕は思います。

あと、今から書くことは、僕にしか当てはまらないことかもしれないのだけど、僕が昨日読んだ「武器としての決断思考」と本書は、対になるというか、セットで読むと凄くいい作品ではないか、と思いました。内容はまったく違う作品です。片や決断の仕方についての本であり、片や不安と孤独についての本。でもどちらも、この不安定でしんどい世の中を生き抜くために必要なものではないか、と感じました。「武器としての決断思考」が武器を提示してくれているとすれば、本書は盾を提示してくれている、とそういうことなのかもしれません。


無理矢理言葉にすると、こんな風に言えるかもしれません。決断をすることは不安だし、孤独を恐れて決断が鈍ることもあるかもしれない。だからこの二作品は、セットで読んだらいいのではないかと。


少なくとも今の僕にとって、この二冊を続けて読めたことは本当にラッキーだったと思います。今抱えている不安について、どう立ち向かって行ったらいいか、指針が与えられたような気がします。


ちょっと僕的には、今日書いた感想は全然納得がいっていなくて、普段だったらもう少しいい感じに書けたんじゃないかと思うんだけど、今日はなんか文章が冴えてないなぁ(まあ、読む側からしたら、いつだって冴えてないかもだけど…)。もしかしたら、この感想を読んでも、本書の魅力があんまり伝わらないかもしれないけど、これは本当に良い本だと思います。たぶんほとんどの人が、孤独と不安の両方、あるいはどちらか一方に苦しんでいたり悩んでいたりするはずです。どちらにも悩んでいない、と断言できる人は、本当に少ないのではないかなと思います。


恐らくこれからますます、僕らが生きていく環境は悪くなっていくでしょう。そんな世の中を生き抜くために、武器である「武器としての決断思考」と、盾である本書は凄く有意義な本ではないかと思います。是非読んでみてください。


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