【映画】「AGANAI 地下鉄サリン事件と私」感想・レビュー・解説

凄く良い映画だった。観て良かった。これは、「地下鉄サリン事件」や「オウム真理教」などと関係ない文脈でも、現代において多くの人に観られるべき映画だと思う。

感想を書く前に、恥ずかしい告白をしなければならない。

そうか、今日だったか、と僕は映画を観た後で知った。今日のちょうど26年前の1995年3月20日に、地下鉄サリン事件が起こった。

映画館に入って、マスコミのカメラがいて驚いた。しかしその時点でも、まだ気付いていなかった。カメラマンの姿を見るまで、今日が公開初日だということも特に意識していなかったので、「公開初日だからカメラが来てるんだな、結構注目度の高い映画なんだな」と思っていた。映画を観終わって、監督のトークショーが終わり、劇場を出た時点でもまだ、今日だと気付いていなかった。

気付いたのは、帰りの電車のニュース映像を見た時だ。そこで初めて僕は、何故今日が公開日で(通常映画は金曜日に公開されることが多いよな、とは思っていた)、何故マスコミが集っていたのかを理解した。

僕は、オウム真理教というものには今でも割と関心を抱いている。森達也の『A』や『A2』(本作と同様、オウム真理教(現アレフ)の広報部長である荒木浩が出演している)を観たことはないのだが、同じく森達也の『A』や『A3』といったノンフィクションは読んでいる。オウム真理教の本部があった上九一色村から結構近いところに実家があったし、実家にいる頃に地下鉄サリン事件が起こったし(地下鉄サリン事件の日は確か、小学校の卒業式の日だったはずだ)、子供の頃にはよく分からなかったものの、大人になって振り返ってみてやはり、オウム真理教という存在は日本を大きく変質させただろうなとも感じるので、たぶん平均的な人よりはオウム真理教に興味を持っていると思う。

それでも、3月20日という日付は忘れてしまうのだな、と改めて実感させられた日だった。

僕はたぶんこれからも、3月20日という日付は忘れてしまうと思う。それは、その報に触れたタイミングが大きいだろう。例えば僕は、2001年9月11日(アメリカ同時多発テロ事件)や、2011年3月11日(東日本大震災)という日付は、恐らく一生忘れないと思う。同時多発テロの時は大学一年生で、ある程度大人になっていたので、その事件の衝撃をリカルタイムで理解できた。東日本大震災も同様だ。しかし、1995年3月20日(地下鉄サリン事件)や、1995年1月17日(阪神淡路大震災)という日付はたぶん忘れてしまう。起こった出来事を忘れることはないけれど。


さて、まずは「謝罪」についての僕の考え方から書いていこうと思う。

僕は、「謝罪」という行為の機能が理解できない。はっきり言って、不要だと感じてしまう。

何か自分が被害を被った時、僕が望むことはただ一つ、「二度と同じ被害を与えないこと」だ。つまり、時間軸は未来にある。そしてそのために僕は、「どのようにして二度と同じことを引き起こさないのかという具体策」が欲しい。謝罪なんかどうでもいい。その具体策を持ってこられないなら、顔を見せる必要もない。僕は昔からずっとそう考えている。

もちろん「謝罪」には、「『二度と同じ被害を与えません』という決意」が含まれていると言える。というか、それが含まれていないなら「謝罪」なんてホントにする意味がない。その決意と共に具体策も求める、という気持ちは、まだ理解できないでもない。しかし一般的に「謝罪」には、「過去に起こしたことに対して反省の意を示してほしい」という期待が込められているように思う。

これが僕には理解できない。そんな、過去に向いた時間軸を、少なくとも僕は求めるつもりはない。誰かが「反省しているかどうか」なんて、外から分かるものではない。形だけ反省していても心の中では舌を出しているかもしれないし、表向き謝罪の言葉がなくても心の中ではもの凄く反省しているかもしれない。もちろん、相手が明確な悪意を持って自分に被害をもたらしているとすれば、怒りは感じる。しかし、「相手が明確な悪意を持っている」のであればなおさら、「謝罪=反省」なんていう図式を受け入れるのは難しいだろう。どれだけ謝罪したって、反省してるなんて感じられるはずがない。

だから、過去向きの時間軸を持つ「謝罪」にどんな意味があるのか、この年齢になっても僕は未だに理解が出来ないでいる。

そういう僕の考え方から捉えた場合、この映画は非常に素晴らしいバランスで成り立っていると感じる。

僕がこの映画から強く感じたことは、「謝罪しないことの誠実さ」と「謝罪させることの想定外の効用」だ。加害者と被害者が、お互いが誠実さを持って「謝罪(あるいは、タイトルの通り「贖い」)」と向き合うというスタンスが、僕は見事だと感じた。

映画の被写体として登場するのは、地下鉄サリン事件を起こす10ヶ月前にオウム真理教に入信(あるいは出家)し、広報部長となり、現在はその後継団体である「アレフ」の広報部長である荒木浩だ。

これは若干ネタバレになるだろうけど、荒木浩は最後の最後まで、謝罪らしい謝罪をしない。そして僕はその態度に、誠実さを感じた。

彼の中には明確に、「どういう状態であれば謝罪という行為が必要かという基準」が存在すると感じた。そして彼の中で、その基準に達していないからこそ謝罪をしなかった。これは、非常に明快な態度だと僕には感じられたし、さらに、何故このスタンスを誠実だと感じるかといえば、基準に達しない時には謝罪をしないことで、謝罪をした時の真剣度が格段に増すと感じられるからだ。

荒木浩は別に、形ばかりの謝罪を口にすることはできると思う。確かに彼は、アレフの広報部長であり、彼の発言は彼個人のものとしてではなく、アレフ(ひいては、オウム真理教)の発言と捉えられる。彼が謝罪をすれば、「オウム真理教が謝罪をした」という形で報じられるだろうし、その影響は大きいかもしれない。しかし、少なくとも今アレフという組織にいる人は、「オウム真理教時代からの信者で、自らの意思で残っている人」か、「アレフになってから自らの意思で入った人」だろう。もちろん、自己責任論には限界があるし、自己責任だからと言って突き放したいわけではないが、今アレフという団体に属しているということは、ある程度以上の覚悟無しには難しい。だからこそ、荒木浩がどういう発言をしようが、元から荒波だったものが少し激しさを増す程度だ、とも言えるのではないか。映画を見る限り、荒木浩という人は非常に理性的で知性を感じさせる人なので(学歴と知性は関係ないが、荒木浩は京大卒である。ちなみに、監督も京大卒らしい)、この辺りの理屈は自分でも分かっていると思う。

だから荒木浩は、「アレフという組織を背負っているから謝罪できない人」では決してない。彼は別に、アレフの広報部長として公式に謝罪をするという選択をすることも可能な存在のはずだ。

しかしその上で彼は、ある意味で”安易な”その道を選ばない。

【もし私が、地下鉄サリン事件を起こしたメンバーらと普段から考えを共にしていたとするならば、自分の考えとしてこの事件に関してお伝えをすることができます。しかし私は、当時尊師から教わった考え方からは、どうして尊師や幹部があのようなことをしたとされているのか理解できないのです】

こんな感じの発言をする場面がある。僕は、その時の喋り方も含めて、なんと誠実な態度だろうか、と感じた。僕が同じ立場にいたら(まあ僕が荒木浩ならそもそも、映画に出演するという決断もしないと思うけど)、その場の雰囲気に押されてとりあえず謝ってしまうと思う。

荒木浩はそれをしない。そして彼が謝罪をしないのは、「自分は悪くない。だから謝る必要もない」という態度なのではなく、「自分は地下鉄サリン事件を起こしたその後継団体に今もいるし、広報部長だから謝罪すべき立場にいることも理解しているが、それでも理由をはっきりと理解出来ていない状態で謝罪するのは不誠実に思う(これは、そういう発言を彼がしたということではなく、僕の解釈)」という態度であると思うし、そんな”困難な”道を進もうとするところが誠実だと僕は思うのだ。

この映画の監督であるさかはらあつし氏は、地下鉄サリン事件の際にまさにその車両に乗っており、今でも後遺症に苦しめられている。映画後のトークショーでは、「人前では無理して頑張るけど、人前じゃなくなったら急に体力がゼロになる。ストレスを感じると手足が痺れる」というようなことを言っていた。26年経ってもまだ、相当の後遺症に苦しめられている。

そんな、まさに直接の被害者であるさかはらあつしは、荒木浩と共に旅をする。その姿は、仲の良い友人のようだ。川辺で石を投げて水切りをし、電車の中で一つのイヤホンで音楽を聞き、ユニクロで服を買い、母校・京都大学の野球部グラウンド付近で「この道に賭けてみないか?」という誘い文句に爆笑する。

また、彼らの関係で一番印象に残ったのが、あるやり取りの場面。さかはらあつしが、割と薄着のまま旅行にやってきた荒木浩に「寒いやろ?」と声を掛ける。荒木浩は大丈夫と返すのだけど、それに続けてさかはらあつしは「だってこれじゃ、俺がいじめてるみたいやろ」と言う。そしてその返答として荒木浩は、「それはそうでしょう 笑」と返すのだ。このシーンは非常に良かった。この映画の撮影までにどれぐらいの時間やり取りを重ねたのか分からないが、「いじめてるみたいに見えるやろ」という被害者に対して、「いや、いじめてるっしょ」と加害者側が返す関係性はとても良かった。

加害者側と被害者という関係には全然見えない。

時々、ピリつくシーンもある。さかはらあつしが荒木浩に厳しい質問を投げかける。荒木浩は、必死に返答の言葉を探している感じで、しかし言葉が出てこず、まばたきの回数が増える。印象的だったのは、「出家なんて偉そうなことを言うなよ」というツッコミだ。荒木浩は、大学院生の頃にオウム真理教への出家を決め、家族と一応話し合いの場を設けつつ、喧嘩別れのような状態のまま出家する。出家というのは荒木浩の説明によれば、「家族を中核とする俗世からの離脱」であり、仮に死んでも荒木家の墓には入らない。家族との縁を切るのだ。しかし一方で荒木浩は、十二指腸潰瘍になった際、一ヶ月ほどオウム真理教を離れ、実家に戻っている。そのことを指摘し、「家族との縁を切れないんだったら、出家だとか言って偉そうなこというなよ」みたいなやり取りをする。荒木浩も、理屈としてはその通りだと思ったのだろう(やはり共に京大卒だからか、議論の質や理解力が高い)、「確かにその点については自分には発言権は無い」というような白旗を上げるのだ。

しかし、こういうピリつくような場面であっても、少なくとも僕には、さかはらあつしが荒木浩を責めるようなニュアンスを感じ取れなかった。唯一最後の方で、「だったら言うべきことがあるやろ」と声を荒げたような場面には、責めるようなニュアンスを感じたのだけど、それ以外の場面では、表層的には荒木浩を追い立てるようなニュアンスを出しつつも責めているわけではない、というような雰囲気を感じた。

ただ映画を観ているだけでは、監督の真意をちゃんと理解は出来なかったのだけど、映画後のトークショーで監督は、「怒りを感じないのか?」という観客からの質問に対して、こういう返答をしていた。

【僕が闘ってたのは荒木さんじゃなくて、荒木さんの中に巣食ってるものだから】

さらに、先程少し話に出した「だったら言うべきことがあるやろ(これは荒木浩に対して、謝罪の意を表すべきだ、と伝える発言だ)」に関しても、

【僕は彼に謝罪させたかった。何故なら、彼が謝ることで、彼が信じるもの、つまりオウム真理教だけど、それが崩れるから。それを期待していた】

と発言していた。それを聞いてようやく、さかはらあつしの行動原理が一本の筋で理解できるようになった。

そして、「謝罪」という行為にそんな効用を見出すことも出来るのだなぁ、と感じさせられる映画になった。

そして、「謝罪」というものとまったく違う向き合い方をしている加害者側と被害者を映し出すこの映画は、炎上・撤回・批判などが簡単に起こる現代社会において、多くの人が観て何かを考えるべき映画ではないか、と感じるのだ。

現代ほど、誰かを批判したり、何かが炎上したり、誰かを謝罪に追い込んだりすることが容易な世の中はない。世の中が寛容さを失ったとか、SNSが発達したからだとか、色んな理由は挙げられると思うのだけど、「誰かの過ちを許すことが出来ない」という感覚が根底にあることは間違いない。それは、感情は高度な言語を持つ人類という種にとって逃れようのない状態だと思う。しかし一方で、高度な知性と理性を持つ種でもあるのだから、自制することもできるはずだ。現代は様々な理由から、その自制のリミッターが壊れてしまっている。そういう世の中にあって、この映画は、「過ち」というものとどう向き合うべきかを考えさせる非常に良いテキストになるのではないかと思うのだ。

もちろん、監督と同じレベルで加害者(側)と接することは難しいだろう。そこまでのレベルを求めたいわけではない。けど、現代の「過ちは、それがどんなものであれ、どんな背景を持つものであれ、一刻も早く糾弾されるべきだ」というような過剰な風潮を冷ますための風にはなるのではないかと思うのだ。

加害者側は謝罪しないことを貫くことで誠実さを示し、被害者は謝罪を促すことで救済の手を差し伸べようとする映画だと僕は感じたし、そのテーマは、地下鉄サリン事件やオウム真理教という枠組みを超えて受け取られるべきではないか、と思う。

また、荒木浩という個人が、自分自身の内側をさらけ出していく過程も非常に興味深い映画だと感じる。

さかはらあつしは、結構核心をつく質問を荒木浩に投げる。例えば、「今でも麻原彰晃を信じているのか」と聞き、荒木浩は、

【誰かを師と定めるとはそういうことです】

と、「YES」という回答をする。さらにさかはらあつしは、

【仮定の質問だけど、もし教祖が(地下鉄サリン事件を)やったんだとしたら、教祖の価値はなくなるのか?あるいは、人間だから過ちを犯すこともあるのか、と考えて、それでも受け入れるのか?】

と聞く。この問いには、悩んだ末、荒木浩は答えを返さない。

さかはらあつしの質問の仕方も、非常に考えられていると感じる。映画やトークショーの中ではっきり主張はしていないけど、さかはらあつしは当然、「地下鉄サリン事件は麻原彰晃の指示で実行に移された事件だ」と考えているだろう。しかし彼は、荒木浩がそういう確信を持てないでいることも理解している。荒木浩は、

【裁判では、教祖の弟子の視点からの証言しかない。それを語るべき存在(=教祖)が出てこない】

という言い方で、「教祖が事件に加担しているのかどうか判断することはできない」と主張する。そして、荒木浩のその理解を尊重し、「もし教祖がやったんだとしたら」という言い方をしている。さかはらあつしは荒木浩に直接、「誰がやったんだと思う?」と聞いてもいるが、やはり荒木浩は沈黙したままだ。

さかはらあつしが「僕から連絡が来た時どう思った?」と質問した際の返答も、素直で面白い。荒木浩は、さかはらあつしが本を出していることは知っていたが、連絡をもらった時点ではあまりちゃんと読んでいなかったと告白した上で、「とうとう来てしまった」と心情を吐露する。こういう返答の一つ一つから、荒木浩が自分の考えていることを可能な限り真摯に丁寧に正確に伝えようとしていることが感じられる。

地元で食事をしている時も、「出家したと言っても、味覚が過去の記憶を刺激するし、出家したと言ったところで過去を無かったことに出来るわけじゃない」と素直に口にしているし、「子供の頃に買ったふでばこの輝きが消えていった」とか「弟が骨肉腫かもしれないと診断されたことで自分の考え方が変わってしまった」など、オウム真理教という宗教にどのように吸い込まれていったのかを語る場面は、誰もが荒木浩になり得ると感じさせるものではないかと思う。荒木浩は、様々な形で自分の欠落や変質を自覚した。そして、その時に一番近くにあったのが、たまたまオウム真理教だったのだ。荒木浩の話を聞きながら、「自分は大丈夫」という過信はやはり禁物だろう、と強く感じさせられた。

以前、心理学の本で読んで印象に残っている話がある。アメリカで、とある主婦が突然世界の終末を主張し、彼女の意見に多くの人が賛同し、ある種の宗教のような団体が生まれた。その団体は、何年何月何日に世界は終末を迎えると明確な予言をしていたこともあり、とある心理学者が自説の検証のためにその団体に潜り込むことにした。その心理学者が唱えていたことは、「信じていたものに裏切られた時、信仰心はさらに増す」というものだった。当然、その日を迎えても、世界は終末を迎えなかった。さて、信者たちはどう考えたか。その心理学者の予想通り、信者の信仰心は増していた。信者は、「自分たちが祈りを捧げたお陰で終末を回避することができた」と考えたのだ。

地下鉄サリン事件を起こした団体にまだ留まっているなんて異常だ、と考えるのはシンプルで分かりやすい。しかし人間の認知は、予想もつかない方向に歪んでいることは多々ある。荒木浩やアレフの信者を擁護する意図はないが、少なくとも僕は、誰もが荒木浩になり得ると考えているし、その立場に置かれたものにしか理解し得ない感覚があると思っている。僕には、まばたきを繰り返し必死で答えを探そうとしつつも沈黙せざるを得ない荒木浩が、知性や理性や感情の間で苦悩しているように見えた。

やはり、誠実な人なのだと思う。

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