【映画】「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道」感想・レビュー・解説
メチャクチャ良い映画だったなぁ。正直、観るかどうか迷うくらい、あんまり期待感はなかったのだけど、思ってたよりもずっと素敵だった。
しかしまさか冒頭、菅田将暉の声から始まるとは。
【心臓が止まった。えっ、嘘だろ?】
菅田将暉は高校時代、クラスメートと森山大道の写真集を見ていたという。かっけー、と思っていたそうだ。なぜ森山大道の写真集を見ていたのか。もちろん、琴線に触れたからだろうが、もうひとつ理由がある。
大阪府池田市。二人は同郷なのだ。
その後菅田将暉は上京し、俳優としてガムシャラに頑張った。それから、一本の映画と関わる。「あゝ荒野」、寺山修司の小説を原作としたものだ。
スチールの撮影をすることになった。集合場所は新宿ゴールデン街。指定された店で待つと、一人の男が入ってきた。照明も、三脚もない。マジかよ、こんなんでスチールを撮るのか。
【よろしく。森山です】
そう言って手を差し伸べられた時の菅田将暉の心境が、冒頭の引用だ。
この始まりで既に、なんというか掴まれてしまった感じがある。映画も、実にカッコよくスタートするのだ。
基本的には、写真家・森山大道の日常に密着する。しかし、日常と言ったって、写真ばかり撮っている。デジカメを片手に街をぶらつき、ひたすら撮る。いつも変なものを撮っている。不思議な写真家だ。
物語には横軸がある。この横軸が、「写真家・森山大道」という縦軸と見事に絡み合って、緊迫感のある映画に仕上がっている。
世界最大の写真展・パリフォトで、森山大道の処女作「にっぽん劇場写真帖」を復活させる。長らく絶版になっている、50年前に発行された写真集を、編集者と造本家が「復刻」ではなく「再構築」として発売しようというのだ。
この企みが、実に魅惑的だ。
映画の冒頭、カメラは北海道にいる。雪深い山奥で、何やら木を切っている。木? そう、木だ。造本家は、写真集のための紙を造ろうとしている、そのための、伐木なのだ。
とまあこんな具合に、「森山大道の日常」と「写真集の復刊」が入り混じりながら映画が展開されていく。
普通なら、森山大道がどんな来歴をたどり、子ども時代はどうで、というような要素もドキュメンタリー映画の中には入ってくるだろう。しかしそんなものはほとんどない。この映画で扱われるのは、森山大道が過去に出版した写真集に載った写真と、中平卓馬だ。
中平卓馬。森山大道にとって彼は、盟友と呼んでいい写真家仲間だ。密着中、森山大道は100回以上も彼の名前を出したという。
20代に逗子で出会った二人は、まだ世間に名を知られていない若者であり、海岸から少し離れた岩場で甲羅干しをしながら、当時の写真家たちの悪口を言い合った。二人で写真界に殴り込みをかけ、「PROVOKE」という雑誌に共に関わり多くの後進に影響を与えた。
中平卓馬は、三年前に亡くなった。
ある日彼は、ジャック・ケルアックの「路上」のTシャツを着て青山へ写真を撮りに行く。かつて中平卓馬から勧められた小説だ。「路上」に衝撃を受けた森山大道は、すぐさま旅に出て、写真集「狩人」を発表した。
森山大道は映画の中で何度も、「私は中平卓馬しか見ていなかった」と語っている。
森山大道はあまり語らない。映画には、イベントや講演会で喋っているシーンも収録されるが、この映画のカメラの前で語る場面は極端に少ない。
その数少ない場面で、面白いことを言っていた。
【写りゃいいんだから。カメラはコピー機にすぎない。だからいい】
この発言の背景には、フィルムカメラの作品で評価されてきた森山大道の経歴が関係している。ある時イベントで森山大道は、デジカメでしか写真を撮らなくなった理由や、デジタルとフィルムの違いなどについて質問をされた。それに対して、「好きな印画紙が製造されなくなったから」など実際的な理由を挙げてもいたが、「過去の自分と今の自分は違う」というような言い方で問いへの答えとしていた。
そのすぐ後の場面で、この映画の監督が森山大道に、「今この場面、フィルムで撮りたかったなぁ、みたいなことってないですか」と、フィルムで撮らなくなって久しい森山大道に改めて問うている。それに対しての答えが、「写りゃいいんだから」なのだ。
面白い。
何が凄いのか説明はできないが、確かに森山大道の写真には、強く惹かれる何かがある。「森山大道が撮った」ということを知らなくてもきっと惹かれただろう、と思うような写真が多い。
確かに過去の写真はフィルムで撮ったものが多いから、ということもあるかもしれない。しかし、デジカメで撮っているだろう最近の写真にも、同じような何かを感じる。
そんなに高くもなさそうなデジカメ(でっかいレンズがついてるようなものじゃなくて、写ルンですぐらいの大きさ)だから、さほど高機能というわけでもないのだろう。そう考えると、カメラの性能とか技術とかではない何かなんだろう、と考えるしかない。
結局のところ、「写真家が何を見ているのか」という視点の問題なのだろう。
森山大道が撮影をしている場面を観ていると、先程も書いたが、変なものばかり撮っている。壁に貼られたポスターやショーウィンドウの中、メイド喫茶の看板に写る女性など、「そもそも広告的に作られた人工物」を多く撮っている。それらが、森山大道のカメラを通じて写真になると、なんだか不思議な力を持つ。現代の渋谷を写していても、どことなく昭和感が漂う。
痛車やメイドも撮影していたし、それらも何故か、良さげに見えてくる。まあそれが、才能ということなのだろう。と、安易な結論に逃げるしかない。
写真界に殴り込みをかけた実験作は、酷評される。その後しばらくの間、「写真とは何か?」を考えすぎて、写真が撮れなくなってしまう。
そんな時、一枚の写真が彼の目に留まる。190年前のフランスで、科学者のニエプスが8時間掛けて撮った庭の写真。これが世界最古の写真だそうである。
その後森山大道は、フランスで芸術文化勲章を授与される。その授与式のスピーチでニエプスに触れ、
【ニエプスからいただいた賞だと思っています】
と発言していた。
編集者と造本家が、パリフォトの300日前から準備をスタートさせた森山大道の処女作の復刊本は、わずか10分で完売したそうだ。
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