【映画】「夜を走る」感想・レビュー・解説

内容に入ろうと思います。
銅や鉄のスクラップを生業とする武蔵野金属で働く秋本と谷口。秋本は、真面目で実直な正確ながら、仕事で成果を上げられるタイプではなく、上司の本郷からいつも嫌味ばかり言われている。一方の谷口は、妻子がありながら女遊びも適当にやり、社内での評価もそこそこという世渡り上手だ。そんな2人は何かと気が合うようで、飲みに行ったりしている。
ある日工場に、営業だという若い女性がやってきた。本郷が対応し、普段しないような工場見学に案内するなど、気に入っている様子だ。
その日、飲み終わって帰ろうとした秋本と谷口が、駅まで偶然その女性と鉢合わせた。流れで飲みに行くことになり、谷口はふざけて、彼女が出来たことがない秋本とその女性をくっつけようとする。
そしてその夜から、秋本と谷口の生活は一変することとなる。
しばらくして工場に警察がやってきた。本郷に用事だという。谷口が後から社内の人間から無理やり聞き出したところによると、どうやら以前営業に来た女性が行方不明になっているとのこと。最後の通話記録が本郷だったことから、警察がやってきたというわけだ。
その事実を知った2人は……。
というような話です。

映画を観ながらずっと、「この作品は、どう終わるかで評価が結構変わるなぁ」と思っていた。僕の場合は、「異様さ」や「狂気」が噴出する映画に対してそう感じやすい。たぶん、「単に『異様さ』や『狂気』を撒き散らすだけならそう難しくない」と僕自身が考えてしまっているのだと思う。だから、「なんとなく『その作品らしい』と感じるラストかどうか」で映画全体を判断してしまう。

そしてこの映画の場合、僕はラストにそこまでしっくりしたものを感じられなかった。「狂気」や「異様さ」が”投げっぱなし”になってしまっているような印象を受けてしまったのだ。特に、ラストでもう少し秋本について描かないと、ちょっと収まりが悪いのではないか、と感じた。もちろん、「秋本のその後については観客の想像に委ねる」みたいな選択がダメだとは思わないが、秋本の物語が、「◯◯を持って狂ったように踊る」ところから「◯◯の家に行く」で終わっているのは、ちょっとさすがに描かなすぎではないかという気がする。

作中で描かれる「狂気」「異様さ」は結構好きで、特に物語中盤の、秋本が「ニューライフデザイン研究所」に足を踏み入れてからの「狂気」はなかなかのもので、観ているこっちの何かも合わせて狂っていくような世界観はかなり良かった。また、秋本が「◯◯」を手に入れるシーンは、狂気と狂気があの瞬間だけ奇跡的にカチッと嵌ったみたいな気持ちよさもあって、そういう展開の妙も良いと思う。

また、「結局こいつがいたらか色んなことがややこしくなっとるんやん」という立ち位置である谷口の振る舞いが絶妙で、こういうヤな奴いるよなぁと思いつつ、客観的に観て「見事」としか言いようがない言動には、「リアリティ」と「異様さ」がきちんと同居している感じがあって良かった。

あと「異様さ」でいえば、松重豊が見事だったなぁ。出番こそ少ないものの、見事な存在感だった。登場人物のほとんどが、「突発的に付加された異様さ」を発しているのに対して、松重豊の役は「板についた異様さ」という、他の人とは本質的に異なるヤバさであることが重要で、それを見事に演じている感じがした。

そんなわけで、結構好きな感じの作品だっただけに、個人的にはラストにちょっと不満がある。もう少し着地が良ければなぁ、という感覚がどうしても残ってしまった。

あと、工場で働く従業員の1人が、絶対に芸人「ニッポンの社長」の「ケツ」だと思ったんだけど、エンドロールでもそんな表記出なかったし、調べても違うみたい。あと、刑事役の役者もマキタスポーツだと思ったら違う人だった。

あと、エンドロールで「企画協力 日本出版販売」って出たんだけど、どういうことなんだろう?

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