【映画】「渇きと偽り」感想・レビュー・解説

なかなか良い映画だった。なるほど、そういえば『渇きと偽り』ってタイトルの海外ミステリ小説があったなぁ、と思い出した。あれの映画化なのか。

内容に入ろうと思います。
アーロンは、衝撃的な悲報に触れた。学生時代の旧友・ルークが、妻と子どもを殺し、自ら自殺したというのだ。彼らが住むキエワラの町は、324日間も雨が降っていない干ばつ地帯。アーロンの故郷でもある。今は連邦警察として働くアーロンは、友人の葬儀に参列するために故郷へと戻った。
故郷の町は、アーロンに冷たい。というのも、かつてこの町で1人の少女が亡くなり、アーロンはその死に関わったと疑われたからだ。アーロン、ルーク、エリー、グレッチェンの男女4人が仲良く、よく遊んでいたのだが、ある日エリーが川で水死体で発見されたのだ。ルークとアーロンは、その日のアリバイについて、警察に対して嘘をついた。そのことが、今でも尾を引いている。
ルークもエリーの死に関わったのではないかと疑われており、町の住人からの評価は芳しくなかった。そんな中でのこの事件だ。町の住民は誰もが、「ルークが家族を殺して自殺した」と信じて疑わなかった。
ルークの両親を除いては。
アーロンがルークの両親を訪ねると、母親のバーグが、息子がやったんじゃないと主張する。ルークに託していた農場の経営で苦労して、借金があったのかもしれない。だからルークの帳簿を確認してもらえないか、というのだ。事件の捜査は既に終了している。しかもアーロンは、この事件の捜査権限を有していない。そう伝えると父親から、「あの時、お前たちが嘘をついていたことを知っているぞ」と、半ば脅すようなことを言われる。父親はバーグの気が済めばいいと思っている。だから、とりあえず帳簿を見るだけ見てくれないか、と。アーロンは気乗りしなかったが、帳簿は見ますと約束した。
そんな風にしてアーロンは、この事件の捜査に関わっていく。
そもそも歓迎されざるアーロンだが、ルークの事件を再捜査していると知った住民は、一層アーロンへの怒りを蓄えていく。特に、エリーの父と弟は、敵意むき出して向かってくる。
それでもアーロンは、初めて殺人事件の捜査に関わる地元警官と共に、一体何が起こったのか探っていくのだが……。
というような話です。

1つ難点を挙げるとすれば、冒頭からしばらくの間、誰と誰がどういう関係で、過去の回想映像の若者のどれが現在の誰に対応していて、過去に何が起こったのかということを理解するのがなかなか難しい。まあ、そういう風に作られているから当然だ。特に、エリーの死に関するエピソードは、ルークの事件の捜査の合間合間に断片的に組み込まれていくので、小出しにしか情報が出てこない。そういう意味で、作品の状況を理解するのにちょっと手間取る内容だ。

主人公のアーロンは、生まれ故郷での評判は非常に悪いのだが、ある刑事事件において稀な活躍をしたことで新聞で取り上げられたこともある人物だ。故郷を離れれば、実に評価の高い人間なのだ。ただ、エリーの死が、未だに魚の骨のように突き刺さっている。故郷に戻ってきたこと、そしてルークの死に触れたことで、余計に過去の記憶が強く蘇ってくる。

映画の中でルークは、ほぼ過去の回想映像にしか登場しないが、回想の中のルークは、「おふざけ」のつもりで度を越してしまって空気を悪くし、その後軽薄に謝るが絶対に悪いと思っていないだろうと感じさせる人物として描かれる。アーロンは映画の中でそう断言するような言動を示さないが、しかし、恐らくアーロンは、「エリーを殺したのはもしかしたらルークなのではないか」と疑っているのではないかと思う。

その視線は、キエワラの町の住民も抱いていた疑惑だろうし、さらに言えばその疑惑は、アーロン自身にも向けられていたと言える。

この設定が、状況を非常にややこしくする。

観客の目から見れば、アーロンは純粋に真相究明のために動いているように見える。しかし、町の住民にはそうは見えない。「あいつは、ルークと一緒にエリーを殺したんじゃないか?そのルークが家族を殺した事件を探ってるのは、『旧友の仕業じゃない』とルークを庇うためなのでは?」みたいな見られ方がされているのだろう。だから、キエワラの町の住民の大半は、アーロンの再捜査を「余計なおせっかいだ」と考えている。そう教えてくれたのは、かつての仲良し4人組の1人グレッチェンだ。

グレッチェンは、ルークの妻カレンが働いていたのと同じ学校で働いている。そこは、アーロンたちが通っていた学校でもある。ルークについて調べる過程で、カレンについても調べる必要があり、結果としてグレッチェンに会う機会も増えるのだ。

恐らくだが、アーロンとグレッチェンは、エリーの事件以降ほとんど会っていない。ルークの葬儀で久々の再会となったのではないだろうか。エリーが死に、その死にルークとアーロンが疑われ、さらにルークがこんな形で亡くなったことで、2人は「久々に再会を果たした旧友」のようなシンプルな関係を築けない。どうしても、エリーやルークの事件の話になってしまい、かつてのような気安さを取り戻すには多くのことが起こりすぎてしまった。

そしてそれらすべてのややこしさの背景に、キエワラという町の閉鎖的な環境がある。キエワラというのは架空の町だそうだが、肉体労働者が多そうな郊外の田舎という感じなのだと思う。そして、住んでいる者同士の仲間意識みたいなものが強く、部外者を歓迎しない。そういう閉鎖性こそが、エリーの死を含め、ありとあらゆる出来事の原因となっているのではないかと思う。

この映画の感想をチラ見すると、「ミステリなのに展開が弱い」みたいなことを書いている人が結構いる。僕はそもそも、あんまりミステリだと思って観てなかったこともあり、その辺りのことはさほど気にならなかった。確かに、ミステリだと思って観ると、起伏が少なくて物語性に欠けると感じたかもしれない。

メチャクチャ良かったわけではないが、じんわりと染み出してくるような面白さのある渋い作品だと思う。

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