【映画】「ミセス・クルナス vs. ジョージ・W・ブッシュ」感想・レビュー・解説

面白い映画でした! 本作は、実話を基にした作品で、普通に描いたらシリアスになってしまいがちな物語なんですが、全体的にとてもポップに楽しい感じに仕上げているのが良かったなと思います。僕は普段から「シリアスな実話を基にした映画」を観るけど、やはりそういう作品は一般的に、あまり広くは観られないように思います。でも本作の場合は、扱われる内容はシリアスなのに全体的にはコメディ的に進んでいくので、色んな人が楽しく観られる作品じゃないかと思います。

主人公は、ドイツに住むトルコ人の母親なんですが、まさにこの母親が「オカン」って感じの人で、そのパワフルさとか思いやりの深さみたいなものに、結構グッと来るんじゃないかと思います。

しかし扱われているのは、なかなか酷い現実だ。なにせ、「なにもしていない息子が、1509日に渡って、キューバにある米軍のグアンタナモ収容所に拘束され続けた」というのだから。実に4年以上も不当に拘束されたままだったのだ。というわけで、まずはその辺りの背景から説明していこう。

物語は、2001年10月3日に始まる。この日は、ドイツの統一記念日のようだ。テレビでそのようなアナウンスが流れていた。その日、長男のムラートを起こそうと部屋に入った母親のラビエ(ミセス・クルナス)は、息子がいないことに気づく。他の兄弟に聞いても、行方が分からない。するとしばらくして、イスラム教のモスクの人と一緒にいたという情報が入ってくる。妹を連れてモスクを訪ねるも、状況は分からないまま。しかしどうやら、パキスタンのカラチへ向かったようだ。

実はムラートはイスラム教の妻と結婚したため、ムスリムとしてより信仰を深めようと「コーランの集まり」に出席する予定だったのだ。親に反対されることは分かっていたので、黙って。

普段であれば、この行動も大した問題にはならなかっただろう。しかし、時期が最悪だった。2001年10月と言えば、9.11テロからまだひと月しか経っていない頃だ。そのため、「イスラム教徒=タリバン」というイメージが世界中に定着していた。そのため、息子の行方も知れないまま、ある日ラビエは自宅周辺にマスコミが押し寄せている状況に遭遇する。マスコミから「タリバンの家だと聞いた」と聞かされた。意味が分からない。そしてムラートは、「ブレーメンのタリバン」としてマスコミに報じられることになったのだ。

しかしそもそも、息子がどこにいるのかさっぱり分からない。そんなある日、ようやく情報が入った。翌年1月30日に、グアンタナモ収容所に入れられたことが分かったのだ。後に弁護士が「法的な無法地帯」と評すことになる、最悪の収容所である。

ラビエは、赤十字・アムネスティ・教会など様々なところに支援を求めたが、誰も応じてくれない。そこで、電話帳で見つけた弁護士ドッケのところに予約も無しに押しかけ、「息子がグアンタナモにいるんです」と直談判した。

当初、メチャクチャ押しの強い女性を邪険に扱っていたドッケだったが、「グアンタナモ」と聞いて、別の予定をキャンセルした。そして、妻や事務所の面々の反対を押し切って、ラビエの弁護を手弁当で行うことに決めるのである……。

というのが、本作の基本的な設定である。

あと説明すべきは、「グアンタナモ収容所」についてだろう。

以前僕は、『モーリタニアン 黒塗りの記録』という映画を観たことがある。この作品も同じく、「タリバンと関係があると疑われたモーリタニア人がグアンタナモ収容所に入れられ、それを人権派弁護士が救う」という実話を基にした物語だ。

本作『ミセス・クルナス vs. ジョージ・W・ブッシュ』はコメディタッチの作品なので、「収容所の悲惨な現状」については写真ぐらいでしか提示されないが、『モーリタニアン』では収容所内の様子も描かれている。そこでは「拷問」が行われていたのだ。法治国家とは思えないやり方である。

そう、本作でも、弁護士ドッケがこの件を引き受けた最大の理由として、「民主主義の危機」が挙げられる。ラビエはもちろん、ムラートが無実であると確信していたが、ドッケの方は決してそうではない。「タリバンかもしれないし、タリバンでないとしても何か悪事を働いているかもしれない」と思っていたはずだ。しかしそれでも弁護を引き受けたのは、「ムラートらグアンタナモ収容所に入れられている者たちが、一切の裁判もなく拘束されているから」である。そんなことは法治国家で許されるはずがないと立ち上がったのだ。

この点に関しては、映画の後半である記者とのやり取りが印象的だった。何年も解放されないムラートについての機運を盛り上げるべく開かれた記者会見なのだが、その中で記者の一人が、「個別の事案はともかくとして、あなたは、イスラムの原理主義者にも人権を与えるべきだと考えますか?」と質問する。これは明らかに「ムラートがタリバンである」という想定の下でなされている質問だろう。

それに対してドッケは、「民主主義を蔑ろにすることは、テロリストに口実を与えることになる」と返す。なるほど、という感じではないだろうか。確かに、民主主義国家に生きる者が民主主義を蔑ろにすればするほど、「ほら、民主主義なんか上手く機能しないじゃないか」と、革命を推進しようとする者たちに口実を与えることになってしまうだろう。だからこそ、何が何でも「民主主義」を保持し続けなければならないのだ。

さて、グアンタナモ収容所の話に戻ろう。さて、「グアンタナモ収容所では、裁判もされずに拘束されている者がいる」という事実は、すぐにではないにせよ、アメリカ国内でも知られるようになっていく。これに対して、アメリカ国家はどのような対応をしていたのか。

アメリカの理屈はこうだ。そもそもグアンタナモ収容所はキューバにある。つまり、アメリカの国外だ。そして国外なのだから、アメリカ国内の法律は適用されない、と。何を言っているんだお前らは、という感じだろう。なにせ、例えばこれを日本の米軍基地に置き換えるなら、「日本の米軍基地は日本国内にあるんだから、アメリカの法律は適用されない」となるだろう。しかし実際には、細かなルールは知らないが、日本国内の米軍基地では日本の法律は適用されず、恐らくアメリカの法律で成り立っているんじゃないかと思う。二枚舌にも程がある。

ラビエがドッケに、グアンタナモ収容所について説明された時、「ブッシュは内の息子をいくらでも自由に拘束できるってこと?」と聞く。それに対してドッケは、「理論上は」と返すのだ。もちろんドッケはそのような現実を認めていないわけだが、少なくとも現実はそのように進行してしまっているのだ。まったく凄まじい世界である。そして結局、ムラートは1509日間もグアンタナモ収容所に拘束された。そして驚くべきことに、9.11から20年以上経った今も、グアンタナモ収容所には39人も収容されているのだそうだ。いつから拘束されているのかは不明だが、恐らくテロから数年以内には拘束されただろうから、少なく見積もっても15年以上ということになるのだろうか。それが、裁判も無しに行われているのである。なんとも恐ろしい世界だ。

さて、アメリカが酷いことは議論の余地がないと思うが、それ以外にも酷い状況はある。ここには、「ドイツ在住のトルコ人」という、ムラートの立ち位置が関係している。

まず、ムラートがグアンタナモ収容所に拘束されていることが分かってからも、ドイツもトルコも特に動かなかった。お互いに、「トルコ出身だろ」「ドイツ在住だろ」と、自国の責任ではないと押し付け合ったのだ。まあ、気持ちがまったく分からないとは言わない。そりゃあ、クソめんどくさい案件だろうから、出来るだけ自分のところで対処したくないのもまあわからんではない。ただ、観客としては、ムチャクチャ大変な弁護を手弁当で行っているドッケを観ているわけで、やはり「国がなんとかしろや」って感じてしまう部分もある。

さらに驚くべきは、映画後半で明らかになるドイツのある対応だ。これは後半の展開なので具体的に書くことは伏せるが、「その決定はあまりにも酷すぎるだろ」と感じるような対応をするのである。さすがにちょっとそれは酷すぎるし、あまりにも保身が過ぎる。

ただ、「日本がもし同じ状況に巻き込まれたら、きっとドイツと同じような対応をするんだろうなぁ」とも感じた。日本もこういう時、結構酷いからな。

さて、そんなかなりシリアスな現実が描かれる作品なのだが、映画は全体的に「常に陽気な母親ラビエ」と「そんなラビエに振り回されつつ信念を貫こうとする弁護士ドッケ」のドタバタの日々という感じで、とても面白い。主演を務めた女性は、ドイツでは有名なコメディアンだそうだ。それもあってだろう、とにかく全編を通じて「楽しさ」に満ちている。

一方のドッケは、僕がイメージする「ザ・ドイツ人」という感じで、「生真面目が服を着た」ような人物だ。しかし、そんな彼のペースを狂わすようなラビエとの関わりの中で、ドッケも色々と変わっていく。体調を崩したラビエに、「一緒に来てくれないと困る」と言ったドッケに、ラビエが「どうして?」と返すのだが、それに対するドッケの返答はとても素敵だった。ラビエも、「あなた、良い人ね」と返したぐらいだ。

しかし驚いたのが、エンドロールで実際の写真が流れるシーン。特にドッケが激似だったのだ。ラビエの方もかなり似ていたが、ドッケは「実際の弁護士が映画に出演したんじゃないか」と思うぐらい似てた。ちょっと調べてみると、監督のインタビューが見つかったのだが、そこにはこんな風に書かれている。

【その結果、私たちが戸惑ってしまうくらいベルンハルトに成りきって演じてくれました。撮影現場にベルンハルトが来てくれたことがありましたが、衣装を着たアレクサンダーと並ぶと、どちらが本物かわからないくらい似ていたのです。】

ホントに、役者って凄いよなぁと思う。ホントにそっくりでマジでビビった。

というわけで、楽しく観られる作品だと思う。そして、「時として(アメリカ)国家は、これほど残虐になる」「民主主義を手放したら社会は成り立たない」みたいなことをふんわり理解できる感じも良いんじゃないかと思う。楽しい作品でした。

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