【映画】「たゆたえども沈まず」感想・レビュー・解説

観て良かった。
序盤からしばらく、ずっと泣いてた。
やっぱり僕の中で、東日本大震災というのは、表現は変だが”別格”の存在だ。
地下鉄サリン事件も9.11もリアルタイムに知っているけれど、東日本大震災は僕にとって、そういうものとまったく違う部分にある。

この映画を観て一番良かったと感じることは、「分かりにくさ」だ。

震災について伝えるニュースを見ると、どれも分かりやすい。悲惨な光景、泣き叫ぶ人々、避難所で辛そうにしている顔。どれも、「震災」という言葉で”我々”が簡単にイメージできるものだ。それは、とても分かりやすい。

しかし、そんなはずないよなぁ、と思う。そんな「分かりやすい」面ばかりのはずがない。

映画の冒頭で、僕がリアルだなぁ、と感じた場面がある、本当に、ほんの一瞬だった。テレビ岩手の盛岡支局内の地震発生当時の映像のはずだ。

壁に掛けられたテレビが倒れてこないように必死で押さえているスーツ姿のおじさんが、笑ったのだ。

たぶんこの映像は、ニュース映像には流れないと思う。端っこで一瞬笑ってただけなので、気づかない人は気づかないかもしれないが、一部の人は確実に気づくだろう。そして、「こんなに大変な揺れの中で笑っている人がいる」というような意味不明な切り取られ方がされるかもしれない。だからきっと、テレビの放送には流れない。

けど僕は、これこそリアルだよなぁ、と感じた。

笑ったおじさんも、面白くて笑ってたわけじゃないだろう。自分の力ではどうにもならない、圧倒的な現実の脅威を前にして、笑わざるを得なかったというのが正しいと思う。

地震発生直後の釜石を撮った映像もある。地震直後は、まだ津波が押し寄せてはいなかった。高台に非難する人たちも、だるそうに階段を上っている。緊迫感がない。高台にたどり着いた後も、比較的呑気に話をしている。

しかしその後、津波が釜石の街を飲み込む。そしてその瞬間でさえ、人々の反応は様々だ。泣き叫ぶ女性もいれば、何も起こっていないかのように無表情のまま歩く少年もいた。

宝来館という旅館のすぐ裏手には山がある。当時働いていた従業員や女将、そして宿泊客らは、その裏山へ逃げる。逃げ遅れた人たちのすぐ後ろに津波が迫っている。山に逃げ込んだ者たちは、下にいる者に「早く!早く!」と声を掛ける。下にいる者も後ろを振り返り、津波の存在を認識する。

しかしそれでも、慌てる素振りを見せない。

もちろん、恐怖で足がすくんだのかもしれない。怪我や高齢の方と共に逃げていたのかもしれない。そこまでは、映像だけからでは分からない。しかし、これも一瞬の映像だったが、後ろを振り返り、明らかに津波の存在を確認したにも拘わらず、走り出そうともしなかった人たちの姿は印象的だった。

このように、物事は全然分かりやすくない。

ニュースだけ観ていると、どうしても「分かりやすい切り取り方」に慣れてしまう。それが当たり前だと思い込んでしまう。しかし、世の中には色んな人がいて、いろんな感じ方があって、色んな行動がある。短い時間の中で何かを伝えるためには、分かりやすい切り取り方をするしかないのは当然だと理解した上で、そこで切り取られてしまった側の、「分かりにくさ」の方にも、関心を向けたいものだと改めて感じた。

映画は、前半は震災のほぼ生の映像を様々に繋ぎ合わせており、後半は様々な人物に焦点を当てながら、震災時の状況やそこからの生活などについて特集のように描いていく構成になっている。

後半の展開も良かったのだが、やはり個人的には前半の、震災直前から直後、あの時一体何が起こったのかを生々しく記録した映像に打ちのめされた。

震災当時、5度を切る真冬並みの寒さだった釜石で、焚き火にあたる人々。

ストーブや津波による漏電で火災に包まれた大槌町。消火活動には丸5日間掛かったという。

宮古市の国道の交差点のど真ん中に流されてきた民家。

57名の方が亡くなった老人ホーム。

瓦礫を片付けている最中に津波警報が鳴り、海から必死で離れようと走る人々。

残った米をかき集めて、風呂場の水でご飯を炊いた避難所。

こういう、現実に起こったことを、その時のそのままの状態で切り取った映像には、やはり強く打ちのめされてしまう。

そして、その信じがたいような苦痛・衝撃の中にも、やはり笑顔はある。心の底から強い人なのかもしれないし、笑ってなければやっていられないのかもしれない。そういう笑顔は、やはり印象的に映った。

あと、やはり凄まじいなと感じたのが、カメラマンの根性(?)だ。震災直後、まだメチャクチャ揺れている時点で、局内の状況をカメラで撮っている。棚などが倒れないように職員が押さえ、机上の書類などが落ち、照明がぶらぶらと不気味に揺れ、緊迫した声が飛び交う状況を、何も逃すまいという丁寧さで撮る。

私は、最大震度7という地震の揺れを経験したことはないが、恐らくそんな状況では、霊性な判断はできないだろう。カメラマンというのは、起こったことを記録するのが使命であり、それを、どんな時でも瞬時に真っ当しようとするそのプロ意識みたいなものには、やはり凄まじさを感じた。

後半では、三陸鉄道を主軸にしながらも、震災前日に双子の妊娠が判明した夫婦や、夫の死亡届が出せないでいる女性、かつて家があったところに再び家を建てるか悩む老夫婦など、被災地で生きる者たちの葛藤が切り取られていく。

大槌町の人口は、震災時から30%も減少している。1650億円を掛けて土地区画を行った陸前高田では、その半分の利用が決まっていない。

現実は、なかなか厳しい。

それでも、日常は続いていくし、立ち止まってもいられない。

震災後だが、一時期岩手県に住んでいたこともあり、東日本大震災は僕の中で非常に大きな存在である。簡単に「復興」という言葉は使いたくないが、決して元通りになることはない日常の中で、「復興したのかもしれない」と感じられる日が、誰の元にも訪れてほしいと改めて思う。

サポートいただけると励みになります!