【映画】「WANDA/ワンダ」感想・レビュー・解説

何が良かったのかとても説明は難しいのだけど、なんだかとても良い映画だった。50年以上前の映画とは思えない、「50年以上前を舞台に、50年以上前の映像の質感を再現して現代で撮られた映画」と感じてしまうほど、まったく古さを感じなかった。

相変わらず、まったく前情報を知らず、映画館で観た予告になんとなく惹かれて観ることを決めたので、驚くことばかりだった。

先程書いたように、そもそも1970年の映画だとは思っていなかったので、その「古臭さがまったくない感じ」に驚かされた。70年代当時、どのような映画が主流だったのか、僕には知識はないが、どれだけ傑作と呼ばれる作品を観てもやはり、50年以上前に撮られた映画からは「古臭さ」を感じるだろう。それがまったくなかったことにとにかく驚かされた。

また、エンドロールを観てさらに驚いた。主演の「ワンダ」を演じた女性が、監督・脚本も担当していたのだ。その何に驚いたのかよく分からなかったが、「マジか」と思った。

たぶんそれは、「ワンダ」という役を彼女がとても見事に演じていたことが理由だと、今考えると思う。

ワンダは、自分でも「バカなの」と口にしてしまうほど、頭があまり良くない。買い物を頼まれるシーンがあるのだが、買ってくるものが何なのか何度も繰り返し尋ね(バーガーと新聞の2つしか頼まれていない)、「ホテルを出て左に曲がって2軒先」という道案内も何度か聞き返す。さらに、「部屋の番号を忘れちゃったからフロントの人に聞いてたの」と、ついさっき出たばかりの部屋を忘れてしまう始末だ。

恐らく現代であれば、何らかの病名が付くんじゃないかと感じるような、そんな女性である。

そして、主演の女優を「ワンダ」と同一視していたが故に、「そんな”ワンダ”が映画を作ったのか」みたいな驚きになったのかな、と思う。それはそれで、僕のアホみたいな感想ではあるのだが、ある意味でこれは、主演女優が「ワンダ」という女性を見事すぎるほどに演じていたからこその勘違いかもしれないとも思う。

ワンダは、もの凄くダメダメなのだけど、なんだかもの凄く魅力的に映る。しかしその魅力は残念ながら、彼女を決して「安定」には導かない。

冒頭でワンダは、夫から離婚を切り出される。裁判に出廷するのだが、ワンダは「夫が離婚したいと思っているならそれでいい」と投げやりだ。50年以上前であれば余計に、「女性は家で家庭を守る」みたいな風潮が、アメリカでも強かっただろう。そしてワンダの魅力は、男が女性に対して望むそのような期待を実現するものとしては発露しない。

一方でワンダは、とても美しい。しかも、ワンダは、美しく着飾っているわけではなく、頭にパーマのカーラーを巻き、パジャマのような格好で裁判に現れ、とても疲れが滲んだ表情をしているのだが、それでもどことなしに美しさを感じるような、そんな女性だ。

リンダは、とても美しいが、着飾っていない感じや、状況こそよく分からないが何か困っているような雰囲気を滲ませるため、「男が近づきやすい雰囲気」を放っているとも言える。この点は決して、私にとってのワンダの魅力ではないが、映画の中ではこの雰囲気が彼女をギリギリ生かしている。およそ社会生活に向いていないとしか言いようがないワンダだが、そんな彼女がそれでもどうにか生き延びていられるのは、なんだかんだで周りの男が手を差し伸べるからだ。

個人的に興味深いと感じるのは、ワンダにはどうも「現実認識能力」が欠けているように感じられることだ。100人いたら100人が「A」と判断するだろう場面で、ワンダはどうも「A」と判断している雰囲気がない。かと言って、「B」「C」など別の判断を下しているようにも見えない。ワンダは常に、自分の目の前に存在する現実を特段の解釈を挟まずに捉えているように見える。どんな状況でも、「常識的に考えて、この状況はおかしい」みたいな判断が下されることがないのだ。

そして僕には、そんなワンダがとても魅力的に映る。それは、ワンダが長い間に身に着けたある種の「処世術」なのかもしれないし、あるいはただ何も考えていないだけなのかもしれないが、とにかくそんな「現実を解釈せずに受け入れている」というワンダのスタイルが、変人好きな僕には凄く素敵に映る。

もちろんワンダのこのスタンスは、「求められたことをこなす」という方向には上手く機能しない。現実を解釈しないのだから、「自分に何が求められているのか」という思考も働かないからだ。だから、「妻」や「母」という立場には上手くハマらない。なかなか「安定」という状態に留まることは難しい。

一方で、普通なら躊躇したり立ち止まったりする場面でも、ワンダはその歩みを止めない。「現実認識能力」が欠けているということは、彼女のブレーキとなるものがないことを意味するからだ。だから、周りの男からの”支援”(それは本当の意味で”支援”と言えるのか分からないが)を特に何も考えることなく受け入れ、するっとその世界に移動していくことができる。

そういうスタンスだからこそ、不安定ではあるものの、どうにかワンダは生き延びられているとも言える。

そして、そのようなワンダのスタンスを、主演のバーバラ・ローデンは実に見事に演じるのだ。この映画で描かれる「ワンダ」をリアルに成立させるのは非常に難しいと感じるのだが、彼女はまさに「ワンダ」であるとしか言いようがない存在として映画に生き続けている。

公式HPに、バーバラ・ローデンの言葉が載っているのだが、それを読むと、彼女自身がまさにワンダのような人であったのかもしれないと感じさせられる。

【私は無価値でした。友達もいない、才能もない。私は影のような存在でした。『ワンダ』を作るまで、私は自分が誰なのか、自分が何をすべきなのか、まったく分からなかったのです】

公式HPに載っている経歴によると、『WANDA』を制作した時、彼女は38歳だったようだ。女優としてデビューし、後に23歳年上の巨匠映画監督と結婚したと書かれており、傍目には恵まれた人生であるように観られていたかもしれないが、彼女自身の実感としては38歳まで「何者でもなかった」というのだ。そのような「何者でもない感」は確かにワンダにも見受けられるし、バーバラは自身を投影する形で「ワンダ」という女性を描き出したのかもしれない。

映画は、ストーリーはあるようなないようなという感じで、とにかくワンダという女性の魅力で最後まで観させてしまうような力強さがある。冒頭ですぐ離婚、バーでビールを奢ってくれた男性とモーテルに行くが、男はワンダの元を去る。映画館で僅かな所持金を奪われ、その後トイレを借りると言って閉店後のバーに潜り込んだワンダは、そのバーにいたデニスという男と行動を共にすることになる。という展開だ。物語の大半は、ワンダとデニスが逃避行を続けながら、奇妙な関係性を構築していく描写で占められる。

印象的だったのは、感情が存在しないかのような表情を常に浮かべるワンダが、デニスから褒められる場面だ。とても嬉しそうだった。表情らしい表情を見せないワンダだからこそ、その笑顔は印象的だった。その一瞬に、「これまでの人生でほとんど褒められたことがなかったんだろうな」という事実が詰め込まれている。観客に「切なさ」を惹起させる笑顔だった。

あとは、ドキュメンタリー感の強い、手ブレ満載の映像で撮られていることが、ざらついた画質であることと相まって、なんとも言えないリアリティを醸し出していたと思う。手ブレの感じが、ワンダの「不安感」を表している感じもあって、常に「安定」とは無縁だっただろうワンダの、さらに安定からかけ離れた状況を描き出す映画として非常にしっくりきた。

正直、そこまで観るつもりのない映画ではあったのだけど、観てよかった。映画館のサービスデーと休日が重なったこともあるだろうが、劇場はほぼ満員だった。

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