【映画】「ある人質 生還までの398日」感想・レビュー・解説

人質になった本人やその家族の苦労、心情については誰もが共感するだろうし、特に人質になった彼の辛さは察するに余りあるほどだ。ただ、一定の理解ができるからこそ、そのことそのものについてここであれこれ書こうとは思わない。

僕が考えさせられたことは、デンマーク政府の対応だ。デンマーク政府は、現在に至るまで、テロリストと交渉をしないという方針を貫いているという。

凄いな、と思う。その方針が褒められるべきものなのかどうか、というのは僕には判断できることではないけど、このスタンスを貫き通すというのは並大抵のことではできないと思う。

日本には、有名な例がある。当時の首相である福田赳夫が「一人の生命は地球より重い」と言って、身代金の支払いと過激派メンバーの釈放を決定したのだ。確か僕の記憶では、この時の対応は、国際的に非難されたのではなかったかと思う(間違ってるかもしれないけど)。

確かに、「国家」という大きな視点で見れば、テロリストと交渉しないという方針は当然だと思う。その行為は、テロリストに活動資金を渡すことと同じだからだ。そんなこと許されていいはずがない、というのは当然の感覚だろう。しかし一方で、「個人」レベルで見れば、お金さえ払えれば命が助かるという状況が目の前にあるのなら、お金を払ってでも助けたいと思うのは当然だろうし、その助けを政府に頼りたいと考えてしまうのも当然だと思う。完全に対立する、非常に難しい問題だ。

デンマーク政府は、この点に関して実に徹底している。なんと、被害者家族が支払うための身代金を集める募金活動を行うことは、違法だというのだ。政府が直接的な支援をしない、というスタンスはまだ分かる。しかし、なんとか生きて戻ってほしいという家族の行動をも制限する、というのは、ちょっとやり過ぎなように僕には思える。

まあ、確かに、デンマーク政府が理想としていることは分かる。世界中の国がテロリストに屈せず金を払わなければ、テロリストも誘拐なんてことはしなくなる。しかし、その理想が実現する可能性は限りなく低いだろう。デンマーク政府はあるいは、デンマークがそういうスタンスを固辞し続ければ、デンマーク人の誘拐は無くなるはずだ、と考えているかもしれない。しかしその可能性は低いのではないか、と僕は思う。あらかじめターゲットが決まっているならともかく、そうでない場合、目の前の白人がデンマーク人かどうかなど、確かめようがないからだ。

デンマーク政府は、人質家族が困窮している様に直面しながら、最後の最後まで表立っての手助けは一切しない。良いかどうかはともかく、凄いと思う。しかしそのスタンスのために、家族はお金を集めるのにかなり苦労する。企業のトップに寄付を掛け合っても、デンマーク政府の方針に反すれば企業にダメージが及ぶ。断る側も、非常に苦渋の決断だろうと思う。

映画を見ながら考えていたことは、確か同じような時期に起こった、ISISによる日本人の誘拐だ。こちらも身代金が要求され、どういうやり取りが行われたのか分からないけど、最終的に日本人ジャーナリストは帰国した。

その時、このジャーナリストに対して起こった苛烈なバッシングが今も記憶にある。当時よく出ていた言葉は「自己責任」だ。そのジャーナリストの奥さんが、解放される前に何度かテレビに出ていたのだけど、支援を求める訴えに対して、自ら危険地帯に行ったのだから自己責任だ、と言って非難が起こっていた記憶がある。

そういう批判の存在を受けてだろう、ニュース番組で海外の事例が紹介されていた。海外では、紛争地帯で拘束され帰国したジャーナリストは、英雄のような扱いになる、というものだった。日本とは大きな違いだな、と感じた記憶がある。

映画の中で、主人公と共に拘束されていたアメリカ人ジャーナリストが、こんなことを言う場面がある。

【世界を変えたい気持ちは止められない】

今も世界のどこかで、悲劇が起こっている。僕らが知っていることもあるし、なんとなくしか知り得ないこともあるし、そしてまったく知らないこともあるだろう。なんとなくしか知らないとか、まったく知らないのは、それを報じる者がいないからだ。

「虐殺器官」という映画では、人々の無関心が残虐さという刃となって世界に突き立てられる様が描かれていく。僕らは日々、膨大すぎる情報に触れているが、テクノロジーの発達によって、自分が関心を持てる情報だけを選別して取り入れることが可能になった。そのことによって、無関心はさらに加速していくことになる。世界で今何が起こっているのかに関心を持たずに、快楽や便利さを享受し続けることで、世界全体が機能不全に陥っていくことは間違いない。

危険地帯に飛び込むジャーナリストは、そんな無関心をせめてもの形で食い止めてくれる勇敢な人たちだ。僕には絶対にできない。そういう存在を、自己責任だろと言って非難するような人間にはなりたくない、と思う。

内容に入ろうと思います。
6年間を体操に捧げ、世界大会を控えていたダニエルは、世界大会の直前に行われた軍人相手のショーで怪我をし、それまでの努力を棒に振った。学生である恋人のシーネと過ごしつつ、家族の世話になっているダニエルに、両親は甘やかしすぎだと姉は厳しいが、ダニエルなりに次の人生を考えていた。昔から夢だったカメラマンになるという。学校には行かず、プロカメラマンの助手になって経験を積むことを選び、彼はあるプロカメラマンの助手としてソマリアへ向かった。そこで、戦時における日常を人々に伝える使命に目覚めたダニエルは、シリア入りを決める。家族にも相談をし、出来る限り安全を確保すると確約し、現地ガイドを雇ってシリアの日常を撮るダニエルだったが、そこへ謎の集団が現れ、現地ガイドと共に拘束されてしまう。許可はちゃんと取ってあるから大丈夫だと言う現地ガイドだったが、ダニエルはCIAだと疑われ、拘束されることになってしまう。
予定していた帰国便にダニエルが乗っていないと恋人のシーネから知らされた両親は、緊急連絡先として指定されていたアートゥアに電話を掛ける。しばらく連絡がつかないことを告げると、誘拐の可能性があるから誰にも言わないようにと口止めをされる。話が広まると、人質の命が危ないのだ。
デンマーク政府はテロリストとは交渉をしないという方針のため、家族はそのままアートゥアを人質交渉人として雇った。アートゥアは、アメリカ人ジャーナリストであるフォーリーの家族からも依頼を受けており、同時に彼らの行方を探しているが、なかなか状況が掴めない。
一方ダニエルは、隙を見てISISから逃れようとするが…。
というような話です。

ダニエルとその家族がどういう顛末を辿ることになったのかは、ぜひ映画を見てほしい。ある意味では、予想外のことは起こらないが、これが現実だったのだと思うと背筋が凍るような話だ。

僕が映画を見て、こんなことも考えてしまった。それは、こんな風にして助かった後、生きていくのもしんどいだろうな、と。

最終的に家族は、200万ユーロの身代金を支払った。先程検索したら、現在のレートで約2億5000万円だそうだ。もちろん、家族の持ち金だけでは支払えない。多くの寄付があっての救出劇だった。

そうやって、多くの人に支えてもらってなんとか生還したら、僕なら負担が大きくてしんどいだろうな、と思う。どれだけ周りが「気にしなくていい」と言ってくれたとしても、どうしたって気にしちゃうだろうし、何らかの形で恩を返すことができないとしても、助けてくれた人たちに恥じない生き方をしなければ、と思ってしまって、非常に辛いだろうなぁ、と思う。ダニエルが実際にどう感じているかは知らないけど、やはり同じようにしんどさを感じてしまうことはあるのではないかと思う。

ISISにも彼らなりの大義はあるのだろうけど、100人以上の報道関係者が命を落とし、1200万人以上が国外退去せざるを得ない状況にしてまで成し遂げるべき大義が存在するのだろうか、と思う。

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