【映画】「アウシュビッツ・レポート」感想・レビュー・解説

忘れてはいけない。

僕たちも今、アウシュビッツの時代に似た世界を生きている。

中国のウイグル自治区の問題だ。中国政府がウイグル人を強制収容所のようなところに閉じ込めている、という「噂」は絶えず存在する。

アウシュビッツ強制収容所にユダヤ人が囚われている現状と、はっきり言って大差ない。

アウシュビッツについて知る度に、感じることがあった。強制収容所の事実が表沙汰になる前は、知らなかったのだから何も出来なくても仕方ない。ただ、その事実を知ってから、人々はどんな風に行動したのだろうか、と。

そしてその問いは、現代を生きる我々に直接向く。ウイグル自治区の現状を知りながら、お前は一体何をしているのだ? と。

【大事なことは、これを知った今、何をするかだ】

登場人物の一人がそう口にする場面がある。

確かにその通りだな、と思う。

映画の冒頭では、ジョージ・サンタヤーナの言葉が引用される。

【過去を忘れる者は、同じ過ちを繰り返すものだ】

エンドロールが流れる中、映画を観終えた観客に向けて、まさにこの冒頭の言葉を再び意識させるかのような演出がなされる。近年の大統領や首相、またはその候補たちだろう人物による、「移民排斥」「自国優先」「差別助長」の主張が色濃く含まれる演説の音声がエンドロールのバックで流れるのだ。

50年の世界を生きる者たちは、ウイグル自治区の歴史を知るだろう。そして彼らは、「ウイグル自治区の現実を知りながら、同時代の人たちは一体何をしていたんだ」と嘆くだろう。「移民排斥」「自国優先」「差別助長」の主張を耳にして、「これが先進国のトップの主張とは、なんと遅れた世界に生きていたのだろう」と感じるに違いない。

アウシュビッツの歴史は、遠い遠い昔のことに感じられる。確かに、実際結構昔の出来事だ。しかしその現実は、我々が生きている今に繋がっている。差別や排斥はいつの時代も起こるし、形が変わっているだけで、アウシュビッツ以前もアウシュビッツ以後も、結局やっていることは変わらないのだ。

だから、アウシュビッツを過去の出来事として忘れ去っていいわけはないし、アウシュビッツと同時代に生きていたら自分はどうしたかを考えることは、まさに今自分がすべき行動に直結する思考だ。

そういうことを忘れてはいけないと、改めて実感させられる映画だった。

内容に入ろうと思います。
実話を元にした映画だ。映画の最後に出てきた字幕によれば、「ヴァルター」と「アルフレート」という人物名も、実名のようだ。

ヴァルターとアルフレートは、アウシュビッツ強制収容所を脱走し、世界に強制収容所の現実を知らせた。彼らの証言を元に作られたのが、「ヴルバ=ヴェツラー・レポート」であり、この報告書が、結果的に世界に「アウシュビッツ」のことを知らせることになった。

スロバキア系ユダヤ人であるヴァルターとアルフレートは、アウシュビッツ=ビルケナウの強制収容所で、遺体の記録係をさせられていた。収容所には日々ユダヤ人が送り込まれ、「最初の任務は名前を忘れることだ」と言って番号を付けられ、丸刈り・消毒を経て、ひたすら労働をさせられる。そして最後はガス室である。
1944年4月7日。ヴァルターとアルフレートは脱走計画をスタートさせる。彼らは、収容所内の見つからないところに隠れ、状況が落ち着くのをひたすら待つことにした。
その夜、作業後の点呼で29162番と44070番の囚人2人がいなくなっていることが判明する。彼らと同じ9号棟の囚人たちは、2人が見つかるまで極寒の屋外で直立させられる。しかし誰も、2人の行方を話そうとはしない。
数日経ってからヴァルターとアルフレートは隠れ場所から出て、収容所を脱出する。怪我に苦しみ、体力の限界を感じながらも、彼らは国境を目指し、スロバキアの有力者に、自らが記録し続けた「真実」を届けるために奮闘する……。

というような話です。

歴史の事実にあまり明るくない僕は、この映画でようやく、「そうか、収容所の現実を暴露した人物がいた、ということか」と理解した。

おかしな話だが、この映画を観るまで僕はなんとなく、「諸外国も強制収容所のことは知っていて、だけど戦時中だったから手出しできず、ドイツが降伏したことでようやく手を付けられるようになった」みたいに考えていた。

いや、それは半分ぐらいは正しい。実際に連合国も、収容所の噂は知っていたようだ。

しかし、決定的な情報がなかった。アウシュビッツでユダヤ人が虐殺されているという、明確な証拠が。

そして、「詳細な記録」という、説得力のある証拠を持ち出したのが、ヴァルターとアルフレートなのだ。彼らがいなければ、連合国が行動を起こすのはもっと遅かったかもしれない。2人の行動によって、ハンガリー系ユダヤ人12万人がアウシュビッツに送られるのが阻止されたという。これは直接的に理解されている功績であって、実際には彼らの報告によってより多くの人命が救われたことだろう。

非常に印象的だったのが、彼らがアウシュビッツを抜け出した目的だ。いや、目的はもちろん「アウシュビッツの現実を世界に知らせること」なのだが、その後どうしてほしかったのか、が印象的だった。

彼らの逃亡を手助けした人物が、2人にこんな風に声を掛ける場面がある。

【俺たちはもう死んでいる。生きている者たちの心配をしろ】

この言葉は、初め意味が分からなかった。というか、「アウシュビッツにいれば、何らかの形でいずれ死ぬことは間違いない」という意味で「もう死んでいる」と言っているのだろう、と思った。

しかし、そうではなかったことが、最後の方で分かる。ここでは具体的には書かないが、脱出した2人の内の1人(どっちだったか分からない)が、「殺人者と交渉なんかするな」とキツく咎める場面もあり、このセリフとも関係している。

もう一つ印象的だった場面は、彼ら2人の報告を、赤十字職員のウォレンが耳にした際の反応だ。

彼は当初、2人の話を信じなかった。

まあ、当然だろうという気はする。僕たちは既に、「アウシュビッツ強制収容所が存在し、ユダヤ人が大量に虐殺されたこと」を知っている。しかし、当時はまだ噂レベルの話でしかなく、明確な証拠を掴んだ者は誰一人いなかった。

つまりウォレンは、世界で初めて、「アウシュビッツ強制収容所で何が行われているのかを、具体的な証拠と共に知った人」なのだ。

責任が重すぎる。

自分が同じ立場にいたとして、もちろん、目の前にいる若者2人の必死の訴えを信じたい気持ちを持ちつつも、同時に、これが誤りだったら自分もただじゃ済まないとも考えてしまうだろう。そりゃあ慎重にもなる。

最終的には、彼らの証言を元に報告書が発表されたが、2人から証言を聞いてから7ヶ月後だったという。僕は、それでもよく報告書をちゃんと発表したものだ、と思う気持ちもある。「あまりに衝撃的な内容で、誰も信じないのではないかと思った」と字幕で表示されていたが、「こんなことが現実であるはずがない」という人間の心理が強く働くだろうし、よくそのバイアスを乗り越えて発表に踏み切ったものだと思う。

もう一度、同じセリフを引用しよう。

【大事なことは、これを知った今、何をするかだ】

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