【映画】「ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男」感想・レビュー・解説

この映画では、「テフロン加工」などで有名な「テフロン」という商品も関係する。

つまり、僕らとも無関係ではない、ということだ。

さらに、「テフロン」の原料となる「PFOA」という化学物質は、カーペットや車、コンタクトレンズなど様々なものに使われているという。「テフロン加工のフライパン」を使っていなければ大丈夫、という話ではない。

世界的大企業であるデュポン社は、この「テフロン」だけで、毎年10億ドル以上も売り上げている。映画の中では、「アメリカの偉大な発明品」という表現も出てきた。

そしてデュポン社は、「テフロン」発売の翌年には既にその危険性に気付いており、しかしそのことを40年以上も公表せずにいたのだ。

実話を元にしているので、現時点での結末は書いてしまってもいいだろう。ウエストバージニア州パーカーズバーグの住民3535人がデュポン社を相手取って集団訴訟を起こした。デュポン社は3535件の裁判に対し、6億9040万ドルを支払い和解を成立させた。

しかしこの数字、「テフロン」の1年間の売上にも満たない。

これが、僕らが生きている現実だ。


いつも考えていることがある。それは、「法を通り抜けたものはすべて善」という判断では立ち向かえない現実がある、ということだ。

大前提として僕は、法律は遵守すべきだと考えている。「悪法もまた法なり」と声高に主張したいわけではないが、それが「法律」として存在する以上、「従う」か「変えさせる」かのどちらかの選択肢しか基本的には存在しない、とは考えている。「法律を変えさせる」という行動を取らないのであれば、「法律に従う」しかない、というわけだ。

僕は、世の中の大体のことはこのスタンス、つまり「法律を変えさせる行動を取らないなら従うしかない」で上手く行くと思っている。というか、それで上手く行くような社会でなければいけない、という希望だが。

法律は決して絶対ではない。時代と共に社会は変化するし、過去に作られた法律では合わない現実も出てくる。しかし、きちんと「変える」手続きが定められ、そのハードルが著しく高いというのでなければ(日本で法律を変える手続きを行うハードルがどれほど高いのかはよく知らない)、とりあえずは良しとしなければならないだろう。

しかし、時折それでは対処不可能な現実が現れる。それが、「何かが『法律』を越えようとする場合」だ。

法律だって、ただ条文があるだけでは機能しない。それを運用する人間がいる。それは裁判官・検事・弁護士だったり、霞が関の役人だったり、様々な公務員だったりするだろう。そういう人たちが、形が存在するわけではない「法律」という存在を、社会の中で機能させる役割を担っている。

そして、そのような「法律を運用する人間」に対して優位に立つことが出来る人間であれば、上手くすれば「法律」を超えられる可能性がある。

たとえばこの映画で描かれるような、世界的大企業とか。

法律の正しい運用に手を突っ込んで歪ませようとする人間が存在する場合、「法を通り抜けたものはすべて善」という理屈は成り立つはずがない。しかしそのような歪みは、我々一般市民の知らないところで行われるために、我々はなかなか気づくことができない。

だからこそ、この映画の主人公(実在の人物がモデルである)の存在は称賛に値する。

後で触れるが、彼は家族との穏やかな生活を犠牲にしてまで、デュポン社に闘いを挑む。その姿はあまりに痛ましい。そして、主人公の弁護士や、あるいはパーカーズバーグの住民らを置き去りにして、利益のために隠蔽を続ける企業には、恐怖しかない。

公式HPによると、この映画は2016年1月6日にニューヨーク・タイムズに掲載された一本の記事がきっかけとなって生まれたのだという。その記事を読んだ実力派俳優であり環境活動家でもあるマーク・ラファロが映画化を決意、自身が主人公ロブ・ビロットを演じたのだという。

これを読んで僕は、「そうか、アメリカでもこの弁護士のことはさほど知られていなかったのか」と驚かされた。映画を見れば分かるが、2016年の時点で既に、ロブがこの案件に関わってから18年が経っている。デュポン社が訴えられたことや、「テフロン」の危険性を伝えるニュース番組の映像は挿入されるが、それもきっと一過性のものだったのだろう。というかそもそも僕は、テフロンが危険だという報道さえ目にした記憶がない。映画の中では、日本のニュース映像は流れなかったが、日本でもきちんと報じられたのだろうか?

ロブがアメリカでもさほど知られていなかったとすれば、それはとても異常なことのように思える。しかし、日本で考えてみればちょっとはイメージできる部分もある。

あくまで例えだが、「パーカーズバーグの住人がデュポン社を訴える」というのは、日本で言えば、「愛知県民がトヨタ自動車を訴える」ようなものだろう。

パーカーズバーグは、デュポン社の企業城下町のようなものであり、そこの住民は皆デュポン社の恩恵を受けている。映画の中では、デュポン社を訴えた住民を、他の住民が軽蔑の目で見る場面が何度も描かれる。

また、この映画ではそういうシーンは描かれなかったが、世界的大企業であるデュポン社であれば、テレビなどへも多額の広告費を支払っているだろうし、であれば、第一報は伝えたとしても、そこからさらなる続報を掘り下げていくことはしなくなるかもしれない。

デュポン社が直接的に何かしているかどうかに関わらず、様々な人間がデュポン社に「忖度」することで、ロブの活躍が表沙汰にならなかった、という可能性はあるだろう。

映画の最後には、「ロブ・ビロットは今も闘い続けている」と字幕が出た。2019年制作の映画であるようなので、少なくとも2019年時点ではまだデュポン社との闘いが継続していたということだろう。

今は、SDGsという大号令の元、環境に優しい企業であることが消費者に選ばれる大きな要因になってきている。我々消費者の側のマインドがドラスティックに変わることで、企業も転換せざるを得なくなるだろう。日本でも世界でも、企業による公害の問題は様々に存在するが、これからは減っていくのだと期待したい。

アメリカという国が、アメリカの大企業であるデュポン社を告発するような映画を作るというのもまた素晴らしい。日本の場合、この映画と同じレベルの一級の俳優を起用して、同じような映画が作れるものだろうか?

内容に入ろうと思います。

1998年、タフトという弁護士事務所でパートナー弁護士になったばかりのロブ・ビロットは、見知らぬ訪問者の来訪を受けていた。会議を抜けて少しだけ話を聞いてみると、パーカーズバーグでデュポン社が化学物質を垂れ流したせいで牛が死んだと農場主が訴えている。なんでも、パーカーズバーグに住む祖母からの紹介だそうで、地元の弁護士は「デュポン社」という名前を聞いただけで逃げ出したのだそうだ。

しかし、ロブにはその依頼を引き受けるわけにはいかない理由があった。ロブのいる弁護士事務所は、化学企業側の弁護を担当しているからだ。しかし、環境法のプロであるロブは、祖母の紹介という点に僅かな引っ掛かりを覚え、とりあえずパーカーズバーグまで足を運んでみることにした。

久々に祖母と会い、そこまで付き合いはないが確かに農場主にあなたを紹介したと確認した。それからその農場主に会いに行き、彼の言い分を聞いた。農場主の口から、「環境保護庁が来て報告書を書いた」という話が出たので、農場主を納得させるためにその報告書を手に入れようとロブは考えた。

そんな風にして、デュポン社と関わるようになっていくロブは、開示請求によって届けられた一部屋を埋め尽くすほどの資料を一人で読み込み、デュポン社が隠してきた恐ろしい真実を暴き出すのだが……。

というような話です。

僕が映画を観て意外だったのは、「ロブが企業側の弁護士事務所に所属していること」「ロブが正面から堂々と闘いを挑んでいること」だ。勝手なイメージでは、人権派弁護士のような人がデュポン社に悟られないように密かに独自の調査を続けて真相を暴き出していく、と思っていたが、そんなことはなかった。

そして、そんなことはなかったから驚かされた部分もある。

例えば、開示請求によってデュポン社は大量に資料を送りつけてきた。弁護士事務所の者は、「読み切れるわけがない」と叫び、ロブは「それが向こうの狙いだ」と返す。恐らくデュポン社は、ロブがこれほど大量の資料を実際に読むとは考えなかったのだろう。

しかしロブは読んだ。そしてそこには、デュポン社が「PFOA」の危険性を40年以上も前から認識していたことが明確に綴られていたのだ。

僕としてはまずこの辺りの展開に驚かされた。デュポン社、さすがにナメすぎじゃないか? と。

あと、そもそもロブが、弁護士事務所の承認を受けてデュポン社の調査を始めた、というのも驚いた。いや、確かに現実的な話で言えば、事務所の協力無しには闘えない相手だと思うが、属しているのが企業側の顧問を主に行う事務所なのだから、その判断はなかなか凄いなと思う。タフトが主に扱う化学企業の親分みたいな存在がデュポン社なのだから、事務所の判断は英断だったと言っていいだろう。

ロブの上司は、場面場面で様々な反応を示すのだが、「それだから弁護士は信頼されないんだ」「デュポン社をやっつけろ。全員でだ」と訴える場面は、非常にカッコよかった。

世界的大企業がなりふり構わずにあの手この手を繰り出してくる様に対しては、怒りしか感じられなかった。特に、事務所の弁護士も「上手いな」と唸った「デュポン社からの手紙」がある。デュポン社が水道水を汚染しているという疑惑が持ち上がるのだが、そのタイミングを見計らってデュポン社が住民に「井戸水から微量のPFOAが検出された」と記した手紙を送りつけたのだ。何故わざわざ自身の非を認めるような手紙を送ったのか。その理由の推測に対しては、確かに僕も「上手いな」と感じてしまった。まさにこれなど、「法を通り抜けたものはすべて善」を否定する事例だろう。

ロブは、デュポン社の悪事を知れば知るほど怒りに駆られ、デュポン社との闘いに全力を尽くすようになる。しかしそれは一方で、家族を犠牲にすることでもあった。映画の中では家族との描写は決して多いわけではないが、ロブが家族と関わるシーンは、彼がデュポン社との闘いによってどんなものを失ったのかをまざまざと見せつける。

特に、ロブの妻の負担は大きかっただろう。彼女自身も元弁護士であり、夫の仕事には普通の職業の人よりは理解があるはずだ。しかしそんな彼女でも、ロブにキツく当たってしまうほど追い詰められてしまう。

映画の中で彼女がそう語る場面はほとんどないが、妻も間違いなく、夫がやっている闘いを重要で誇りに感じているはずだ。しかし、だからと言って現実の生活の様々な不具合を無条件で乗り越えられるわけではない。ロブにしても、自分が家族に迷惑を掛けていることは痛いほど理解していて、しかしデュポン社への怒りがそれを勝ってしまうからどうにもすることができない苦しみを抱えている。

その板挟みの中でも、「自分のやるべきことはこれだ」と信じて突き進むことが出来ていることは素晴らしいことだと思う。

日本では恐らく、今も福島第一原発事故に関係して、東京電力との裁判や調停などが行われているのだろうと思う。しかしそれらは、普段ニュースでは報じられないし、状況はあまり良くわからない。一方で日本政府は、電力需要が高まっているという理由で、原発再稼働に動く。もちろん、電力を使っているのは我々であり、実際に電力が足りない事態に陥らせるわけにはいかないのだから、仕方のない決断なのかもしれない。しかしやはり、福島第一原発事故をリアルタイムで知っている世代の決断としては承服しがたい思いもある。

このような映画を観る度に、僕らの知らないところでも様々な被害が生まれ、それに闘っているものがいるはずだ、と感じさせられる。なかなか自分で取材したり積極的に関わっていくことは難しいが、せめて報じられたものには関心を持ち、関心を持つ人が増えるような行動が取れたらなと思う。

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