【映画】「TAR/ター」感想・レビュー・解説

とても引力の強い映画だった。リディア・ターという女性指揮者が主人公なのだが、そのターが放つ「何か」がとても強く、最初から最後までスクリーンに釘付けにさせられた、という感じだった。

ただ、「分かったか、分からなかったか」と聞かれれば、「分からなかった」と答えざるを得ない。正直なところ、物語の焦点がどこに当たっていたのか、見終わった今考えてみてもイマイチ理解できない。もちろんそれは、「リディア・ター」という人物そのものであることは確かなのだが、言ってみればそれは「縦軸」だろう。そして、「横軸」に相当するものとの接点で、物語が展開していく、というのが、フィクションのよくある形ではないかと思う。ただ僕には、その「横軸」が何なのか、イマイチ捉えきれなかったのだ。

それぐらい、縦軸である「リディア・ター」が物凄く強い。インパクト抜群である。

しかし、そうは言っても、その「インパクト」は、一見すると分かりづらい。というのもターは、冒頭からしばらく、「実に物腰の柔らかい、穏やかな人物」として描かれていくからだ。

この映画を観ようと思ったきっかけは、例によって映画館で予告を観たからだが、そこには「狂気的」みたいな煽り文句が並んでいた記憶がある。それぐらいの情報しか持たずにこの映画を観たので、とにかく「主人公リディア・ターはヤバい人物なのだろう」という頭で映画を観始めてしまった。しかし、そんな印象とは裏腹に、最初の内はその片鱗が見えない。

映画の冒頭は、ターが出演するトークイベントの様子が映し出される。その冒頭でインタビューアーが、ターの経歴を並べ立てていく。それは凄まじいものだ。カーティス音楽院、ハーバード大学、ウィーン大学を卒業し、世界の名だたるオーケストラで指揮を振るってきた。四大エンタメ賞と呼ばれる「エミー賞」「グラミー賞」「オスカー賞」「トニー賞」をすべて受賞するという、「EGOT」と呼ばれる15人の内の1人でもある。それだけではなく、音楽の研究のために、ある部族の集落で5年間ともに生活を過ごした経験もあるのだ。彼女は「現代音楽における最も重要な人物の一人」と紹介されている。

そして、そんな輝かしい経歴を持つ人物には思えない穏やかさを持つ人物でもある。もちろん、滲み出す自信や力強さみたいなものは感じさせるが、それが「威圧」みたいな印象にはならない。恐らくそれは、彼女が女性であることとも少なからず関係するだろう。トークイベントの中で、「マエストロを、女性名詞であるマエストラにするのは変だ」みたいな話になるのだが、やはり男性が圧倒的に多い指揮の世界であるが故に、言い方は悪いかもしれないが、「自分を抑えた振る舞い」が必要だったということなのだと思う。

そう感じさせるのは、彼女が度々薬を飲むシーンが描かれるからだ。何の薬かは分からないが、いずれにせよ、「凄まじい期待が凄まじい重圧に変換される世界」の中でトップに立ち続けるための心労が、彼女を蝕んでいるのだと思う。

そんな彼女の「秘められた内側」が少しずつ明かされていく映画だ。しかも、暴力的に。彼女の心の内は、かなり暴虐的に暴かれていくと言っていいだろう。

キーパーソンとなる人物は何人かいるが、映画の前半に大きく関わってくる2人の人物を紹介しておこう。シャロンとフランチェスカである。

まず、ターはレズビアンを公表している。そして、彼女のパートナーが、楽団のコンサートマスターでもあるシャロンである。彼女たちは恐らく法的に婚姻関係にあるのではないかと思う。というのも、彼女たちは、恐らく養子だろう女の子を2人で育てているからだ。公私共に重要なパートナーである。

そしてもう1人が、ターの秘書的な役回りを担う、指揮者志望のフランチェスカである。ターは彼女に対し、仕事仲間以上の親愛の情を抱いているようだし、それはフランチェスカにしても同じに思えるが、ただ身体の関係はないようである。恐らくシャロンは、フランチェスカの存在に対して思うところがあるはずだが、しかしそのことを表立って聞いたりすることはない。

人間関係的にはターを含めたこの3人が中心となり、物語が展開していく。そして前半は特にだが、「ターの音楽に対する価値観」が浮き彫りになるようなシーンが多い。

冒頭のトークショーの場面でも、過去の偉大な指揮者や作曲家の名前を出しながらかなり専門的な話をしていく。印象的だったのは、ベートーヴェンとマーラーの話。

まず、指揮者が必要な理由について、インタビューアーから「指揮者は人間メトロノームと呼ばれることもある」と水を向けられたターは、「確かにそれは一面では真実だ」と答えつつ、ベートーヴェンの「運命」の話をする。「運命」は、最初の1音が無音である。だからこそ、「時計を動かす人間が必要だ」と彼女は言う。指揮者にとって最も大事なのは「時間」であり、「時間」をいかにコントロールするかがその役割なのだ、と言っていた。

また、ターはマーラーを敬愛しており、彼女が所属するベルリン・フィルで唯一録音を果たせていない第5番のライブ録音を控えている。そんな第5番は、マーラーの曲の中でも「謎」だそうで、ヒントは表紙に書かれた新妻・アルマへの献辞しかないという。つまり、「マーラーとアルマの結婚生活」を知ることが、第5番を読み解くヒントになるのだ、みたいなことを言っていた。

さてその後、ターが講師を務めるジュリアード音楽院での講義の場面に移るのだが、ここでもかなり専門的な話が展開された。ある生徒と、見解の相違から議論になるのだが、ざっくり要約するとそれは、「作曲者の人柄と、その人物が作曲した曲そのものを関連付けて考えるべきか?」となるだろう。そしてターは、「曲の良し悪しが大事だ」という立場を取る。そしてその上で、こんな言い方をしていた。

【指揮者は、作曲家に奉仕するものよ。聴衆と神の前に立って、自分を消し去るの】

このセリフは、なんとなく映画全体のテーマに絡んできそうな気がするのだが、なかなかスパッとは言い表せない。結局ターは、「曲」とは関係ない様々なことに思考を割かざるを得ない状況に陥ることになり、「作曲家に奉仕できない」という状態に陥ってしまうというわけだ。

さて、後半に進むに連れ、ターの周辺の状況は騒がしくなり、穏やかではいられなくなっていくのだが、そんな中で僕にはなかなか理解しがたかった描写が、ターの部屋で起こる様々な「異変」である。あれらは一体何だったんだろう? 「音」に関しては、ある場面でターが、「雑音への感度が作曲には重要になる」みたいに言われるので、なんとなくそういうことが絡んでくる感じがするのだけど、イマイチよく分からない。そして、それ以外の「異変」も、結局なんだったのかよく分からない。

とにかく、色んなことが示唆されるのだけど、それらが僕の中では上手く繋がらなかった。しかし、冒頭でも書いた通り、とにかくターの引力が強いので、よく分からないと思いつつも観させられてしまう映画ではあった。

現代的な様々なテーマを折り込みながら、最終的には「天才はいかに生きるべきか」みたいな話に終着していくような物語で、観終えて、なんとなくザワザワしたものが残る、印象的な映画だった。

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