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~アヴァンギャルドと日本を繋ぐ~ワルワーラ・ブブノワ

帝政ロシアのサンクトペテルブルクに生まれ、日本で活躍したロシアの芸術家がいます。その名もワルワーラ・ブブノワ(1886-1983)。
BUNKER TOKYOに入荷した洋書に日本語で書かれた人物、その秘密に迫ります。

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"Self-Portreit" (1958)

①アヴァンギャルドの一員

革命前の帝政ロシアのサンクトペテルブルク、上流階級の両親の元にワルワーラ・ブブノワは生まれました。
母の影響で幼少期からピアノと美術を学んだ彼女は、1907年にペテルブルク帝室美術アカデミーに入学。卒業後は美術教師や、博物館での研究員として勤めました。
革命前後のロシアではアヴァンギャルドの運動が盛んで、彼女もマヤコフスキーやマレーヴィチらと共に青年同盟のメンバーでした。
同同盟の展覧会や、他の合同展覧会にも参加しており、また革命後の20年代、研究員だった彼女はカンディンスキーやタトリン、ロトチェンコらなど皆様も一度は目にしたことのあるようなボリショイなネームのアヴァンギャルド芸術家と一緒に働いていました。

しかし、歴史や伝統から脱却しようと斬新な手法を研究したアヴァンギャルドの運動を盛り上げつつも、ワルワーラは古代ロシアの芸術や、アフリカやロシア北部の小民族の芸術などの研究にも力を入れていました。

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"Our Lady" (1915)

②妹のアンナ


ワルワーラ・ブブノワは、妹アンナがサンクトペテルブルクに留学していた日本人の小野俊一と結婚し、また、ワルワーラのニ科展に出展された油絵が入選したことを機に、1922年に家族で日本へと移住します。
以降1958年にソ連へと帰国するまで、ブブノワ家は日本で活躍しました。

ワルワーラは芸術の分野で活躍しましたが、妹のアンナは音楽の分野で活躍しました。
ブブノワ家は芸術一家だったんですね。
1961年に出版された『ヴァイオリン音階教本』は理論的・体系的なヴァイオリン教本として現在でも愛用者がいるほど。
このブログを読んでくださっている同志たちの中にも使っている方がいるかもしれませんね。(いらっしゃったらぜひコメントで教えてください笑)
教育者としての信念からアンナ本人の録音は残っていないようですが、彼女の本の音階練習はかなり難しいものらしく、YouTubeでも多くの解説が作られていたりします。

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小野アンナが表紙の雑誌

③日本での活躍

ワルワーラは日本ではアーティストとしての活動を続けながら、大学でロシア語の講師をしたり、ロシア文学の挿絵を描いたりして生活していました。
プーシキンやトルストイ、ドストエフスキーなど今では有名なロシアの作家も、彼女の教え子たちが中心となって翻訳され出版されました。
ロシア文学が日本で盛り上がりはじめたのは1880年代からでしたが、革命の衝撃が研究の発展を促し1919年には早稲田大学に露文科が新設、ワルワーラもここ早稲田大学や、それより前の1873年から魯(露)語学科のあった東京外国語学校で教鞭をとりました。

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トルストイやプーシキンの翻訳本の写真
よく見ると「ブブノワ」の文字が

④ワルワーラのアート

彼女は元は油彩画家でしたが、来日後は版画やリトグラフにも表現の可能性を見出すようになりました。
他にも挿絵画家や装幀家としても活動をしており、さまざまなジャンルの作品を創りました。
日本の絵画の様式や手法を学んだ彼女はそれでもロシア派の原則を守ったスタイルを貫き、独特な雰囲気の作品が多く残っております。

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"Swimmers" (1958)

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"In the park" (1929)

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"Joy of All Who Sorrow" (1925?)

⑤帰国後

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1958年にソ連へと帰国したブブノワ家は、アブハジアは南部のスフミで暮らしました。
高齢にも関わらず創作を続けた彼女は、1966年にグルジア社会主義共和国の名誉称号を授与されたり、ソ連の各都市で20回以上の展覧会が開催されたりと精力的に活動しました。
スフミに移ってからは水彩画を主に描いていたようで、常に新しいことに挑戦する姿勢にも彼女の強さを感じます。

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"Memory of Anna Akhmatova" (1965-66)

スフミの中心部には彼女らが暮らしていたという古い屋敷も残っていますが財政難のアブハジア当局には修復の余裕がなく廃墟になってしまっているそう。
リンクは2008年のニュースですが載せておきます。文化的遺産になりうる場所なので綺麗に保存されてほしいです。

⑥現在へと繋がって

アヴァンギャルドの精神を保ちながら来日し、ロシアの文化を広めてくれたワルワーラ・ブブノワ。
彼女が教鞭をとっていた早稲田大学でも、生誕から120周年130周年を記念して展覧会が開かれていたり、ロシアでも2019 年にツヴェトヴァ博物館で展覧会が開かれるなど彼女の作品に触れる機会が現在もつくられています。また、多摩霊園で妹のアンナと共に功績を称える記念碑が建てられたりもしています。

最も日本的なロシアのアーティストワルワーラ・ブブノワ。このブログを読んでいただき、本に興味を持っていただけたら幸いです。是非ともこの一風変わったロシアのアートを楽しんでみてください。

Ryusei

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おまけ

ジョンレノンの妻として知られるオノヨーコ
世界的アーティストの妻として、また芸術家や平和運動家として有名な彼女ですが、実は今回出てきた人物に関係が。
そう、苗字から分かる方がいるかもしれませんが、ワルワーラの妹のアンナが彼女の伯母にあたる人物になります。

彼女はオノヨーコと直接深い関わりはなかったようですが、小野アンナやワルワーラ・ブブノワのような芸術家が近しいところにいたということで多少の影響はあったかもと想像が膨らんでしまいますね


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