赤いモスクワことKrasnaya Moskvaを取り巻く香水ミステリー。CHANEL N°5は実はロシアの香り?
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赤いモスクワことKrasnaya Moskvaを取り巻く香水ミステリー。CHANEL N°5は実はロシアの香り?

BUNKER TOKYO-しんぶん赤派-

BUNKER TOKYOでも大人気、入荷すると瞬時にSold outするKrasnaya Moskva。素敵ですよね、香水って。私Kazumaもこれまで様々な香水を愛して来ました。最近ではキャラに似合わず資生堂のサステナブルブランドBAUMの香水(ヒノキ、樹木)などサラっとした香りがお気に入りですが、少し前まではあまりに色々な香水を経験しすぎて、普通の匂いでは物足りなくなり、たどり着いたのはHEELEYのPHOENICIA(スパイス、タバコ、デーツ、革)や、Le-LaboのOUD27(獣、汗、ウッド、タバコ)など、もはや良いのか悪いのかわからないギリギリの香りを好んでいたりしました。OUD27を初めて嗅いだ時はあまりの臭さに爆笑しましたが、残念ながら我が国では受け入れられなかったようで、日本では2020年に販売停止となってしまいました。食事で例えると納豆や珈琲もそうですが、フローラル系の香りとは違い一見臭いと感じるようなもののほうが中毒性があったりするので不思議です。

ということで世界にはユニークな香水がたくさんあります。例えばアメリカのD.S.&DurgaからリリースされているBURNING BARBERSHOP。

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その名の通り火事になった床屋がイメージのスモーキーな香水、たしかに色も香りも火事をイメージさせます。床屋はよくわからないですが。。。笑

そしてストーリーが面白いといえば当店でも販売中のソ連香水Тройной。

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スターリンが愛した香水ということもあり、ソ連を代表するメンズコロン。サイドストーリーとしてソ連で酒の販売量が制限されていた時代に、同志たちが酒代わりに飲んだことで有名です。むしろそっちがメインストーリーかもしれません笑。香りはまずトップノートにベルガモットと柑橘系の香りが強く感じられ、ミドルはジャスミンやラベンダー、そしてアフターノートはムスクが感じられます。色っぽさやセクシーさを感じさせるフゼア系の香りとは一味違った、爽やかで寡黙な大人の男のイメージとも言えましょか。

さて、ここからが本番。香水の王道といえば、誰もが知っている香水といえば、CHANEL N°5。

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このいかにもおフランスな洗練されたボトルの形。ココ・シャネルの想いが全て詰まった、世界最大のヒット作、香水界の究極のスタンダードは1921年の5月5日に発売され、今年実は100周年。2021mlボトルが374万円で売り出されるなど、話題真っ只中の香水でもあります。最初は上流階級の人々やココの友人に配布し、それが話題を呼び徐々にヨーロッパ中で浸透し、爆発的なヒットとなったこの香水、実は調香したのはロシア人調香師なのです。

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N°5の調香師エルネストボーはフランスとロシアとの合同資本会社アルフォン・ラレー社の調香師として活躍しており、ラレー社にて「ブーケ・ド・ナポレオン」「ブーケ・ド・エカテリーナ」等のヒット作を生み出します。ロマノフ朝 300 周年にエカテリーナ2世の名を冠して作られたブーケ・ド・エカテリーナですが、エカテリーナ2世の不人気からかあまり売れず、1913年にRallet No.1と名前を変えリリースされました。その後ロシア革命が起こり、ボーはフランスに亡命。フランスの地で当時フランスで革新的な香水を作ることを望んでいたココ・シャネルと出会い、ロシアで開発したRallet No.1にジャスミン系の香りを加え作ったのが、CHANEL N°5なのです。

さて、遡ることロシア革命前、ロシアには上記のラレー社の他に、ライバルのブロカル社(Брокал и Кº)とう化粧品大手が存在し、当時両社がしのぎを削っていました。ラレー社がRallet No.1をリリースした1913年、ライバルのブロカル社はThe Empress’ Favorite Bouquet’(女帝が好んだブーケ)という香水をリリースします。その後ロシア革命により、Rallet No.1は消滅。フランスで進化し、CHANEL N°5になったのは上述の通り。それではブロカル社の香水はどうなったのか?

ブロカル社はロシア革命後国有化され、石鹸工場第5号(ここでもNo.5が?笑)となり、その後Novaya Zarya(新しい夜明け)と名前を変え、なんとソ連崩壊後の現在も存在します。そのNovaya Zarya社が1925年、1993年に発売した「女帝が好んだブーケ」を復活させます。その香水こそが

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ようやく出てきましたね、そう、皆さん大好き、ソ連女子公認香水Krasnaya Moskvaです。

Novaya Zarya社の販売したKrasnaya Moskvaは販売開始後、旧ソ連地域で大ヒット。「ソ連時代の女性はみんなこの香りがした。」と言われるほどの常備品、初デートのプレゼントの定番でもあったようです。

さて、そんなKrasnaya Moskvaの香りですが、結論から言うと、なんとなんとCHANEL N°5とソックリなんです。香水愛好家の私の家にはもちろん両方ありますが、両手に片方ずつ付けて順番に嗅いでも全くわからないほど近い。そもそも私が上述のようなことを調べるに至ったのは、Krasnaya Moskvaを初めて嗅いだ時、あまりにN°5に似た香りで、そのルーツを知りたくなったからなのです。

もちろん私は1913年には産まれていませんし、当時を知る人に出会うことも今後無いでしょう。しかし1913年当時にロシアに2つの香水会社が存在し、片方は「Rallet No.1」をリリース、それが「CHANEL N°5」になり、もう片方は「女帝が好んだブーケ」をリリース、それが「Krasnaya Moskva」になる。前者は西側諸国で大ヒット、後者は東側で大ヒット、それが似たような香りであるということは事実。もう一つ、CHANEL N°5の香りを語る上で欠かせない要素として、アルデヒドという合成香料が調合されたことというのがあるのですが、これはNovaya Zarya社のスタッフから聞いた話ですが、当時アルデヒドを調合出来たのは、なんとロシアの調香師だけだったようです。

ということでここからは私のロマンを含んだ妄想ミステリーに入りますが、帝政ロシア時代に2大大手からそれぞれリリースされた「Rallet No.1」と「女帝の好んだブーケ」という2つの香水が、実は非常に似た香りのものだったと考えられないでしょうか?今でこそ世界中で合成香料を使った様々な香水がリリースされていますが、1900年代初頭、しかもアルデヒドという当時最新の合成香料を含んだ香水が大手2社から同時期にリリースされているわけで、例えるならコカ・コーラとペプシ・コーラのような、そのようなものだったと考えたら?そう考えるとこれまでの定説は根底から覆されることになります。実は世界を席巻したココ・シャネルのおフランスの香りは帝政ロシアの香りで、西側諸国で爆発的人気だったその香りと同じ香りが、実はソ連国内でも定番の香りだった、そして世界中の現代香水の原点は帝政ロシアにあると言っても過言ではなく、その本流とも言える香水こそがKrasnaya Moskvaなのだということなのです!
なんというロマン、なんというミステリー、そして帝政ロシアから続く歴史の一片を我々はこの一瓶から感じ取ることが出来るのです。

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ということで長くなりましたが、90年以上続くKrasnaya Moskvaの香りは、世界中を魅了した高級香水CHANEL N°5に全く引けを取らない歴史とストーリーを持つものだということはおわかりいただけたと思います。更に興味があります方は、参考文献の一つとさせていただいた大野斉子さんの著書「シャネルNo.5の謎」を是非読んで、秋の夜長に帝政ロシアのロマンとミステリーに浸ってみてはいかがでしょうか?

Kazuma 



おまけ

人間の先入観とは非常に面白いもので、Krasnaya Moskvaを嗅いだ人の感想を見ると「ソ連らしい昔っぽい懐かしい香り」とか「おばあちゃんの家で嗅いだ香り」という声が非常に多いのですが、CHANEL N°5のレビューには「高級」とか「気品がある」とかそういう言葉が並んでいます。読むたびに「同じ香りなのに。。。」とワタクシほくそ笑んでいます。食も香りも、人間の感覚なんて見た目やストーリーで簡単にコントロールされてしまうものなのかもしれませんね。

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ロシア、東欧、北欧などの新鋭ブランドをセレクトする、原宿のアパレルショップです。 しんぶん赤派という新聞を発行しています。 ロシア文化やアート、政治経済に至るまで、幅広く皆様に伝えて行きたいと思っています。