見出し画像

在家から僧侶になった瞬間があった

 知らず知らずのうちに、僧侶になるレールが敷かれていた。それでも、宗教には噓があると思っていた―。浄土宗の名刹、轉法輪寺(てんぽうりんじ、京都市右京区)の兼岩和広住職(49、写真)は、そう振り返る。師との出会いによって、浄土宗の教えが生き方の指針になったという兼岩住職。在家から僧侶になった瞬間は、はっきりとあった。(大橋学修)

一休さんに導かれ

 父方の伯母は浄土宗成蓮院(名古屋市千種区)の尼僧で、かつて住職を務めていた。幼い頃は成蓮院を訪れるたび、アニメ「一休さん」のまね事をして遊んだ。手先が器用な伯母から、子ども用の僧衣を作ってもらった。いつしか盆の棚経に同行するようにもなったが、中学1年生の頃には嫌になっていた。

 高校受験に際して、宗門関係学校の東山高校(京都市左京区)に行くなら援助してやると伯母が言った。滋賀県で生まれ育った自分には、京都市内の学校に通うのも魅力的だと思えた。寺院や僧侶をそれほど意識することなく、高校生活を過ごした。

 大学も、宗門校の佛教大学に進学するよう言われた。将来どのような職業に就くか考えておらず、「僧侶の資格を取得しておいた方が無難」という軽い気持ちで入学した。大学生活でも、僧侶として生きる意義に目覚めることはなかった。

感動の涙が出ない

 転機となったのは、浄土宗の教師資格を取得するための最終関門、伝宗伝戒(加行)道場の成満式だった。

 自分以外の入行者は、師から弟子に仏法を相続する「血脈相承」を終えたことに対し、感動のあまり涙を流していた。僧侶になることに反発を抱いていた仲間でさえ、同様だった。

 顧みると、自分自身にも喜びはあったが、それは修行からようやく解放されるという思いだった。周囲との埋めがたいギャップを感じた。「僧侶としての自信はない。では、どうすれば良いのか」

 教師資格取得者が1年間こもって研鑽する教師修練道場への入行を決めた。道場には、休憩時間をつぶすには十分すぎる書籍があった。手塚治虫の漫画『ブッダ』から読み始め、次に入門書、気付けば専門書籍も手に取るようになった。

望遠鏡で極楽見る

 道場の座学で、印象的な出来事があった。佛教大学教授で轉法輪寺前住職の故深貝慈孝師との出会いだった。

 深貝師との対話で、地球周回軌道にあるハッブル宇宙望遠鏡からは、数億光年先の銀河を観測できるという話題になった。「極楽浄土があるとされる十万億仏土先の天体が観察できるようになったら、どうしましょうか」。そんな軽口をたたいた。すると当たり前のように、深貝師は「見えるようになるのが待ち遠しい」と応じた。心を動かされた。

 「考えてみれば、法然上人の教えは、信じれば全てつじつまが合う。浄土宗、ちゃんとしているじゃないか」

 道場成満後は、佛教大学大学院への進学を誘われ、深貝師や故岸一英教授、現浄土宗総合研究所長の藤本淨彦氏の下で、廬山寺蔵『選擇集』の翻刻を手掛けた。その研究は、法然上人が残した『選擇本願念佛集』の編纂過程に新たな見解を見いだす論文を発表するまでになった。

 深貝師の後を継いで轉法輪寺に入った兼岩住職は言う。「年齢を重ねるにつれ、いろいろとつらいことがあった。どんなときも、阿弥陀さまが苦しさのはけ口となってくれた」

 私たちが週2回発行している宗教専門紙「文化時報」の中から、2020年4月1日号に掲載された記事を再構成しました。皆さまの「スキ」と「フォロー」をお待ちしております。
 お問い合わせ・ご購読のお申し込みは、文化時報ホームページまで。http://bunkajiho.co.jp/contact.html

サポートをいただければ、より充実した新聞記事をお届けできます。よろしくお願いいたします<m(__)m>