見出し画像

コロナを越えて⑦待てば時間が解決する

浄土宗浄教寺住職・元金融マン 光山公毅氏

 ※文化時報2020年9月19日号の掲載記事を再構成しました。

 金融機関の融資畑で25年間勤務し、バブル崩壊やリーマンショックなどの経済危機を体験して浄土宗浄教寺(京都市中京区)の住職となった光山公毅氏は、新型コロナウイルスの感染拡大に翻弄される社会に関し、「いつとは言えないが、コロナ禍は終息して必ず経済は回り始める」と話す。一方、仏教界を取り巻く環境は元に戻ることはないと考える。「いずれ顕在化する状況が、コロナ禍で加速しただけ。寺院が果たすべき役割を、どう実現させるか考えなければならない」と強調する。(大橋学修)

 光山公毅(みつやま・こうき) 1970年1月生まれ。東京都出身。慶応大学卒業後、日本長期信用銀行(現・新生銀行)に就職。2017年8月に退職し、浄土宗浄教寺住職に就任。京都市の中心市街地にある立地を生かして、浄教寺をホテル一体型の寺院として再建し、20年9月28日にグランドオープンさせた。趣味は読書。人生を変えた書籍は山本七平『「空気」の研究』と内田樹『日本辺境論』。5人家族。

経済は必ず復調する

 《2007年、米国の住宅バブルが崩壊し、サブプライム住宅ローンなどの債券価格が下落。米金融大手リーマン・ブラザーズホールディングスが米国史上最大の倒産に至り、金融危機を招いた》

――金融機関でリーマンショックを体験されました。コロナ禍との違いや共通点についてうかがえますか。

 「構造が全く異なります。リーマンショックの背景は、お金を借りられない人に融資した債券を束ねて証券化し、金融機関に大量販売したこと。米国景気の減退でローン返済が滞り、元本の価値が下がったことで、多くの証券を持っていたリーマン社が経営破綻しました」

 「リーマンショックでは、株価や為替が乱高下しました。ところがコロナ禍の現在は、株も為替も安定している。治療薬やワクチンができるまで、嵐が過ぎるのを待っている状態です。金融の視点で見ると、時間が解決すると言えます」

――景気が回復したきっかけは何だったのですか。コロナ禍から経済が復活する参考になりますか。

 「リーマンショックでは、各国が救済のためのお金をつぎ込みました。金融機関に資金を供給し、国民が預貯金を軒並み引き出してしまう不安感を払拭しました。株式の引き受けや不良債権処理なども行って、1年半ほどで安定しました」

 「一方で、コロナ禍による経済不安は、人が動けなくなったことが原因です。人が動かないので、物が売れない。だから仕入れもなく、製造もできないという悪循環に陥りました。そこで、政府は外出自粛の要請をやめ、だましだましで何とか経済を回そうとしているのです」

冠婚葬祭は元に戻らない

《バブル崩壊は、1980年代後半の不動産への過剰投資が背景にあった》

――バブル崩壊との共通点はどうでしょうか。

 「バブルとは、価値のないものに価値を見いだすことです。語弊を恐れずに言うと、純粋な気持ちが引き起こすもので、皆が『そうだ』と感じれば、その方向に進みます。まさに夢のようなもので、そこから覚めたのがバブル崩壊です」

2020-09-16 経済面・浄土宗浄教寺・光山氏02

 「そこで日本人は何もできなかった。海外資本が日本のマーケットを開放しようと動き、金融知識と技術をもたらす一方で、日本の資産を根こそぎ持っていきました。欧米列強から侵食されてアヘン戦争に至った清国のようでしたが、日本の金融は鍛えられました」

 「コロナ禍は、終わりが見えない状況ではなく、覚悟がつけやすい。給料が半分になったり解雇されたりすれば厳しいですが、そうではなく我慢しているのであれば、不要不急のことをしていないだけに、手元資金は減少しません。ですので、ワクチンと治療薬の開発に伴って人の動きが徐々に回復し、経済は元に戻ります」

――不要不急のことを行わなければ、社会のニーズが変化し、経済は元に戻らないという可能性はありませんか。

 「ニーズの変化はあると思います。ただ、不要不急のことに手を出してもらわないと経済は回らないので、国を挙げたキャンペーンが行われます。必ず経済は復調します」

 「ただ、冠婚葬祭に関しては、元に戻ることはないと思います。儀礼の簡素化で、葬儀や年忌法要を盛大に行わなくていいと考える人が増えるでしょう。これは、コロナ禍がなくても、遅かれ早かれ訪れていた現象で、一世代ぐらい加速しただけのことです」

 「檀信徒がこれまで『煩わしくて、面倒くさい』『多くの人が集まると大変』などと感じていたことが、顕在化するでしょう。これに対して、僧侶は『違う』とは言えません。一周忌と三回忌、七回忌をまとめて行う人も現れるかもしれません」

死ぬほど考えよ

――儀礼の簡素化は、寺院経営の危機を招きますが、寺院としては、今後はどうあるべきだとお考えですか。

 「何をなすべきかを、死ぬほど考えることです。寺院を取り巻く環境が変化したとしても、寺院の果たすべき役割が変わることはありません。寺院は、故人を弔い、遺族の悲嘆を受け止め、故人との対話の場である墓を守ります。人々の心を受け止めるのが寺院の役割です」

 「ちゃんとした伽藍があり、過ごしやすい環境が用意され、香木がたかれて、安らぎを感じるしつらえであること。落語会など分かりやすい文化事業をすることでもいいと思います。檀信徒が友人を連れてきて、『あのお寺に行くと、安らぎや刺激を得られる』と思える場にすることです」

――浄教寺はホテル一体型の寺院に再建されました。檀信徒に負担をかけることなく、寺院運営を果たそうとしておられます。

 「この立地環境で何をなすべきかを、一生懸命考えた末にできたのが今の形です。けっして安易に取り組んだわけではありません。最も適した形がこれだった、ということです」
 
「今の住職なら大丈夫でも、次世代やその次の世代だとどうなるかを考えなければならない。その上で大切なのは『寺院には、対価があってはならない』ということです。対価とは、見返りのことです」

――心を受け止める場と言われましたが、どのような意味でしょうか。

 「檀信徒であれば、長い歴史の中で話しやすい関係性ができています。だから、安心して相談できる。ただ、関係性を作ることが目的ではなく、来る人が関係を持ちたいと思える場を作るべきです」

 「来られた人が目的を果たした後、全く来なくなっても構いません。いつでも来てくださいね、とオープンであることが大切。お寺で話せば、喜びは2倍に、つらさは半分になります。癒やし、癒やされる場であり続けるために、死ぬほど考えることが必要なのです」

2020-09-16 経済面・浄土宗浄教寺・光山氏01

 私たちは宗教専門紙「文化時報」を週2回発行しています。皆さまの「スキ」と「フォロー」をお待ちしております。
 お問い合わせ・ご購読のお申し込みは、文化時報ホームページまで。http://bunkajiho.co.jp/contact.html

サポートをいただければ、より充実した新聞記事をお届けできます。よろしくお願いいたします<m(__)m>