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「がんは複合的喪失体験」仏教死生観研究会

※文化時報6月28日号の掲載記事です。

 死を疑似体験するワークショップ「死の体験旅行」を手掛ける仏教死生観研究会(代表・浦上哲也なごみ庵住職)は7日、初の一般向け公開講座「僧医工夫・がん患者のケアと死生観について」をオンラインで開講した。がん患者と家族の心のケアを専門とする腫瘍精神科医、清水研氏(がん研究会有明病院、東京都江東区)を講師に招き、患者の心の動きや寄り添い方について学びを深めた。(安岡遥)

 がんは、肉体的な苦痛をもたらすだけでなく、体の機能や見た目を大きく変えることがある。長期入院で仕事を失うなど、社会生活に影響するケースもあるため、診断された当初は激しい悲しみや怒りに襲われ、自死に至る人も少なくない。

 清水氏は「がんは複合的な喪失体験。人生そのものへの脅威であり、100人いれば100通りの苦悩がある」と分析する一方、「人生の意味を問い直し、人間的に大きな成長を遂げるきっかけにもなる」と述べた。

 例えば、ある20代男性は、弁護士資格の取得を目指していたさなかに末期のスキルス胃がんが判明。「将来への努力が水の泡になった」という怒りを、周囲の人々にぶつける日々が続いた。

 しかし、徐々に現実と向き合い、「これまで自堕落な生活を送ってきたが、なぜ一日一日をもっと大切にしなかったのだろう」と自省。最期は自宅へ戻り、家族に感謝を伝えながら穏やかに過ごすことを選んだという。

 「怒りや悲しみを感じた場合、感情を押し殺さないことが重要。心の傷を受け入れ、信頼の置ける人に話すことができれば、気持ちが和らいだり新たな死生観が開けたりすることがある」と、清水氏は語る。

自他を大切にする

 清水氏は、一般の精神科で研修を積み、「経験を役立てたい」と30代で国立がんセンターへ入職。自分より豊富な人生経験を積んだ人に「私はどう生きればいいのか」と問い掛けられ、何もできない無力感にさいなまれた。

 「相手の役に立てないことが恐ろしく、無力感から逃れたい一心で働いていた」

 病気を直接経験していない他者が、当事者の気持ちに寄り添うことは難しい。「何かしたい」という思いが先に立ちすぎて、相手の気持ちに沿った対応ができない場合もある。

 「人は誰しも、他者を救うことで自分も救われたいと考えている。私自身も、自己評価の低さや無力感が原動力になっている。相手に迷惑を掛けず、結果として役立つことがあればいい」と、清水氏は語った。

 また、「相手の気持ちを完全に理解することではなく、理解しようと努める姿勢が重要だ」と強調。「今、何を感じているのですか」「そう思うのには何か理由があるのですか」などと質問を繰り返し、心から共感を示すことが「気持ちを分かってもらえた」という安心感につながると述べた。

 その上で、語ることを拒まれたり、無理に心を開かせることが望ましくなかったりする場合もあると指摘。「自分を犠牲にしても、良い結果は生まれない。自分も相手も大切にし、力になれる範囲で行動してほしい」と呼び掛けた。

患者の問いに僧侶回答

 講演後には、仏教死生観研究会に所属する僧侶5人を交えたクロストークが設けられ、「相談者に『死にたい』と明かされたらどう答えるか」「相談者がこちらに気を遣っている時、どう対応するか」といった話題で討論した。

 最後に、希少がんと診断されて5年になるという受講者からの質問を取り上げた。

 「最近『薬が効かなくなっている』と診断され、病気に慣れたわけでも気持ちに折り合いがついたわけでもないことに気付かされた。この世への未練や死への恐怖でいっぱいだが、心穏やかに過ごすにはどうすればいいか」

 登壇者全員が回答し、清水氏は「苦しみは多いと思うが、未練や悲しみを押し殺したり、無理に折り合いを付けようと努めたりする必要はない」と述べた。

 僧侶からは「慣れようとするのではなく、良くも悪くも今の状態を精いっぱい味わうことが大切」「穏やかになりきれない気持ちに一人で向き合うには限界がある。宗教者に相談することも選択肢の一つ」などの助言が寄せられた。

 講座は昨年、研究会に所属する僧侶らを対象に計画していたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止。一般参加者を交えた公開講座として再度企画し、約300人が受講した。浦上代表は「非常に濃密な時間を過ごすことができた。今後もこうした催しを企画したい」と話していた。

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