事業化の可否は「善悪」 仏教精神貫く若き起業家僧侶
※文化時報2021年8月19日号の掲載記事です。
仏教精神に基づいて企業を経営する僧侶がいる。浄土宗甘露寺(和歌山県紀の川市)の山下華朝さん(35)。スリランカからフェアトレード=用語解説=商品を輸入販売するアムリタ株式会社(同県紀美野町)を2019年に設立し、「暮らしの中に『善いもの』『善いこと』を提案する」との企業理念を掲げる。過疎地域の活性化や農業を通じたコミュニティー形成にも挑戦し、祈りと生活の一体化を目指している。(大橋学修)
和歌山市中心部から車で約50分。山あいを縫うように走り抜けた先の農村に、アムリタの事務所はある。
取り扱うのは、紅茶やココナツなどの食品で、スリランカから直輸入したフェアトレード商品。一般に流通する商品より価格は高いが、山下さんは「フェアトレード商品を買うことは、自分の中にある欲を見つめ、消費と行動に責任を持つこと。それが仏教精神に通じる」と話す。損得ではなく、善悪で事業を行うかどうかを考えているという。
そうした考え方に賛同する企業は増えており、仏教精神に合っているかどうかを調べた上で取引を申し出る会社も現れた。企業価値を高めるだけでなく、格差や富の偏りを何とか解消したいと真摯に考える経営者は多いのだという。
典型的な過疎地域に企業を設立したのは、浄土宗ともいき財団の職員として勤務していた頃、過疎寺院を支援する事業を担当していたことが背景にある。檀家の減少だけに目を向けるのではなく、地域経済の活性化を図る必要があると考え続けてきた。
17年度の国土交通白書では、三大都市圏(首都圏・近畿圏・中京圏)に住む20代の4人に1人が地方移住に強い関心を持っているとの調査結果が示された。これを実際の移住につなげるためには、生活基盤が必要だと判断。アムリタの創業を通じ、6人の雇用を生んだ。
寄付への依存に疑問
起業に至ったのは、非営利組織という形に疑問を抱いたからだった。
首都大学東京(現・東京都立大学)に在学中は、路上生活者の支援を行う「ひとさじの会」(髙瀨顕功代表)を対象に研究した。12年3月に大学院修士課程を修了した後は、全国青少年教化協議会や浄土宗ともいき財団で働いた。途上国の教育支援などやりがいのある仕事に取り組んだが、非営利事業は、寄付を得るための活動になりがちだと感じるようになった。
仏教者国際連帯会議(INEB)のイベントに参加して、社会活動に取り組むタイやインドの仏教者が、日本側に求めるのは寄付だけのように見えることも気になった。「寄付を募って活動する財団が、寄付を求められ、依存される。果たしてこれは持続可能なのか」
社会と仏教の関わり方のヒントを求めて、スリランカに飛んだ。INEBの紹介で、現地のセワランカ財団が設立したフェアトレード商品を生産・販売する企業に就職。3年間、農業と祈りが一体化した生活を送った。
そこで「自然の摂理を無視せず、不合理や非科学的なものを受け入れる点で、仏教と農業はつながっている」と確信。地元の和歌山でも、同じ生活を送りたいと思うようになった。
損得でなく、善悪で経営判断に当たるという山下華朝さん
和歌山でも農業と祈り
寺院を拠点に活動しようとは考えなかった。「社会に身を置いて活動しなければ、仏教は伝わらない」。スリランカでの人脈を生かし、フェアトレード商品の輸入販売を手掛けると決めた。
19年にアムリタを設立。「利益優先では生きていけないから、フェアトレードで仏教精神を実現したい。収益面で成功しているとは言えないが、形にすることはできた」と胸を張る。
地元の農業にも関わり、有機栽培の野菜などの販売も事業の柱にしようとしている。アムリタが立地する紀美野町の中田地区では、棚田を再生するプロジェクトが住民主導で19年に始まっており、山下さんもその一員として活動する。都市部の人々にも、棚田を訪れることで農業の楽しさや感動を味わってもらおうという取り組みだ。
昨夏には害虫が発生したが、「お米の力を信じよう」と有機栽培を貫き、大きな被害にはならなかった。山下さんは「自然という相手は大きすぎて、祈るしかない。農業は祈りとセットであり、ある意味修行ともいえる」と話している。
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【用語解説】フェアトレード
発展途上国の農産物や日用品などを、適正な価格で継続的に購入する仕組み。立場の弱い生産者の労働条件や生活水準を改善して経済的な自立を促すとともに、環境保護にもつなげる。「公平(公正)な貿易」と訳される。
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