WE THE MAKERS Sustainable Fashion Prize 2023 ファイナリスト 伊藤楽葵
ー卒業してからも精力的にコンテストに参加していますね! 伊藤さんには昨年のヘンペルアワードの時もインタビューさせていただきました。今回の「サステナブルファッションプライズ」への応募のきっかけは何でしたか?
海外コンテストの情報を聞きに国際交流センターに来た時に、このコンテストのことを紹介してもらいました。作品1体だけで応募しやすいからと。それが締め切りの1週間前で、急いで準備して応募しました。
ーもう作品自体はあったんですね。
別のコンテストに出そうと思って、卒業してから制作していたんです。卒業してからも特別に教室を使わせてもらえて、学校で使える設備は全部フルで投入して作った一体ですね。課題にも縛られず、のびのび作りました。作品の制作期間自体は1ヶ月くらいでした。
応募したきっかけにも繋がるのですが、ニュージーランドのコンテスト「World of WearableArt」にも選ばれたのに、作品が大きすぎて送料が高額になって諦めたのがめちゃくちゃ悔しくて。その反省から、海外にも送れるコンパクトな作品を作ろうと思って制作していました。
ーオーストラリアの国立羊毛博物館で行われるコンテストということも意識してか、オーストラリアのウールで制作したということでしたね。
日暮里で、たまたまオーストラリア産のウールが着分カットで売られていたんです。もうちょっと生地があったら、もっと大きいシルエットとか、袖を付けたりして、重みのある感じにもできたんですけど、素材が限られていたからこそ作れた服なのかなとも思います。人魚をモチーフに、海を連想させるエレガントなシルエットにまとめました。
ー応募の際には、「自身のデザイン美学とサステナブルの実践」について説明が必要でした。ここには何を書きましたか?
デザイン美学については、ヘンペルアワードのインタビューでお話ししたような、日本のアニメーションから影響を受けた二次元的なフォルムを三次元に落とし込んだ、というようなことを書いたと思います。
生地が限られていたので、いかに効率よく使うかを考えて、トワルで立体から形を作っていきました。曲線のパターンを引いて、余った生地から細いマチを取って、それをパチッと嵌めていったという感じです。それで立体感を出しています。トワルの段階では、フロント部分の装飾や脇の部分のパーツが多くて、実物ではかなり削ぎ落しました。
既にカットされた生地を使ったことと、曲線をデザインに取り入れつつ、残布を出さないようにパターンを工夫したところがサステナブル要素です。このような制作過程の写真とデザイン画も送りました。
ーヘンペルアワードの時も、サステナビリティは重要な評価基準としてコンテストの要項に明記されていて、でも、当時はあまり意識してはいませんでしたよね。それを考えると今回のコンテストでサステナビリティへの考えが深まったのではないかと思うのですが。
海外コンテストってサステナブルについて必ず書いてありますよね。日本ではあまり考えないけど、海外コンテストに応募すると、そういうことを考えさせられるので、いい経験かもしれない。でも、僕はまだそこが弱かったんです。そこが受賞できなかった理由だと思います。
グランプリを獲った子はオーストラリアのメルボルンの服飾大学でサステナブルファッションを学んだらしく、卒業制作で作ったものを出したと言っていました。服とバッグの2WAYで使えるデザインで、完成度が高かった。サステナブルを学ぶコースというのは日本ではなかなか聞かないので、とても驚きましたね。他のファイナリストも、素材をイチから残布で作ったりとか、廃棄されたゴミを編んで布にして洋服にしたりとか、そういうコンテストだからというのもあるかもしれませんが、日本では味わえない体験でした。
ー最終審査会のために、オーストラリアにはどのくらい滞在しましたか?
1週間くらい。招待ではなかったので自費ですが。でもこういう理由がないと行けないので、行けてよかったと思います。審査会の2日前ぐらいに前乗りしました。日本から飛行機で移動して、会場があるジーロング市もメルボルン空港から100キロぐらい離れているので、移動で一日終わっちゃって。ジーロング市は港町で海がすごく綺麗でした。授賞式に参加した後は、メルボルンに移動して観光したというスケジュールです。メルボルンはすごくおしゃれで都会でした。
ー審査会と受賞式は同日でしたか? どんな様子だったか教えてください。
同じ日にありました。午前中はサステナブルプライズの偉い方に、僕だけ街を観光案内していただいて。多分、僕だけ日本から来たから。他のファイナリストはオーストラリアの方とか、作品だけ送った方もいましたし。
午後からは授賞式とパーティーがあったのですが、授賞式の時の挨拶でも「はるばる日本から来てくれた伊藤楽葵さんです」と、僕の名前を紹介してくれたんです。すごく歓迎されて、一緒に行ったうちの親も喜んでいました。それで顔を覚えてもらって、みんなが話しかけやすくなったのかな。パーティーも、ずっとコロナだったので、僕はそういう場に参加するのが初めてだったのですが、他のファイナリストたちと話す機会もあったし、来場者の方にもたくさん話しかけてもらって、作品をすごく褒めていただいたりとか、日本に行った思い出を話してくれたりとか。賞が取れなくて、すごく悔しかったのですが、それを忘れるぐらい楽しかったです。
ー今後、このコンテストに挑戦してみたいというかたに、アドバイスはありますか?
他の海外のコンテストに比べると参加のハードルは低かったので、在学中でも簡単に応募できると思います。現地に行く場合は、招待ではないということと、行き帰りの移動だけで2日もかかってしまうので、そこが大変ですかね。あとは、あまり大きいものを作ると送料が高くなってしまうので、自分で持っていくにしても、海外コンテストをやるのであれば、運ぶことも考えたほうがいいという、現実的なアドバイスをしたいと思います。このコンテストは2年に1回の開催ですが、みんなに参加して欲しいです。
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