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第10回 生きた心地もしないままに

第9回「地下世界へ潜るための心構え」でも述べたことだが、地下世界に分け入ってそこに住む生き物を探す調査は、地上での調査活動では到底考えられないような「死に直結する危険」と常に隣り合わせだ。複雑な立体構造の洞窟では、容易に方向感覚を失って遭難するおそれがある。何度か入ったことのある洞窟であっても、ふと「今自分がどっちの方向を向いているか」がわからなくなる瞬間というのがあって、ぞっとするものである。何しろ、ヘッドライトで照らしているとはいっても辺りは漆黒。自らの方向を定めるための、目印のようなものが見当たらないし、またそれを決め難い。

昔、アリの巣に寄生する生物群集の研究・調査のため、ペルーの奥深いジャングルに長期滞在したことがあった。ある時、一人でジャングルに通された林道を歩いて奥地へと踏み込んだのだが、この林道というのが細くて狭い上に草ぼうぼうで、道とそうでない場所との区別が極めて曖昧であった。加えて、いくら歩けども景色が全く変わらず、ひたすら緑一色。
歩き始めてわずか数分のうちに、私は方向がまるでわからなくなってしまい、危うく遭難しかけた。自分が今どこを向いているのか、またどこから来たのか皆目見当がつかず、行きも戻りもままならない。熱帯のジャングルは(よくテレビで、毎年サッカー場いくつ分の熱帯雨林が破壊され続けています・・・などと言われてはいるものの)広大かつ携帯電話の電波も届かないので、ひとたび迷うとそこから抜け出せず、誰の助けも呼べないまま餓死する可能性が極めて高い。
この時は奇跡的に道を再び見つけ出して引き返せたが、あの方向感覚を失った瞬間の「俺はこの後死ぬのではないか」という恐怖感は、今思い出しても背筋が凍る。恐怖感によりパニックになると、なおのこと理路整然とした行動がとれなくなり、さらに己が足を死の淵へと誘うこととなるのだ。
しかもこの時に関しては、遭難してパニックになったその場に、あろうことかペッカリー(中南米特有のイノシシ。怒らせると危険)の群れがやってきてしまい、なお精神が疲弊したものだった。

カワサワメクラチビゴミムシRakantrechus kawasawai。
色素の薄い小型種。四国のとある洞窟に固有。件の調査の際に見出された。

洞窟でもこれと同じことになる可能性がある。特に初めて行く場所へは、単独行を避けた上で可能な限り洞窟の内部構造をある程度頭に入れておくなど、事前の情報収集が欠かせない。中には深部に滑る泥で出来たすり鉢状の部屋があって、そのすり鉢の底が底なし地底湖という、ブービートラップにも程があるようなヤバい洞窟も日本に実在するのだから。しかし、洞窟での危険はこれに留まらない。

かつて、とある四国の洞窟へ「土木作業仲間」とともに入った時のこと。この洞窟は、かなりの奥行きがある規模のでかいもので、深部にはコウモリやメクラチビゴミムシをはじめ多種多様な地下性生物たちが生息する場所として、その筋の人間らの間では有名な所だった。我々は、その洞窟の最深部に近いエリアまで分け入り、全身泥とコウモリのクソまみれになりつつ黙々とメクラチビゴミムシを探し続けていた。洞床に落ちている石を使い、粘土質の湿った地面をほじくって探す。また、地面に半分埋まった石を裏返しては、その下に隠れている小さな生き物を探すのである。
そんな探索の最中、私は近くの地面に小さな裂け目ができているのに気づいた。何の気なしにそこを覗き込むと、地面の下が層状に異なる色分けとなっていたのである。さらに、さっきから地面をほじっていて気になっていたのだが、この場所の地面にはやたら細くて白っぽい、竹ひごのようなものが大量に埋まっているようだった。ぱっと見は、細い木の枝みたいな印象。しかし、外から雨風に流され飛ばされた木の枝が侵入してくるには、ここは随分と奥まり過ぎる地点だが...
ともあれこれらの事象を、当初私は別段どうこう考えもせず、当座はただ目先のムシさえ見つけられたらいい程度にしか思っていなかった。
よって、私はそのまま能天気にじめじめとムシ探しに興じていたわけだが、後からそこへやって来た仲間からそれら事象にまつわるとんでもない話を聞かされ、背筋が凍りつく思いをすることとなったのだ。

ケブカクモバエPenicillidia jenynsii。
コウモリに寄生する異形の吸血バエ。
洞窟壁面に蛹で休眠し、人が近づくとCO2を感知して一斉に羽化する。
件の調査の際に見出された。

彼曰く、この洞窟では過去度重ねて天井の崩落、つまり落盤が起きているらしい。天井の岩の一部が、ちょこっと崩れて地面に落ちてくる程度の規模ではない(それだって十分過ぎるほど危険だが)。洞窟全体の天井が、丸ごと一気にごっそりと落ちてくるのだ。まるで昔の城廓にありがちな、不届きな侵入者を捕らえて血祭りに上げるべく仕掛けられた、「吊り天井」の如く。つまり、さっき見た層状の地面というのは、これまでの歴史の中で連面と落下し続け、ミルフィーユ状に重なった天井に他ならない。
我々は、落ちた天井の真上を歩いていたのだ。地面の中に大量に埋まった竹ひご状のブツは、落盤時天井に張り付いていた、無数のコウモリ達の骨だった。落ちる天井と地面との間に、文字通りサンドイッチのように挟まれて潰された彼等の成れの果てだ。

地層の色分けの数や厚さからみて、この洞窟が定期的に落盤に見舞われているのは明白であり、またそれは今後も起きるであろうことを物語っていた。もしかしたら、こうしている今この瞬間、いきなり天井が落ちてきてもおかしくはない。そして、我々も歴代のコウモリ達と一緒に、地層の歴史に新たな一ページを刻むことになるやもしれぬのだ。生きた心地もしないままに、洞窟を脱出した。

第11回へつづく。

Author Profile
小松 貴(こまつ・たかし)
昆虫学者。1982年生まれ。専門は好蟻性昆虫。信州大学大学院総合工学系研究科山岳地域環境科学専攻・博士課程修了。博士(理学)。2016年より九州大学熱帯農学研究センターにて日本学術振興会特別研究員PD。2017年より国立科学博物館にて協力研究員を経て、現在在野。著作に『裏山の奇人―野にたゆたう博物学」(東海大学出版部)、『虫のすみか―生きざまは巣にあらわれる』(ベレ出版)ほか多数。

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