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第7回 新種ナガコムシ、撮影してた!!

Author:小松貴(昆虫学者)

皆様方は、「あん時なぜあんなことをし(なかっ)た!」と、過去になした自分の行い・振る舞いをシバき倒したいほど後悔するような経験をお持ちだろうか。私には、まさしくそのようなことが日常茶飯事である(主に人間関係において)。しかし、逆に過去の行いにより自分自身を心から褒めちぎりたい局面というのは、極めて稀である。

数年前、私は地下性昆虫を専門に研究している海外の昆虫学者らと共に、九州北部のとある鍾乳洞内で生物調査をする機会に恵まれた。そこはきわめて長大な石灰岩洞窟で、入り口からおよそ数十mまでが観光整備されているが、その奥は保全エリアとなっている。
当然ながら、その保全エリアの奥に立ち入り、あまつさえそこで生物を捕獲するためには、前もって関係省庁にとてつもなく取得困難な現状変更許可等の申請を出さねばならない。だがこの時に限っては、先方がその煩雑な申請手続きを肩代わりしてくれたため、大手を振ってその立入禁止エリアで虫探しできることになったのだ。

ツツガタメクラチビゴミムシStygiotrechus unidentatus。
九州北部の洞窟に固有。観光エリアからは絶え、
深部にしか生き残っていない絶滅危惧種。

この洞窟内には、近年ほぼ生息記録の途絶えた状態となっていたメクラチビゴミムシの珍種がおり、私はこれの生きた姿を拝むことを本調査で一番の目的としていた。その目的は早々に達成され、同行していた知人が調査開始後30分位にして、それを首尾よく見つけてくれた。私は彼からそれを受け取り、その場で夢中になって撮影を開始した。するとその最中、周辺で探索を行っていた海外の学者が、「変わったナガコムシを見つけた」と傍に来て言ったのである。

ナガコムシというのは原始的な昆虫類(正確には分類学上、一般的な昆虫類とは異なる内顎綱というグループとして扱われる)の仲間で、細く軟弱な白い体と、長い2本の尾(尾角)を持つけったいな風体の虫だ。
多くの種は土壌性で、腐植物を餌に生きている。まったく珍しいものではなく、そこらの公園の石や落ち葉の下を探せばいくらでも出て来る虫だが、そうした場所で見られるのは軒並み体長3-4mmの微少種だ。
他方、日本各地の洞窟では、長い尾を含めて体長4cm近くにもなる巨大な個体が見つかっており、これらは俗に「ホラアナナガコムシ」と呼ばれている。
ただ、この昆虫類の分類学的研究は研究者の少なさからなかなか進んでいないようで、特にこの洞窟で見つかる巨大な個体は果たしてそういう特殊な種なのか、それとも地表の小型種が広い洞窟空間で暮らして巨大化しただけなのかの判断が(少なくとも当時)つかなかった。彼が持ってきたのは、まさにその3-4cmクラスの巨大な奴だった。

センブツヤスデSkleroprotopus platypodus。
九州北部のカルスト台地地下に生息する固有種。
写真の個体は、今回の調査中に
ツツガタメクラチビゴミムシと同時に見つかったもの。

彼は「これは新種に違いないから、記念と思ってお前の自慢のカメラの腕で綺麗に撮影してくれ」と私に頼んだ。だが、以前私は別の洞窟で、同行した別の研究者から「前にここで巨大なナガコムシを出したが、調べた限り地表の小型種が単にでかくなった奴に過ぎなかった」との弁を聞いていた。
どうせこれもそこらにいる種だろ? 私は珍しいメクラチビゴミムシの撮影に気を取られていたし、どこにでもいるナガコムシ如きに撮影時間など費やしたくなかった。だから、「はいはい、じゃ後でね」と適当に生返事してナガコムシ入りの容器を借り受けはしたものの、その後それを撮った記憶が一切ない。

それから2年近く経ったある日のこと。いつものように、インターネットでニュースサイトを徘徊していた私の目に、衝撃的なニュースが映った。なんと、あの日洞窟で見たナガコムシが本当に新種であることがわかり、件の海外の学者が正式に記載論文を学術誌面にて発表したのだ。その、日本産ナガコムシ類としては異例なまでに巨大な体躯から、日本の伝説上の巨人デェダラボッチ(ダイダラボッチ)に因み、Pacificampa daidarabotchiと名付けたという。
何たる不覚。私はあの時メクラチビゴミムシにかまけるあまり、ナガコムシのことなんか一切気にもかけていなかった。あの時彼から虫を受け取って、その後撮影した気がまったくしない。それはすなわち、撮影していないということに他ならない。あの時新種とわかっていれば、ちゃんと撮影したのに。じゃあ、これからもう一度あの洞窟までのこのこ撮影し直しに行くか? 否。またあれをあの洞窟まで撮影しに行くとなれば、えらい時間と金を費やすし、それより何より立入許可が絶対に下りない。大仰な研究のお題目がある訳でもなし、ただ私個人の気分の問題で、たかだかムシ一匹の写真を撮るだけのために立ち入る許可など、下りるはずもないのだ。私はガックリと肩を落とした。そして、つとめて本案件のことを考えないようにしつつ、その後しばらくを過ごすこととなったのである。

トビグチノコギリヤスデPrionomatis nivale。
九州北部のカルスト台地地下に固有。体に色素を欠く。
写真の個体は、今回の調査中に
ツツガタメクラチビゴミムシと同時に見つかったもの。

それから相応の月日が流れたある日。私は、いつも世話になっている出版社からの要請を受け、とある書籍に掲載するための写真を探すべく、自宅のハードディスクを漁っていた。このハードディスクの中には、私が本格的に昆虫写真をやり始めた大学入学時の頃から撮りためた、那由他の数の写真データが入っている。
その中を調べていた際、たまたま成り行きで開いた「あの日の写真」のフォルダー内に、どえらい沢山のデェダラボッチことP. daidarabotchiの写真があるのに気付いて、思わず腰を抜かしそうになった。

Pacificampa daidarabotchi。
和名がないので、デェダラナガコムシとでも呼んでおく。

あの日の私は、「どうせつまらん、歯牙にもかける価値すらない鈍物」と口先では言いつつも、しっかりナガコムシを撮影してくれていたのだ。
「でかしたぞ、俺!」

第8回へ続く。

Author Profile
小松 貴(こまつ・たかし)
昆虫学者。1982年生まれ。専門は好蟻性昆虫。信州大学大学院総合工学系研究科山岳地域環境科学専攻・博士課程修了。博士(理学)。2016年より九州大学熱帯農学研究センターにて日本学術振興会特別研究員PD。2017年より国立科学博物館にて協力研究員を経て、現在在野。著作に『裏山の奇人―野にたゆたう博物学」(東海大学出版部)、『虫のすみか―生きざまは巣にあらわれる』(ベレ出版)ほか多数。

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