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水の中で見つめるサケの瞳

Author:平井佑之介(いきもの写真家)

サケとの出会い                            

サケの赤ちゃんを正面側から観察するために回り込みます。

僕がはじめて川を泳ぐサケを見たのは2014年の秋、岩手県沿岸でのこと。
「サケと一緒に泳げる!」
そのことが水中カメラを持ち始めて3年目の僕にとっては、夢のようなワンフレーズでした。そのころは、写真絵本の構想などはなく、とにかく水の中でサケに会いたい!という気持ちが強かったのです。子どもの頃に図鑑で読んだ「サケが川で命をつなぎ、生を終える」というありのままの姿を見たかったのです。

東京からの夜行バスで岩手県を目指し、朝に到着すると観察ツアーの待ち合わせ場所へ向かいました。
「ここがサケの産卵を観察する川だよ!」
川のいたるところに黒い魚影、そして「バシャシャシャ」とあちこちからサケが立てる波しぶきの音が響いていました。僕が訪れたサケが今も上る川は、2011年の東日本大地震による津波をかぶった被災地でした。訪れたときには川底の瓦礫は取り除かれ、辺りの畑道を工事車両が往復し、高台には商店街や施設が並んでいました。

こんな装備でサケを見る

冬の川でも基本装備は同じです。

川の水温は低く、秋には7℃ほどにも下がります。そのため、ダイビング用のドライスーツ(内部が濡れないため体温が奪われにくい)やグローブ、そしてシュノーケルを身に着けます。撮影用の防水ハウジングに入れたカメラを手に持ち、サケが遡上する川にそっと足をつけます。膝をついて低姿勢になり、顔まで水に浸かってサケとの距離を確かめます。

「僕は岩、僕は岩」。
産卵を邪魔しないようにサケに慎重に近づきます。流れ続ける川の水はとても冷たく、サケと並んで夢中になっていると、ドライスーツを着ているとはいえ、いつの間にか体が冷えます。水中での1回の観察は長くても2時間ほど、川から出たらすぐ体を温めてサケの様子を眺めてひと休み。多いときで1日に3回繰り返すと、山の向こうに日が沈む時間です。撮影を始めて4日目。川底を掘る1匹のメスと寄り添う1匹のオスが目の前で産卵しました。命をつなぐ瞬間にようやく立ち会うことができたのです。

冬の川をのぞく

それから毎年、秋が来るとサケの遡上を見に行きました。
ある年、産み落とされた卵はいつ孵るのだろうと気になって、冬の川に入ることにしました。文献やインターネットでサケの稚魚のことを調べました。卵が孵化するには毎日の水温の合計値が影響します。そのため、水温を一定に保ち人工的に孵化させる孵化場にくらべると自然界では卵の成長が遅いため、数か月待って年を越した冬の川に何日も入りました。
川の上からのぞいても、生き物の姿は見当たりません。冬の川では動きまわる魚やエビ、それを狙う鳥は少なく、水草なども色が抜けて物寂しく感じます。

動かした指とその色で冷えているのがよくわかります。

本当にサケの稚魚が泳いでいるのだろうか? ドライスーツを着て、腰や靴下用のカイロを貼り、川下から遡ってみると、小さな魚の群れを見つけました。パーマークというサケ科魚類に特徴のある体の模様です。秋に産まれた卵から孵ったサケの稚魚が、懸命に生きていたのです。
稚魚の大きさと比較するために、グローブを脱いだ手を水につけて写真を撮ろうとしました。けれどもほんの数秒も耐えられないほど凍てつく水温に指が動きません。雪解けの冷たい水に守られているのか、広い川の中で群れは以外にも大胆に泳いでいました。その日の水温は2℃、川から上がったときにかぶる桶のお湯の温かさが余計に沁みます。

朝に汲んだお湯は昼過ぎには温くなっています。

岩手の自然と野生動物

サケとの出逢いは、岩手のさまざまなものとかかわるきっかけをくれました。ドライスーツで初めて潜った東北の海では、川から流れ着いたほっちゃれ(産卵を終えて力尽きたサケ)をヒトデが食べていました。サケの命がほかの生き物たちへとつながっている瞬間でした。
サケを食べるということも、誰かとのつながりのひとつの形。目には見えない普段は感じないところでも、生き物たちはこの地球でつながっている。それを表現するには東北・岩手県の自然や四季の物語を追って春の山に入り、シャッターを切りました。今日は会えなかったけれど明日はこんな出会いがあるかもしれないと、さらなるテーマとしてサケの遡る川のさらに上流、そこに住むツキノワグマを追いました。十数日もかけて痕跡を探し、ようやく広大な森に生える1本の木に登る姿を見つけました。クマは気配もなくひっそりと、サクラの実を食べていました。“かれらも今を生きる地球の一員”、改めてそう感じたその日の太陽は沈むのがとても早く思えました。

初めて会ったツキノワグマ。彼を見てクマの印象が変わりました。

秋のある1日は、山頂の朝日からはじまり、木々に差し込む斜陽を感じながら動物を探し、日中はサケのいる川へ。夕陽が刺すころには再び山を登り、夜には満点の星や漁船の光をゆったりと見て、そのまま車で眠りについて朝日を待つ。サケを観察するツアーからはじまり、岩手で出会った人の言葉や、自然と動物の姿を1冊の本にまとめたい気持ちは、日増しに強くなりました。

サケたちが今年も帰ってきたね!

この川は、ぼくにとっても「ふるさとの川」になりました。

サケは川で生まれて海へ下り、平均して4年後にふるさとの川へ産卵のため帰ってきます。ところが近年、サケが毎年のように減っているというニュースを耳にするようになりました。僕が観察と撮影を続けてきた川でも、わずか数年前まではたくさんいたサケたちがふるさとの川からいなくなるのを目の当たりにしました。サケの減少は日本の多くの川でも起こっていて、原因は海水温の上昇と考えられています。季節が陸よりも遅れてやってくると言われる海の中、その海水温は秋になっても下がらないのです。冷水域を好むサケには故郷の川の沿岸域や三陸沖の海水温が高すぎるのです。

今を生きることに真っすぐなサケの瞳を見ていると、僕には何ができるだろうと考えます。僕がシャッターを切って作りたかった物語、命をつなぐサケの姿と人と自然のかかわりを1冊の本にしていただけたことに感謝申し上げるとともに、これからもサケに学んだまっすぐな瞳で生き物たちと向き合っていきたいです。
「今年もサケが帰ってきたね!」
その言葉が何年後も聞こえますように。

Author Profile
平井佑之介(ひらい・ゆうのすけ)
1988年、東京生まれ。大学で動物行動学を学び、写真を通して「今を生きる」生き物たちの姿を伝え、人と動物、そして自然がともに暮らせるきっかけを作りたいと写真家を志す。伴侶動物であるイヌやネコから、イルカやビーバーなどの野生動物まで幅広く撮影している。


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