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第12回 足元に暮らす不思議な闇の住人

地下水生物の中には、今なお我々人類に発見されていない珍しいものが潜在的にかなり多く存在すると考えられ、深海同様に新種発見のフロンティアとなりうる世界である。
しかし、その事は同時にこの「世界」を暴くことがこれまで如何に難しかったか、そしてその難しさが如何に今と昔とで大差ないかという絶望的な事実を、無慈悲にも我々に突き付ける。何しろ、地下水生物を捕まえるのは、陸の地下性生物を捕まえる以上に難しいのだ。

通常彼らの捕獲には、深い洞窟の奥底にあるたまり水を探すか、井戸ポンプを使って地下水をくみ上げるくらいしか方法がない(種により、湧き水の吹き出し口の土砂を洗って捕れる場合あり)。「洞窟に入る方法は、その場所の性質上しばしば身の危険を伴う」という話は、既に先の連載にて散々し尽くしたところである。
真っ暗な地下世界で、たまり水の中にいる生き物を見つけ出すのは、簡単なことではない。何しろ、彼らは微小である上に色素を持たないから、とにかく見づらい。ミズムシやヨコエビといった、体長5mm内外の甲殻類(このサイズですら、地下水生物としては相当デカい部類に入る)でも、気を付けないとしばしば目の前にいても見落としてしまう。ましてそれ以外の、むしろ地下水生物としては大多数派を占める体長1-2mm以下の生物に至っては、現地で目視にて水底の土砂と見分けてより分け、捕まえるなど到底不可能だ。しかも悪いことに、こうした微小な連中は、水底の表面の目に見える所にはいないことの方が普通である。

カイミジンコの仲間。
東京都中野区に現存する井戸から汲み出された個体。
この仲間にはドウクツカイミジンコ属Cavernocyprisのような
地下水性の仲間もいるが、同定は困難。

こいつらをどうやって捕まえるか。そこで登場するのが、プランクトンネットだ。湖沼や海にて、水中を漂うプランクトンを採集するために使われる、極めて目の細かい網であり、網の底の部分にはかかったものを溜めこむためのプラスチック製の受け皿がついている。普通、これを水中に沈めてやみくもに掬う動作を何べんも繰り返し、場合によっては船を使って長距離に渡り網を引き回し、プランクトンをかき集める。これと大同小異なことを、洞窟のたまり水でもやるのだ。
たまり水の底に溜まった泥や土砂を、足か何かで思いっきりガシャガシャ引っ掻き回す。すると、たちまち砂煙が水中に立ち込め、水が濁る。この時に、プランクトンネットを使って濁った水を10回でも100回でも1000回でも掬いまくる。
なお、井戸ポンプを漕いで生物を捕まえる方法も、基本的にこれに準ずる。すなわち、水井戸水の吹き出し口にプランクトンネットを設置し、あとはポンプを10回でも100回でも1000回でも、何べんでも漕ぐ。そう、何べんでもだ。
やがて、ネットの受け皿に大量の土砂が泥水とともに溜まっていく(井戸ポンプの場合、途中で不純物を取り除くフィルターの類が取り付けられたものだと、砂どころか生物が何一つ出てこない。とにかく水と一緒に不純物が大量に出て来る、「飲用不可」の井戸を探して漕ぐ必要がある)ので、この土砂を水ごと別の容器に移し替えて大事に家なり研究室なりへ持って帰る。この土砂こそが「宝の山」で、中におびただしい数の微小な生物が紛れている可能性が高い。
持ち帰った土砂を水ごとスポイトで取り、透明なガラス水盤に少しずつ移す。これを横からライトで照らし、何か動くものがいないかを丹念にチェックする、というやり方で、ミズダニやムカシエビといった甲殻類を採集することができるのだ。

セトゲオオムカシエビAllobathynella carinata。
東京都西部に現存する井戸から得られた個体。
東京都八王子市の井戸から発見された個体を元に新種記載された。
ムカデのように水底を這い回る。体長3mm程度だが、
それでもこの仲間としては大型種。
長い体といかつい背中は、地底の白竜を思わせる。

この方法は、それが微小なものであればあるほど、果たして生物がちゃんと採れているのか否かが、現地では一切分からないのが難点である。わざわざ遠方の洞窟なり井戸まで土砂を集めに行って、結果持ち帰ったものの中に生物が何一つ入っていなかった時の絶望感、徒労感たるや、推して知るべし。大量の土砂を含む水の中から砂粒ほどの大きさの、しかも色もあってないような生き物を見分けてつまみ出す作業は、相当に精神力を必要とする作業である。油断すると、せっかく入っていたかもしれない貴重な生物を見落として、不要な水や土砂と一緒に捨ててしまいかねない。しかも、活発に動く生物であればまた動く分、存在に気付きやすいが、中にはほとんど活動性を持たず、目に見える動きを見せてくれないような生物もおり、「動くものを気にして探す」やり方に頼ると、これまた見落とす危険性が高まる。しかし、私は幾度もこの作業を続けるうち、生物だけを効率よく土砂からより分けて確保する方法を発見した。

どういう訳か知らないが、地下水の生物たちは分類群の枠を超えて、体表面がやたら水をはじく性質を持っている。何かの拍子に水面に浮いてしまうと、表面張力により水の外へはじき出されてしまい、その後ずっと自力では水中に戻れず水面に浮き続けていることになる。この性質をうまく使うのだ。すなわち、ソーティング(土砂から生物をより分ける作業)をするためのガラス水盤を用意し、高さ10cm位の辺りからスポイトで取った水と土砂を落とす。この、「水滴を落とす」という過程が重要なのだ。それにより、もしその水滴中に生物がいれば、水盤に落ちた衝撃で生物体が水滴の外にはじき出され、水面に張り付いた状態になる。こうなると、横からライトで照らした時に、生物の体がより見やすくなり、どんな小さくて動きの鈍いミズダニでも割と簡単に発見できるようになる。
ただ、そうは言っても経験と熟練が何より物を言う作業ではあるが。

メクラミズムシの一種Asellus tamaensis。
多摩川水系の地下水から得られた個体。
東京都八王子市の井戸から発見された個体を元に新種記載された種で、
体長1cmほどもある、純白で大型の地下水性甲殻類。

地下水生物は、じつのところ東京の都心部でさえ現在も多くのものが生息している。いくら地表が開発されつくしても、地下世界の環境は意外にも温存されていることの証左であろう。
我々の足元に住む不思議な闇の住人達。都会の雑踏の只中でふと立ち止まり、奴等の生きる異世界に思いを馳せるのも、また一興である。

この連載はひとまず全12回で終わります。

Author Profile
小松 貴(こまつ・たかし)
昆虫学者。1982年生まれ。専門は好蟻性昆虫。信州大学大学院総合工学系研究科山岳地域環境科学専攻・博士課程修了。博士(理学)。2016年より九州大学熱帯農学研究センターにて日本学術振興会特別研究員PD。2017年より国立科学博物館にて協力研究員を経て、現在在野。著作に『裏山の奇人―野にたゆたう博物学」(東海大学出版部)、『虫のすみか―生きざまは巣にあらわれる』(ベレ出版)ほか多数。

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