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第8回 地下性生物を脅かすものとは?

狭い地下深くの隙間という、容易に敵に襲われなさそうな環境に住んでいるメクラチビゴミムシにも、じつはその生命を脅かす敵がいる。それは、(変質的な嗜好を持つ虫マニアの人間共を除いて)菌類である。
湿度のきわめて高い地下空隙では、生きた虫に寄生して殺す冬虫夏草のような菌類がはびこりやすい。たとえば洞窟の奥で石を裏返していると、稀に虫体の何倍もの長さの根っこみたいなものを体から生やし、そのまま息絶えているメクラチビゴミムシが見つかることがある。
一般的に、冬虫夏草は寄主が死んだ後にキノコが生えてくるものだが、聞いたところによるとメクラチビゴミムシに寄生する冬虫夏草は、すぐに寄主を殺さないらしい。知り合い曰く、体から長く伸びたキノコを生やしたまま歩き回る個体を見たというのだ。この手の菌類はメクラチビゴミムシのほか、同様に地下空隙に住むチビシデムシなどにも生えているのを見かけるが、果たしてそれら菌類がみな同種なのか否かはよく分からない。

シコクチビシデムシCatops hisamatsuiの体から生えた菌類。
この虫は、洞床に堆積したコウモリの糞(グアノ)の上に群生する。

冬虫夏草は、最終的に寄主を殺してしまうが、殺さない菌類もいる。ラブルベニアという菌類は、生きた昆虫の外骨格にのみ寄生する不思議な菌類だ。さまざまな分類群の昆虫に寄生するが、特にハエや甲虫が標的となることが多く、ゴミムシの仲間には普遍的に見られる。もちろん、メクラチビゴミムシもその例に漏れない。
メクラチビゴミムシの体表をよく見ると、たまに小さくて黒い音符のようなものが背中から出ていることがある。一見、虫の体毛かゴミにも見えるが、これがラブルベニアだ。一般にラブルベニアは寄主特異性が種レベルで高く、種毎に特定種の昆虫にしか寄生できないと言われている。だから、メクラチビゴミムシの種に合わせてラブルベニアの種もある程度分かれている可能性が高いが、そんなもの誰もまともに調べていないのが現状である。
メクラチビゴミムシの中には、環境破壊の影響で絶滅が危ぶまれる種が少なからずおり、また既に滅んでしまった種さえいるほどだ。なので、宿主の衰亡とともに運命を共にしていく(いった)ラブルベニアも、さぞかし多いことだろう。

ウスケメクラチビゴミムシRakantrechus mirabilisの背面から、
音符のような形のラブルベニアが生える。

ともあれ、常に数多の菌類に寄ってこられる危機にさらされているメクラチビゴミムシは、とてもきれい好きな虫だ。観察していると、数十秒おきくらいに触角をしごき、脚同士をこすり、背中をなでさすりと、体の掃除ばかりしている。だから、地下から捕獲したばかりのメクラチビゴミムシは、泥っぽい環境にいたにもかかわらず、体には汚れのほとんど付いていない個体が多い。地下から見つけ出すときには、彼らは必ずピカピカのなりをしているのだ(それがなおさら、暗黒世界からこの虫を見つけ出した時、我々に「何と美しい生物なのだ」と思わしめる)。
私はいつもメクラチビゴミムシの生きた姿の写真を撮るとき、それを採集した現地にて、それが得られた場所の岩の上に乗せて撮影するようにしている※。その際、走り回って逃げようとする虫をうまく岩の中心部に誘導すべく、指で彼らの進路をふさぐ。指にぶつかった虫は、軌道を変えて走り回るが、しばらくすると一時立ち止まり、体を猛烈にグルーミングし始める。人間の指先の汗などが体に付いたのを嫌がっているのだと思う。「きったねぇ指でアタシに触るんじゃねぇぞこの汚物めが!」と虫に言われているような気がして、とても申し訳ない気分になる。


※地域固有性がきわめて高い地下性生物は、その土地特有の地質の上にいて然るべきである。例えば、火山岩地質の土地にしか分布しないはずの生物を、石灰岩の上に乗せて撮影した写真を迂闊に世間に公開してしまえば、知識のある人に「何じゃこれは?」と思われるようなちぐはぐで頓珍漢な写真を開陳することになり、自然写真家の恥として一生私について回ることになるのだ。

閑話休題。かような天敵に襲われようが襲われまいが、生き物である以上メクラチビゴミムシはいずれ寿命で死ぬことになる。メクラチビゴミムシが生息する地下深くの空隙は、有機物の分解がとても遅い環境だ。こうした環境下でメクラチビゴミムシが死ぬと、まもなく体のパーツをつなげていた筋肉が腐り落ち、パーツ同士がばらけていく。それらはやがて、地下の水流などの力で四方に流されて散らばり、もはや生時の姿をとどめなくなってしまう。しかし、それぞれのパーツそのものは散って目立たなくなるものの、かなり長期間分解されずに残っているものである。

メクラチビゴミムシの体のパーツ中で一番大きいのは、上翅(専門用語ではエリトラと呼ぶ)である。地下の住人たるメクラチビゴミムシは、飛ぶ必要がないため翅が退化している。すなわち大抵の種において、左右の翅が融合して一つのお椀状になって腹部の上にかぶさっており、開くこと自体が出来なくなっている。この「円盤」は、物理的に砂利同士の摩擦で破砕でもされない限り、かなりの長期間にわたって原形を保ったまま地下空隙の狭間にあり続ける。
山沢の源流で、メクラチビゴミムシを求めて右も左も分からずに黙々と「土木作業」している最中、暗黒の土砂の中からキラリと光るこの紅い円盤が現れると、冷え切った心に灯がともる。その箇所から遠くない地下のどこかで、かつてメクラチビゴミムシが生きていた、そしてその残党が今もすぐ近くに生きているという何よりの証なのだから。「土木作業員」にとってエリトラは、約束された勝利の円盤だ。

アシナガメクラチビゴミムシ(写真上)と、キバナガメクラチビゴミムシ(写真下)。
前者は四国カルスト、後者は熊本県の縦穴洞窟の深部に固有。
キバナガはきわめて採集困難な種として知られ、
生きた姿は恐らくこれまで撮影されたことがない。

飛べないという話に関連して、メクラチビゴミムシをはじめ地下生活に特化した甲虫類は、翅が開かない以前に翅を開いて動かすための筋肉も退化しており、より地下生活に特殊化した種ほどその傾向が顕著となる。
こうした種は、分類群の枠を超えて一様になで肩でほっそりした体形をしており、また上翅がお椀の如く高く盛り上がって腹部の上に載っている。以前、本連載でも触れたアファエノプソイドという形態適応である。
ヨーロッパや中国では、この手の奇怪な風貌をした地下性甲虫類が多様化しており、日本ではそれらに及ばないまでも、四国のアシナガメクラチビゴミムシNipponaphaenops erraticusや、九州のキバナガメクラチビゴミムシAllotrechiama mandibularisのような特殊化著しい種が存在し、俗に「超洞窟種」と呼ばれている。

第9回へ続く。

Author Profile
小松 貴(こまつ・たかし)
昆虫学者。1982年生まれ。専門は好蟻性昆虫。信州大学大学院総合工学系研究科山岳地域環境科学専攻・博士課程修了。博士(理学)。2016年より九州大学熱帯農学研究センターにて日本学術振興会特別研究員PD。2017年より国立科学博物館にて協力研究員を経て、現在在野。著作に『裏山の奇人―野にたゆたう博物学」(東海大学出版部)、『虫のすみか―生きざまは巣にあらわれる』(ベレ出版)ほか多数。



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