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第4回 メクラチビゴミムシは「生きた歴史書」

Author:小松貴(昆虫学者)

何度も述べているように、日本国内に400種近くもいるメクラチビゴミムシたちは、其々の種がその生息地域に固有である。その分布様式は、過去にこの日本で起きた地殻変動のさまを、如実に反映したものとなっている。

例えば、愛媛県に分布するイズシメクラチビゴミムシRakantrechus subglaberは、直近と考えられる種が愛媛県はおろか四国全体から知られておらず(正式に発表されていないが、近年四国から近い仲間が1種見つかっているとの情報もある)、しいて近しいと言えそうな仲間が瀬戸内海を隔てた対岸の本州、中国地方に分布する。地下にだけ住むメクラチビゴミムシが海を泳いで渡ったとは考え難く、この分布は古の時代に四国と中国地方が地続きであったことを反映していると考えられる。

四国のイズシメクラチビゴミムシ。
中国地方のアキヨシメクラチビゴミムシRakantrechus etoi。
前者はイズシメクラチビゴミムシ亜属Izushites、
後者はアキヨシメクラチビゴミムシ亜属Uozumitrechusに属し、
双方は類縁が近いとされる。

さらに(これはいつもメクラチビゴミムシの分布に関する演説をぶる際、引き合いに出す話だが)、大分県東部の沿岸域にはウスケメクラチビゴミムシR. mirabilisという、知らない人ならば恐らくぎょっとするであろう名前の種が分布する。この種の分布域には、これにごく近縁な別の2種(サガノセキメクラチビゴミムシR. fretensis、ヒトボシメクラチビゴミムシR. tenuis)の分布域が、重複することなく隣接している。しかし、面白いことに豊後水道を隔てた対岸の四国、佐田岬半島にも、これらと分類学的に直近の固有種かつ別種(サダメクラチビゴミムシR. peninsularis)が分布しているのである。つまり、これはかつて九州の東側と四国の西側が地続きだったことのあらわれである。まさしく、メクラチビゴミムシは「生きた歴史書」と呼んで差し支えない生物であろう。

ウスケメクラチビゴミムシ。
サガノセキメクラチビゴミムシ。
ヒトボシメクラチビゴミムシ。いずれも大分県に固有。
対岸のサダメクラチビゴミムシは、
かつて探しに行ったが箸にも棒にもかからず、
よって写真はない。

ところが、ごく僅かながら非常に不可解な分布様式を示す例が知られている。島根県にある宍道湖の東側に位置する中海(なかうみ)の真ん中に、大根島(だいこんじま)という火山島がある。かつて、大学時代にとっていた火山学の授業中、教員が「昔は地図にある地名は右から左に読む場合が多かった。初めて地図上で大根島を見た時、私はこんな辺鄙でよくわからん島の真ん中に島根大があるのかと、大層驚いた」という下らない雑談をしていたのを、今でも覚えている。閑話休題。

この大根島内には天然記念物となっている洞窟が2つあるのだが、1970年、それらのうち片方の洞窟で得られたというメクラチビゴミムシが新種記載された。イワタメクラチビゴミムシDaiconotrechus iwataiというその種は、当時それまで周辺地域はもとより日本国内で見つかっていた、どの種とも雰囲気の異なるものであり、一体なぜこんな種がこの島だけにぽつんといるのか、昆虫学者達は不思議がったという。

ホソメクラチビゴミムシD. tsushimanus 。
対馬の地下空隙に固有で、大根島のイワタメクラに近縁。
この種は比較的採集が楽だが、イワタメクラはきわめて稀。
過去3回これだけを目当てに大根島まで探しに行くも
ことごとく玉砕しており、写真はない。

それから時は流れて2007年、この謎めくイワタメクラチビゴミムシに直近と考えられる新種のメクラチビゴミムシがようやく見つかった(しかも2種も!)という論文が発表された。
そう、発表されたにはされたのだが、驚くべきはその見つかった場所だ。何と、島根県の大根島から海を隔てて遥か西、長崎県の対馬だったのである。ただでさえ不可解な分布をしているイワタメクラチビゴミムシの親戚が、これまた対馬くんだりで見つかるというのは、一体どういう了見であろうか。
しかし、その後まもなく、対馬からさらに海を隔てた遠く中国の浙江省で、イワタメクラチビゴミムシや件の対馬の2種に非常に近縁と考えられる、また別の新種のメクラチビゴミムシWulongoblemus tsuiblemoidesが発見されたのだ。これによって、彼らの奇妙な分布のさまを説明しうる、とある一つの可能性が示唆された。
中国の長江は、古くから大規模な氾濫を起こしてきた川と言われている。こうした大河川でひとたび氾濫が起きれば、川の流域周辺の土砂が大量に削り取られて一気に流され、海まで到達してしまう。こうした土砂と一緒に、地下に住んでいたメクラチビゴミムシまでもが海まで流されてしまい、漂流の果てに運よく日本の島嶼まで生きて流れ着いたものの末裔が、今の大根島や対馬にいるものだという。にわかには信じがたいが、現状としてこれが彼らの分布のさまを一番合理的に説明できる仮説のようである。もし、これが真実だとするならば、滅多に起きないであろうこととはいえ、メクラチビゴミムシが生きたまま海を水平移動することはある、ということになる。何とも、すごい話である。

そんなメクラチビゴミムシの不思議な分布様式を研究するにあたっては、当然ながらまずそれを研究したい人間がメクラチビゴミムシの分類群を見分けられるようにならねばならない。ゴミムシ類の体表面には、無色透明かつ極細なので分かりにくいが、いくつもの剛毛が生えている。

刺々しいケバネメクラチビゴミムシの背中。

以前にも述べたように、地下空隙に住み視力を欠くメクラチビゴミムシの場合、こうした剛毛はおそらく自分の周囲の状況を把握する上で重要な感覚器官となっている。メクラチビゴミムシの新種を論文で発表する際、その新種の全身の姿の図を論文中に入れることになる。最近では写真で済ますこともあるだろうが、スケッチ画の場合、実際には肉眼で見えづらいこのような剛毛もちゃんと黒く書くため、現物よりも遥かに刺々しい、まるでヤマアラシのような姿に見えてしまうのが普通だ。もちろん、この剛毛は外敵に対する攻撃や防御の機能は一切なく、逆に不用意に指で触ると取れてしまうほど繊細でもろいものである。
メクラチビゴミムシにおいて、体を覆う剛毛の生え方は分類を行う上で比較的重要なカギとなる。特に、メクラチビゴミムシの場合、上翅の表面にスジ(条線)が何本も走ることが多いが、このスジのうち左右の上翅の合わせ目から数えて3番目と5番目のスジ上に立つ剛毛の位置や本数は、属や種ごとに特有の特徴が出やすい。このため、論文や図鑑などでメクラチビゴミムシの種ごとの解説文を書く場合、上翅の3番目と5番目のスジ上に立つ剛毛の本数を併記するのが普通だ。例えば3番目のスジ上に2本、5番目のスジ上に1本立っているならば、2+1と表記する。このように剛毛の本数を表記したものを「剛毛式」という。
日本に住む大抵の種では、剛毛数は3番目と5番目ともに1-3本の間に納まっているが、四国に住むケバネメクラチビゴミムシChaetotrechiama procerusの場合、(4-6)+(3-6)にまでなり、本当に針のむしろのような様相を呈する。

第5回へ続く。


参考にした文献

見山博(2011)『 暗闇の生きもの摩訶ふしぎ図鑑』(保育社)
Uéno, S.I. 2007. Two new cave trechines (Coleoptera, Trechinae) from western Zhejiang, East China. Journal of the Speleological Society of Japan 32: 9–22. 
Ueno, S. 2007. Blind trechine beetles (Coleoptera, Trechinae) from the Tsushima Islands, West Japan. Elytra, 35: 385–399
Ueno, S. 2008. The blind trechines of the subgenus Pilosotrechiama (Coleoptera, Trechinae) from Eastern Kyushu, Southwest Japan. Elytra, 36: 369–376.

Author Profile
小松 貴(こまつ・たかし)
昆虫学者。1982年生まれ。専門は好蟻性昆虫。信州大学大学院総合工学系研究科山岳地域環境科学専攻・博士課程修了。博士(理学)。2016年より九州大学熱帯農学研究センターにて日本学術振興会特別研究員PD。2017年より国立科学博物館にて協力研究員を経て、現在在野。著作に『裏山の奇人―野にたゆたう博物学」(東海大学出版部)、『虫のすみか―生きざまは巣にあらわれる』(ベレ出版)ほか多数。

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