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健康と食い意地と田舎と犬と

多分、明治ブルガリアヨーグルト様のご所望される記事は、

『毎日ヨーグルト食べてます♪ アサイーと一緒に食べると腸内環境整ってお肌もキレイになるんですよね~、若い頃からずっとこれ一筋!』

だとか、

『妻の買ってくるブルガリアヨーグルトで毎朝食卓が輝いています、普段は怖い妻ですし尻に敷かれてますが(汗)、これだけは愛を感じます』

みたいなイカしたコメントと共に、ブルーベリーヨーグルトやカットフルーツの乗ったヨーグルトの写真が、映える構図とライティングで添付されているのだと思うのだが、私にはそういった、世帯年収一千万円以上ありそうな文章が書けそうにない。

フィクションもOK、と記載されていたので、思い切って完全に架空の人物『都内でOLをしながら、休日はホットヨガとカフェ巡りを嗜む、ただいま転職検討中の26歳』を演じて記事を書こうと思ったが、前述の文章を打つだけで三回誤字をし、体内でビリー・ミリガンのスポットライトが見えたので止めることにした。なれないことはするべきじゃない。

私のはじめてのヨーグルトの記憶は、今から四半世紀前の、五歳前後にまで遡る。

私の住んでいた町は非常に田舎で、商品流通は、都会のそれとはかけ離れていた。今でこそオリーブオイルもアンチョビも買えるが、当時はそんなものはなく、テレビで見る新しい商品が家の食卓に並ぶのは、夢のまた夢の世界だった。

家族の食を支える我が家の母は、美容と健康に良いものに滅法弱い人だった。

テレビで見たあの商品が健康に良い、週刊誌で見たあの飲み物が美容に効く、それを欲しがっては、三歩歩くと何の商品の事かを忘れる母は、唯一、ブルガリアヨーグルトだけは定期的に購入していた。

当時から印象に残りやすい青パッケージと、健康食品としては安価な値段で購入できる価格帯、それに何より、砂糖を自分で調整できるスタイルは、母の心臓に『ビビビッ』とキテたのだろう。

母はこの世の調味料を敵視していたので、当時付いていたあの超ウマイ砂糖を自分から混ぜることはなく、もっぱらバナナやハチミツ、羽振りの良い時はプルーン等をぶちこんで食べていた。


一方、多産の母が産んだ子供のなかで一番食い意地が張っていた私が、そのヨーグルトと激ウマ砂糖を見逃す訳がない。しかしながら、あの健康に良さそうな酸味は、冷蔵庫に頭を突っ込んで食料を漁る幼い生き物には少々刺激が強かった。
それでも『この滑らかな舌触りのヨーグルトを自分の口に合うようにするにはどうしたらいいか』と考えあぐね、ハチミツを比率1:1で混ぜるなどしていた。
健康とは真逆の姿勢だ。
美容と健康の為なら死ねる、というような母と、満腹以外は常に空腹な自分とが食べてもなお、あの青いパッケージはたっぷりとヨーグルトを蓄えていた。
なんと言うコスパ。
なんと言う庶民の味方。

しかし我が家は貧民層、さらに言うなら母は貧乏性を患っていたので、最後まで食べ尽くした後のヨーグルトの空は、飼い犬に渡していた。
一匹目の犬はお嬢様気質だったので、鼻を突っ込んでヨーグルトを舐めていたが、二匹目の犬は気性が荒く、差し出されたヨーグルト容器ごと奪い去って舐め、噛み、破壊していた。

我が家の明治ブルガリアヨーグルトは、完全に容器まで食い尽くされてその生を終えている。食卓というよりは戦場に近い。これが私とヨーグルトの思い出、初級編である。
他にも中級編、『ヨーグルトケーキってそれはもう馳走ではないか、毎日作れ』編と、『伊東家の食卓でやってた水切りヨーグルトってこれもうフランス料理といって差し支えねえだろ』編がある。

絶対に、明治ブルガリアヨーグルト様の御希望する話ではないことは分かっている。やはり今からでも、『名古屋在住美人女子大生~来年は留学予定です』みたいな人になりきって書いた記事をノンフィクションとして上げた方が良い気がする。

ただ、美しい記事や、素敵な写真を撮れる世帯ではなく、もうどうしようもない、遊ぶものが無さすぎてヤマモモの実を潰すくらいしかやることがなかった貧乏な我が家にも浸透するほど、素晴らしい商品だったのだ。
それほど偉大な商品を作って下さった企業の方々に、この文章を通じてお礼の言葉が伝えられたらな、と思う次第である。

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