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震災から10年という節目に立ち止まって差別と偏見について考えた

3月11日 午後14:46 東日本大震災が発生した。

あれから10年という月日が経ち、
メディア(テレビや報道)やSNSではその日が近づく度に

悲惨だった現場や復旧に努めているところを
改めて取り上げては

毎年のように○年前と現在を比較し、震災からの表面上の変化ばかりを問う

「10年でどう変わりましたか?」

私も、震災をきっかけに10年という月日の中で大きく人生を左右されてきた当事者の1人である。

酷いものだったという言葉では収まらないほど、震災が人々に与えた影響は多大で、そして、多くの人々の人生を狂わせた。

しかし、この10年で変わった事もあれば、変わらない事というのも、またあるのだ。

東日本大震災の被災地、福島県。
誰の頭にも思い浮かぶのは、原発事故による放射性物質の汚染問題ではないだろうか。

その原発事故により福島県全体、福島県人への見方や扱いまでもが一瞬にして変わってしまった、はじまりの日でもある。

当時と今を振り返り #それぞれの10年  僕の10年前の出来事から今日までの想いを素直に書き出してみることにした。

3.11 pm 14:46 東日本大震災が発生する数ヶ月前の出来事


私の地元は福島で、そこを拠点にトレーナーとして全国を飛び回りながら、身体に障害を持った方の地域生活をサポートをする自立支援にも携わらせて頂いていた。

私がお世話になっている事業所の所長の介助者として、お宅にお邪魔させて頂いていた時の話。
※所長は生まれつき脳性麻痺という障害を持っている。

何気ない会話の中で、私の一言に所長の顔色がいきなり変わり激昂した。

その時の所長の言動に、私にも我慢を超えてしまうくらいの怒りが湧いてきて、結果相当な言い合いまで発展してしまった。

相手に対して失礼な事を言った覚えもないようなほど、何気ない一言だったと漠然と記憶している。

そして、お互い言いたい事を言い終えて、一息ついたところで、

所長が
「どっちが正しいとか間違えているとかではなく、お互いの思いをとことん言い合えた事は本当に良かった。障害があるというだけで、皆んな引いてしまい、遠慮ばかりで言いたい事も本音も言ってくれる人は少ないんだよ、、、」
「障害があるなしに関わらず、ひとりの人間として接してもらえる事がなにより嬉しい事なんだ」
「実際、障害者に対しての表向きと内実があまりにも正反対なんだ。差別や偏見、無理解というのが障害者が生きづらい世の中をつくってる、、、」


当時の私は、障害と言われる身体の特徴に対する差別や偏見を、良い意味でも悪い意味でも持ち合わせてはいなかった。
だから、所長の言っていた事を深くは理解してあげることは出来なかった。

ただ、なんとなくその時、私の心の片隅に引っかかったまま…3.11 pm 14:46 東日本大震災が発生した。

3.11 pm 14:46 東日本大震災が発生した


物理的に避難した先で新たに訪れた、目に見えない恐怖。

原発事故
放射能汚染

ずっと近くにあったのに、対岸の火事程度に考えていたものが、急に身近に、すぐ隣にまで迫ってきた恐ろしさ、、、

当たり前の日常が、一瞬にして当たり前ではなくなった。

目の前が真っ暗になる、という表現がこれほどまでにしっくりきたことを体験したことはない。

その時の私は、被災した恐怖と戦いながらも、自分の気持ちをふるいにかけては選択し、一つ一つ気持ちに折り合いをつけ決断し、それでも不安になりながら行動していたと思う。

道の駅や公園を転々としながら車の中で過ごした日々…

人間、そんな時ほど悪い事しか考えない。というよりも考えられなくなるものだ。

この先どうしたらいいんだろう、、、
一体、どうなるんだろう、、、

ベッドで寝れる幸せ、食卓で食べれる幸せ、仕事が出来る幸せ、近所や地元の人との何気ない挨拶や会話が出来る、日常の当たり前の幸せ。

避難生活が長引くほど、震災が起こる前までのごく当たり前の日常が、いかに幸せなものだったのかを思い知らせられながら、不安と絶望と悲しみに包まれていた。

福島ナンバーと言うだけで、優しく気遣ってくれたり、善意で食べ物を買って差し入れしてくれた人もいた。

本当に、とてもありがたかった。

その反面、
『福島の人には近づいちゃダメ、息を止めろ、そっちを見ちゃダメよ』
大人が、普通に子供に言っているのを耳にしたりした。

また行動で避ける仕草をする人もいた。

差別と偏見について、真剣に考えさせられる立場になった瞬間であった。

どこにでも変わらず存在する差別と偏見

10年間のこれまでを振り返ってみた時、10年前避難先で受けた差別や偏見、原発に対して 怒りや悲しみの気持ちが込み上げてきた。

この文章を書いているこの瞬間、手を止め心を落ち着かせ
差別…偏見…について今一度考えている。


今では私も
「差別や偏見をする人」
これらに対して差別や偏見を持っている1人である。

差別や偏見をするなと訴えている福島の人、
声高に、情報として福島の現状を発信してくれているあらゆるメディア

彼らからでさえ、差別や偏見といった気持ちが少なからず見え隠れしている。

差別や偏見というものは、少し立場や状況が変わる
といつどちら側になるかその時になってみないとわからない。

福島の人が、福島の物は口にしない、というのも今でも良く聞く話しなのだ。

私も、値段は同じで、福島の物と他県の物があれば当然のように他県の物に自然と手が伸びてしまう。

それも見方を変えれば、福島に対して差別、偏見という気持ちが少なからずあるという事だろう。

福島県外の人も、福島の物を率先して口にしたいとは思わないはずである。

それは人間として、自分の身を守ろうとする生き物として当たり前の反応でもあると、私は思う。

しかし、メディアでは、それは風評被害だ。安全であり、安心して食べれますと必死に訴えかけている。

私的に、そういう報道をみればみるほど違和感しか感じられない。

福島の人たちの中にすら、いろんな角度から福島の人を差別し、偏見を持って見ている人も少なからずいる、という現実を噛み締めながら、震災から10年、私なりに今感じられる差別や偏見というものを見つめてきた。

私は被災者ではあるが、だからといってここでそれが正しいとか間違いだとかを問いたいわけではない。

しかし、この差別、偏見を持っている人に対して、その人の思考や言葉を押さえ込んだり否定、攻撃するのは違うと思っていて

思っている事を口に出さず、上辺だけを取り繕った気持ちで接される方が、ずっと怖いし、個人的には嫌である。

今の世の中、差別や偏見というものは日常的に当たり前に溢れていて、凄く生きづらさを感じながら生きているという事に気づいた。

自分も気をつけなければいけない、と書きながら思ったし、あの時引っかかった、所長の言葉の意味が今さらながらよくわかった。

差別や偏見が悪いということよりも、無理解、無関心ということの方が人を傷つけ、より差別や偏見に繋がるということなのだ。

震災が起きた事、それは幸か不幸か、もちろん人それぞれではあると思うが、私は良い意味で物事の見方を変えてくれた。

辛い状況になった時の他人からの温かい善意、日常のありがたさ、不安な気持ちや様々な物事に立ち向かっていかなければならない状況、そして、こうした差別や偏見に対する考え方。
震災は否応なしに突きつけてきて、強引すぎはするが、確かに10年という月日を経て私を成長させている。

そして、成長した私が今、考えること

今から10年前、10年経った今。
福島県が抱えた原発問題、世の中で議論されるLGBT、いじめ、コロナ、森さんの女性蔑視発言と、日々さまざまな差別や偏見が露呈しているが、それらの問題の本質は似ているのではないだろうか。

この節目の年だからこそ、一度立ち止まって皆んなに考えて欲しいと強く思う。
差別と偏見のことを…

差別的発言が良いか悪いか、もちろんよろしくはないのだが、差別的な意図がない発言まで世間的に吊し上げ、周りのギャラリー達が攻撃的になって謝罪まで追い詰める。
大多数の意見が否定的であればあるほど、
その人の、行動、発言の良し悪しが決められてしまっている。

今では当たり前になってしまった、炎上してしまう恐怖。
これが自分の気持ちに蓋をさせ、右に倣えという暗黙のルールが自然とできてしまったり逆にそうせざる負えない状況にされてしまう事が今の現実なのだ。

そのせいで、変に様々な事に気を使ってしまい、意図しない違った形の言葉になり、思いを伝えにくくさせてしまうのではないだろうか。

何が言いたいかというと、我々が取り組まなければならないのは、まずは「誰の心にも差別や偏見という心はある」というのを認めることだ。

その上で、差別や偏見を持つ人たちの考えに耳を傾け、逆に差別や偏見を持たれている人たちの気持ちを理解し、
「差別や偏見をなくす」のではなく、
「人はみんな違っていて当たり前」
そんなふうに考えられたら、みんなが生きやすい世界を創っていけるのではないだろうか。

私はそう思っているし、多くの人がそんな風に考えてくれるのを願っています。

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