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日の丸を背負っている訳じゃないけど

日本の建国がいつかどうかは、関係なく、仮押さえだろうが、2月11日が日本の建国の日らしいので休んでいる。いつか国家と言うものは、アイコンでしかなくなるかもしれない。日本人、日本人と騒いでいるが、科学検査がすすめば、日本人なんて存在しないのかも。

それでも、日本語しか喋れないので、モンゴルだ、東南アジアだと言われても、今さら、そこには行けまい。在日の2世3世の方々も同じだ。そんな事より、日本国を真面目に考えない売国奴の政治家が、大問題だ。こいつらこそ、金を貰っている国に追いやらねばならない、と言った所でどうにもならないと謙也は思っている。

謙也は学生時代、日の丸をリュックサックに掲げてヒッチハイクをした。イギリスのマンチェスターからスコットランドをほぼ一周する旅を突然やった。マンチェスターは、ペンフレンドのパティ・スミスという芸能人みたいな名前の美人の友達カップルの借りている一軒家に泊まっていた。マンチェスターの高速道路の入り口からヒッチハイクを始めた。日本から国旗を持ってきたので、車が止まるように国旗を振って車止めた。最初は、トラックの運転手が止まってくれた。

日の丸を知ってる人で車とめてくれる人は、親日家か、日本に興味がある人しかいない。予想はズバリだった。全員が車に乗ると温かく迎えてくれた。この時ばかりは日の丸に助けられた謙也は思った。右翼でも左翼でもない普通の人間が、アイデンティティを確かめた10日間の旅だった。

グラスゴーまで行ってくれた。社会の教科書に載っているスコットランドの大きな都市だ。高速から降りて、エジンバラに向かった。なぜエジンバラかと言うと、ユースホステルの宿があったので、そこを目指した。フランス人のカップルの車に乗せてもらった。エジバラで、バッグパイプやキルトスカートを履いた男性などを見た。スコットランドの伝統衣装である。

エジンバラは、スコットウィスキーの蒸留所もあり見学した。二泊できたので、観光をした。スコットランドの首都エジンバラは壮麗な城塞都市。旧市街には7世紀に築かれた砦に起源を持つエジンバラ城が建ち、中世の町並みが広がっていた。

また、恐竜がいるという噂のネス湖などハイランド地方には緑の大地に大小の湖が500以上も点在する湖水地方がある。当時はネス湖に棲むと言う「ネッシー」が大流行で、観光客が押しかけたほどだった。

ダンディー、アバディーン、インバネス、と数々の車に乗せてもらった謙也は、格安のユースホステルが整備したイギリスやスコットランドの国情に感謝しながら、先端の村、ジョン・オグローツに到着した。海外線を歩いていると一軒家の女将に声をかけられ、紅茶をご馳走になった。綺麗な貝殻を貰った。旅先で親切にされると涙が出るほど嬉しくなる。

誰もいない先端の休憩所で、今まで聞いたことがない音楽が音が漏れるようなスピーカーから流れていた。軽快ではあるが、日本で言えば、流行らない演歌のような存在の曲だった。田舎の人たちにとっては、こういう曲が似合っているのかもしれないと思った。ビートルズやローリングストーンズなどと全くかけ離れた音楽があると笑ってしまった。不思議とジョン・オグローツからマンチェスターまでの帰路の記憶がない。

謙也は、日の丸ありがとうと思う。その気持ちを忘れないように旗日は、百均で買った日の丸を掲げている。最初モスクワ経由で日本からウィーンまで一緒にいた日本人に「ハタ坊」と呼ばれてしまったことを思い出した謙也は、「一人旅の楽しさは、自由であることと計画がないことだ」と確信した。旗一本で、旅が出来るのは、日の丸のおかげだと思う。

余談だが、謙也が会社を作って、池ノ上にオフィスを構えた時、女性ばかりだったので新興宗教の館と間違えらるので、毎日トリコロールのフランス国旗を掲げていた。フランス大使館からも、フランス国旗を見て尋ねる人も誰一人として来なかった。国旗は、重要だが意外に誰も興味がないものだと驚く。家の近くにどこの国旗だか分からない旗が靡いている。そんなもんだ。

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