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野球場と売り子


神宮球場は、森に囲まれた閑静な場所にある。その球場が、ライトに照らされ白日のように浮き上がる。聡はナイターを初めて見に行った時の感動を忘れられない。

今のように、ビールサーバーを背中に背負った売り子でなく、ビールを前に抱えている売り子達がいた。東京音頭の曲が流れる球場は、熱気よりも、小さな音楽隊のような雰囲気だった。

ヤクルトスワローズの私設応援団「ツバメ軍団」の岡田団長の姿もあった。選手では、水谷、杉浦、渡辺、角、八重樫選手などは人気ものだった。大洋戦だったので、内野席で観た。

1990年代に入って、ヤクルトが優勝を争えるチームに成長した。1993年には野村克也監督が、飯田、新井、古田、池山、広沢を引き連れて、2年連続3度目のリーグ優勝と1978年以来15年ぶり2度目の日本シリーズ制覇を果たした。

その頃、聡は、妻になった茉里と二人だけで神宮球場の外野席に足繁く通った。初めて来た時のような閑古鳥が泣く姿は無かった。万年下位チームだった広島も横浜も強くなったいた。ビールとおつまみで、充分楽しめた。会社帰りに観た。納涼気分も手伝って、神宮球場は、居酒屋の延長みたいだった。

ちょうど家に帰る頃には、フジテレビの「プロ野球ニュース」が始まる。ライトスタンドに白球が吸い込まれると、自分が映っているかもしれないと微に期待しながら観た。

今は、試合の合間に観客をズームアップしてスクリーンに映すサービスなどがあるが、「プロ野球ニュース」しか無かった時代だ。
「茉里さんは、どこのファンなの」
「横浜かな」
「私達は、高校野球の時代たから、甲子園に行った東海大相模の原君のファンだったのよ。保土ヶ谷球場へも行ったよ。もちろん、横浜球場へも」
結構、ヘビーな野球ファンだと知って、周りを見渡すと、聡は意外に女子が大勢のいたのに気付いた。

この頃から、売り子もモデル並みに可愛い女の子が増えて、野球とアイドルのコラボ的な雰囲気を醸し出す。野球ファンだけでなく、売り子目当てのカメラ小僧も増え始めた。

最近は、聡も友達から横浜球場の企業席の招待券をもらって、ヤクルト戦を観戦する。売り子の人気も東京ドームでバイトをしていた「おのののか」の出現で、芸能界やタレントデビューの早道のようになった。

体力勝負の面も否め無いが、健康美、体育会系美人として、活躍の場が増えたようだ。聡も、売り子を見るのも楽しみのひとつになっている。
「ちくわと生ビール」とたのむ。盗撮を避け、後ろ手に回るので、写メは撮れ無いが雰囲気がすこぶる好きだ。結局、名前ビールを4、5杯飲むで、試合よりも飲みに徹してしまう結果となる。勝ち負けよりも、ライブ感がたまらないと聡は思う。プロ野球ニュースで、試合を振り返る事はない。臨場感とライブ感だけで充分満足する。

たかが野球、されど野球。
「居酒屋じゃあ、ねぇんだから、こんなに酔っ払わないでくれよ」
「あゝ、死んでもいい。楽しくていられない」
いつも一緒に来た息子に、怒られる聡だった。

カクテル光線の劇場みたいなグランドに立つ選手、スクリーンの観客、選手、回毎に演出される映像を見ているだけでも価値がある。

昔の野球場はない。ライトアップされた劇場だ。映画で観た「フィールド・オブ・ドリームス」のような光景は、夢のまた夢。

「畑を球場に出来たら、どんなにか、楽しいのだろうか」
「一夜城のように、その日で終わるハリボテの球場に牛とヤギと鶏しか観に来ないわよ」
「それでもいいじゃん」

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