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レモンサワーに想いを寄せて


正月だと言うので景気良く「キリンの一番搾り」の500ml缶を2本「こだわり酒場のレモンサワー」の500ml缶を2本買った。いつもは、慎ましく発泡酒350mlの6本入りを買っている敦達だが、正月なので、家の近くのローソンでカップヌードルと共に買った。プロシュートやキャンディチーズも加わって、いつもと違うセレクションをした。ちなみに、日本では塩漬け・乾燥・成熟をした生ハムをプロシュートと呼ぶそうだ。燻製したものは、プロシュートと呼ばないのが決まりだとか。「だから美味いんだね」と敦の息子が言った。レモンサワーも以前は酎ハイとか呼ばれていたが、空前のレモンブームで、レモンが頭についてレモンサワーが爆発的に売れた。

『レモンサワーを生み出した元祖の店は、もつ焼きがメインの大衆居酒屋「ばん」(東京都目黒区)である。「ばん」が創業したのは57年前。それ以前は麻雀店を営んでいた。客たちが麻雀を打ちながら飲んでいたのが焼酎の炭酸割り(当時は”チュータン“や”焼酎ハイボール“と呼んでいた)。同店で人気を博したレモンサワーは、他のもつ焼き屋などを中心に広まっていき、あっという間に全国区となった。ちなみに博水社という飲料会社が作る焼酎割り用飲料「ハイサワー レモン」(”割るならハイサワー♪“のCMでお馴染み)は、「ばん」の味をベースに生み出された。約35年前、当時の博水社の社長が「ばん」の常連だったという経緯があるそうだ。』(食楽marche より)

レモンといえば、米津玄師の「Lemon」が思い浮かぶ。何度聴いただろうか、毎日のように流れる曲を。タイトルがとにかく、魅力だった。

夢ならばどれほどよかったでしょう
未だにあなたのことを夢にみる
忘れた物を取りに帰るように
古びた思い出の埃を払う
(作詞:米津玄師)

昔、カクテルだけを出すカウンターバーがあった。若い女の子がカウンターの中にいて、簡単なカクテルを作ってくれる。今で言う「ガールズバー」に似ているが、チャージがなかった。女目当てでなく、あくまでもカクテルを飲むためのカウンターバーだった。当時人気だったのが、ジンライム、ジンフィズやモスコミール、ジントニック、マティーニなどだった。敦は、ジンライムを好んで飲んでいた。シンプルゆえにライムの酸味とジンの風味をそのままさっぱりと味わうことが出来たのが良かった。「レモンは果汁が多く強い酸味と鼻へ抜ける爽やかな酸味なのに対して、ライムはレモンに比べると酸味はやや弱めでライム特有の苦みとキリッとさわやかな香りが特徴だ」とサイトでも書いてある通りだと思った。

連れて行った女の子を足腰立たせないくらい酔わす輩も多く、甘い口触りで何杯も飲む女の子が続出した。べろんべろんに酔っ払って、お持ち帰るされる子も多かった。それほど、平和だったと敦は思う。今なら、即刻、刑務所に入ってしまうほどのことが平然と行われていた時代だった。流石に、敦はそんなことをするほど野暮じゃなかったが、女子中学生専門のナンパ師もいた。今なら、大事件になるようなことが起こっていた。昭和は活気に溢れていたが、取り残された人達も多かった。高度成長や急成長の裏側で犠牲になった人達も多くいたのは事実だった。今は、訴え易い世の中になったようも思うが、かえって複雑になりすぎてしまったようにも思う敦だった。

喫茶店やカフェでレモン丸ごと一個と炭酸水蜂蜜を使った「レモンスカッシュ」も人気があった。爽やかな爽快感があって、男女ともコーヒーに飽きた時に飲んだ。レモンと言えば、国産が人気がある。「防腐剤を使った外国産レモンを嫌う傾向にあると思う。国産の瀬戸内レモンなどが人気があるよ」と瑠璃子がいう通り、国産レモンが大人気だ。広島県の呉市、尾道市、大崎上島町や愛媛県の今治市、松山市などが主な限られた産地が話題になっているほどだ。「庭にレモンの木を植えようか」と敦も本気で考えいるほどだ。

学生の街、御茶ノ水にある絵画及び建築模型用の材料と工具を主に販売する画材屋さんで、おしゃれな文房具なども販売している「レモン画翠(がすい)」も思い出深い。絵や絵画に興味のある人たちが自然に集まる類い稀な店だ。敦は、別に何を買うわけでもなく、立ち寄るのが好きだった。アートや絵画に憧れがある。その雰囲気や空気感を味わいたいと思う。レモンというワードが甘酸っぱい初恋の味と連動しているのかもしれないと思った。米津玄師のレモンのように「忘れた物を取りに帰るように、古びた思い出の埃を払う」のかもしれない。レモンサワーも同じように活力になったような気がする敦であった。たかがレモン、されどレモン。「そういえば、瑠璃子も可愛かった」と甘酸っぱい思い出が蘇った正月であった。

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