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19世紀の天才ランボオがYouTuberだったら映像革命が起こったかも。

ランボーと言えば、シルヴェスター・スタローンの映画しか浮かばない。フランスの詩人の『地獄の季節』を読んでいる。「アルチュール・ランボオ(Arthur Rimbaud、1854年10月20日 - 1891年11月10日)は、19世紀のフランスを代表する詩人。早熟な天才、神童と称された彼は、15歳のときから詩を書き始め、20歳で詩を放棄するまでのわずか数年の間に、「酔いどれ船」などの高踏派・象徴派の韻文詩から散文詩集『地獄の季節』、散文詩・自由詩による『イリュミナシオン』(一部を除いて没後出版)まで詩の伝統を大きく変えた。」と謙也もWikipediaに書いてある情報しかない。

散文詩集「地獄の季節」のブックレビューには、「マラルメ,ヴェルレーヌとならぶフランス象徴派の詩人ランボオ。その文学への訣別の辞ともいうべき『地獄の季節』。鋭い叡知と感受性,強烈な野性と独創的な技巧を奔放に駆使したこの天才詩人は近代詩史上の明星として輝きつづけるであろう」とされている。

「かつては、もし俺の記憶が確かならば、俺の生活は宴であった。誰の心もも開き、酒という酒はことごとく流れ出た宴であった。」から始まる「地獄の季節」は、文学との訣別の書とも言われている。たった20歳で出筆を辞めたランボオは、今時の流行りの金当てのYouTuberとは違う。「地獄の季節」は、自費出版で出されたが、出版費用が払えず、倉庫に眠り続けていたという曰く付きの本である。

意外に世間に知られていない詩人だが、愛に飢え、生活に飢え、あふるれ出る才能に困り果て、近代詩に革新を起こした天才詩人。1871年9月、ランボーは「酔いどれ船」を携えてパリに行き、ヴェルレーヌの義父母のもとに身を寄せることになった。このときランボーは17歳であった。

ヴェルレーヌもフランスの詩人である。結婚1年後、ランボーと会い、妻に乱暴を繰り返した上にランボオと同棲し、イギリス・ベルギー・北仏を転々した。母と妻が説得に来ても置き去りにして逃げ、妻に絶縁状を書いた。ユーゴーに妻との交渉を懇願した。ロンドンで病臥し、母を呼んだ(28歳)。ホテルで口論となったランボオを拳銃で2発撃ち、1発が手首に命中したが致命傷にはならなかったが、この騒動により2年間収監されたという記事が残っている。

ランボオは詩作を絶って以降、ランボオ神話には世界各地を放浪し続けた足跡が加わるだけだった。今はインドネシアになっているジャワ島に、当時のオランダ植民地の雇われ兵となって渡り、エチオピアとイエメンで探検家や商人として数年間働いた。

ランボオは、やがて左足の切断と生命まで奪うことになるがんに侵され、フランスに戻った。マルセイユの病院で、耐え難い死の苦しみの中、37歳で逝った。最後をみとったのは彼の妹だけだったという。そんな破天荒な人生に魅了された多くの若いファンが生まれた要因かもしれないと謙也は思った。

男を惹きつける何かがある。同性愛者である彼は、放浪の旅人が似合う。この本の最後にこう書かれていた。小林秀雄の訳である。
「友の手が何だと俺は語ったか。有難い事には、俺は昔の偽りの愛情を嗤う(わらう)事が出来るのだ、この番(つがい)になった嘘吐きどもに、思いきり恥を掻かせてやる事も出来るのだ、ーーー俺は下の方に女どもの地獄を見た、ーーーさて、俺には、魂の裡(うら)にも肉体の裡にも、真実を所有する事が許されよう。一八七三年四月_八月」

短い人生を猛スードで駆け抜けたランボオは、普通の我々には理解し難い狂気の詩人なのかもしれない。今で言う「発達障害」のような気もする。発達障害とは、生まれつきの脳機能の発達の偏りによるものらしい。発達障害を告白している黒柳徹子など個性的でユニークなキャラクター、そして天才肌が多い。

謙也は、ランボオの虜になってしまった。今、生きれいれば、多くの人たちが理解して、ランボオの天才を惜しみなく、賞賛し自由に書かせたのかもしれないと思う。時代の歯車が合わなかったがために、溢れ出た才能を生かしきれなかった。天才YouTuberになって、映像革命を起こしてくれたかもしないと謙也は思ったしまった。
笑いが取れたかどうかは分からないが。


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