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「ま、いっか」の功罪

公募・コンテストの一次審査を通過するために必要なものは何か。その問いに答えるのは非常に難しいが、一次審査を通過する作品に共通する事柄がある。それは、丁寧であること。

以前、次のようにツイートしたことがある。

巧拙の話ではなく、丁寧であるか否か。封書やレターパックに書かれた文字、作品に添付された「あらすじ」、原稿の綴じ方など、応募原稿の中身とは別の部分の印象と、作品の出来栄えは決して無関係ではないというのが、10年以上審査に携わってきた者の経験則である。

丁寧の対義語は、粗雑、いい加減であり、「ま、いっか」で片づけようとするメンタリティである。この「ま、いっか」は日常生活のどこでも顔を出す厄介者であるが、執筆・創作においても気安く付きまとってくる。

誤字・脱字があるけど、少しくらい「ま、いっか」
表記揺れを確認していなけど「ま、いっか」
プロフィールの記載に抜け漏れがあるけど「ま、いっか」
行間が狭くてちょっと読みにくいかもしれないけど「ま、いっか」
印刷した文字がかすれている箇所があるけど「ま、いっか」
募集要項の規定枚数を少しオーバーしているけど「ま、いっか」

「作品の内容で勝負」「実力主義」を標榜している方ほど、こうした「ま、いっか」に気を許していないか振り返っていただきたい。「ま、いっか」は、書き手が気がつかないうちに肥大化して、創作物に影を落とし、やがて堕落させてしまうこともある。


とはいえ、「ま、いっか」には効用の側面もある。上に述べたものが<おざなり>の「ま、いっか」だとすれば、<ほどほど>の「ま、いっか」というものもあり、小説を書き上げるためには後者が肝心である。

公募・コンテストには応募期限がある。応募者はこのデッドラインを意識しながら書かなければいけない。こだわりは大切だけれども、執着していては書き上げられない。あらゆる書き手は、「ま、いっか」と声を発して、清水の舞台から飛び降りるように脱稿することが求められる。

執筆・創作の土台となる勉強や調査も、どこかで限界線(デッドライン)を引かなければいけない。ある事象に関するすべての文献を読破することなど不可能なのだから。言葉の海に深く潜らなければ書けないが、息止めの死線(デッドライン)を超えてはいけない。

優れた作品を発掘する前段階としてふるいに掛けるのが一次審査であり、全応募数の約90%が一次審査で選外となるのが実情である。時間や知識、情報の有限性と折り合いをつけるための<ほどほど>の「ま、いっか」と、<おざなり>の「ま、いっか」を峻別することが大切であり、両者をストイックに掻き分けることで一次審査通過の道が開ける、かもしれない。

〈了〉

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