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ネコ童話『雨に唄えば』
第一話 虹を捕まえた男
「ワシのあとに尾いてくるにゃって、何度言ったらわかるんじゃい!」
わたしが勝手に「ボギー」と名づけたその猫は忌々しそうな顔をして唸り声をあげた。
そう言われても「ノラ猫探偵団」の団長を自称するわたしである。
簡単に諦めるわけにはいかない。
依頼主に、ボギーがノラ猫か飼い猫か調べて報告しなければならないのだ。
そう反論しようとしたときには、すでにボギーは姿を消していた。
***
人間には二種類ある。
猫に好かれる人間と嫌われる人間である。
残念ながら、わたしは後者だ。
俗に言う「猫おばさん」がノラ猫たちにエサをやっているところへわたしが近づいただけで、猫たちは蜘蛛の子を散らすように逃げてしまう。
猫おばさんいわく「アンタは猫に嫌われるタイプ」なのだそうだ。
そう言われてしまえば身も蓋(ふた)もないが、それでもわたしはやっぱり猫が好きなのである。
さっき、ついノラ猫探偵団の「団長」と言ってしまったが、本当は「副団長」である。
調子にのって見栄を張るのは、わたしの悪い癖だ。
反省しているので、どうか許していただきたい。
本当の団長は、わたしの妻なのである。
彼女はバッグにいつもチュールを忍ばせて、ノラ猫を見かけるたびに近づいては物の見事に手なずけていた。
ある晴れた夏の昼さがり、絵に描いたような虹のしたで、わたしは彼女を見かけた。
道ばたで猫にエサをあげていた彼女にひと目惚れしてしまったわたしが「可愛い猫ですね!」と声をかけたら、こちらを見もせずにひと言「ノラ猫探偵団の団長をしております」とだけ答えた。
そんな彼女の姿を視て、カッケ~!と想ってしまったのが運の尽きであった。
わたしは犬派のはずであったが、それ以来、どんどんノラ猫が美しく視えてしかたがなくなり、挙げ句の果てに下心満々、平身低頭して彼女に弟子入りしたのであった。
そしてめでたく結婚し、わたしは晴れてノラ猫探偵団の副団長に就任した。
ノラ猫探偵団の任務は、管轄区内のノラ猫たちの縄張りマップを作ることであった。
日夜、ノラ猫たちの縄張りマップ作りにいそしむノラ猫探偵団の団長である妻をアシストするのが、副団長であるわたしの重要な責務であった。
わかりやすく言えば、忠実な下僕のように妻のあとをついて歩くのである。
***
ある日、赤いベレー帽をかぶったオサレなお婆ちゃんが「ノラ猫探偵団の団長さんですよね。お願いがあるんだけど……」と妻に声をかけてきた。
そばで聞き耳を立てていると、赤いベレー帽のオサレなお婆ちゃんはここらへんの「ノラ猫おばさん」をやっているらしい。
最近、気になってしかたがない猫がいて、その猫がノラ猫か飼い猫か調べてほしいと言うのであった。
「あの猫なんだけど」
赤いベレー帽のオサレなお婆ちゃん(少々長ったらしいので、以後「マドモアゼル」と勝手にあだ名をつけさせていただく)が指さすほうに目をやると、崖に立つ孤高の雄ライオンを彷彿させるアメリカンショートヘアが、エサにたかるノラ猫の群れから少し離れたところに毅然と座って、こちらを見ているではないか。
「ね、素敵でしょ!」
マドモアゼルが眼を細めた。
たしかに気品がある。
他のノラ猫のようにがっついていない。
ということは飼い猫なのだろうか……
その猫の雰囲気が映画『カサブランカ』のハンフリー・ボガードを連想させたので、さっそく「ボギー」というあだ名をつけさせてもらった。
妻は顔色ひとつ変えずに「わかりました。さっそく調査を開始しましょう」と応えて、わたしに目配せした。
妻もわたしもすでに完全にノラ猫探偵になりきっていた。
その日からわたしはボギーを追え!という重大任務をまかされることになった。
来る日も来る日もボギーを見かけるたびに慎重に尾行するのだが、おちょくられているのではないかと疑いたくなるほど、ボギーは物の見事に姿をくらましてしまう。
ボギーの逃げ方のあまりの手ぎわのよさに、わたしは舌を巻くしかなかった。
まるで怪人二十面相である。
江戸川乱歩大先生が生きておられた時代ならば、ボギーは間違いなく「怪人二十面相ネコ」に認定されたであろう。
***
ある日、わたしは遂にボギーを袋小路に追いつめることに成功した。
ボギーこと怪人二十面相ネコもいよいよ年貢の納め時がきたようであった。
「ワシのあとに尾いてくるにゃって、何度言ったらわかるんじゃい!」
ボギーはいつものように忌々しそうな顔をして唸った。
わたしはかまわず彼にタックルをかました。
自慢じゃないが、わたしは高校ではアメフト部のキャプテンだったのだ(大学では方針転換してポルトガル語研究会に入ってお茶くみをしていた)
わたしが飛びかかってボギー捕まえたと想った瞬間、ボギーは虹に姿を変えていた。
わたしの手のなかで虹が忌々しそうに唸った。
「ワシのあとに尾いてくるにゃって、何度言ったらわかるんじゃい!」
虹はしばらくのあいだ、わたしの手の平のうえでキラキラと七色の光を放って輝いていた。
そして音もなく消えた。
わたしはキツネに鼻をつままれたような気分になって袋小路に立ち尽くしていた。
第二話 雨男
昔、わしは虹じゃった。
哀れな人間がこれ以上、不幸にならないように見守れと天に命じられて、とりあえず虹の姿を選んだのじゃが、虹の目線で人間を見守ることがなんとも物足りなかった。
なにか別の姿に変われないものかと日々悶々と想い悩んでおったんじゃ。
ある日、崖に立つ孤高の雄ライオンを彷彿させるアメショーが、大地におろしたわしの足元で、あまりにも大きなアクビをしたもんだから、油断していたわしはその猫に呑みこまれてしまったんじゃ。
それ以来、猫の姿を借りて、気ままなノラ猫暮らしをしたり、飼い猫になったり、ときには複数のかけもちの飼い猫になってみたりしながら人間を見守ってきたんじゃ。
ま、人間という生き物のありのままの生きざまを観察するなら、虹のように人間から見あげられて讃辞を受けるような遠い存在より、猫のように身近な立場から観察したほうが真実に迫れると想ったんじゃ。
人間てのは、つくづく勝手な生き物だと想う反面、可哀想な生き物だと想う。
一見、幸せそうに視えても、内実は可哀想な人間ばかりだからじゃ。
***
最近は、やはり虹のように遠くから見守ったほうが自分の精神衛生のためにはいいのかもしれないと想いはじめている。
わしも歳じゃからにゃ~
いまの飼い主は自分では「道化詩人」と名乗っているが、いままでわしが観察してきたなかで一番可哀想な生き物じゃ。
一日中、机にむかってパソコンとにらめっこしているのじゃが、まるで石像のようで、手が動いてなにかを書いているところなぞ視たためしがない。
髪の毛ばかりかきむしって、ありゃハゲるの早いじゃろにゃ~
観察していて飽きることがないから、たしかに「道化師」であることは間違いない。
彼の長所は猫好きなことぐらいじゃろうか。
わしら猫はウソが大嫌いで、大好きじゃ。
矛盾しているように聞こえるかもしれんが、これは猫全般に言える美徳じゃと想っている。
人間もウソが大嫌いと言いつつ、大好きなやつが多いようじゃにゃ~
猫も人間も業の深い生き物なのじゃ。
単細胞な犬にはわからんじゃろにゃ~
人間のなかでも詩人って生き物は、ことのほかウソが大嫌いで大好きなうえに、さらにそのウソを創作するのが生きがいらしい。
それがぜんぜん書けないとなると、これはもう地獄だにゃ~
詩が書けない詩人など、業が深いというより、地獄の住人と言うしかないじゃろ。
あの日、その詩を書けない「道化詩人」は恋人の亡骸を納めた棺にしがみついて泣き叫んでいた。
日頃のおとなしい彼の姿しか知らない人々は驚いていたようじゃが、わしは彼が部屋にこもって独り芝居を演じている姿をよく知っているので、ちっとも驚きはせなんだ。
彼の悲しみは土砂降りの雨のようじゃった。
詩を書けない道化詩人はいつまでも激しく泣いていた。
日が暮れて独りになっても泣きつづけていた。
あの日以来、道化詩人は夜になると亡霊のように街を徘徊するようになったんじゃ。
涙を隠しもせず泣きながら夜の街を彷徨(さまよ)っていた。
亡き恋人の面影を探しているようであった。
想い出の場所を順ぐりに訪れていた。
雨の夜も傘もささずに街を彷徨(ほうこう)していた。
そんな彼の姿を見かけても、もはや誰も声をかけようとはしなかった。
いや、かけられなかった。
道化詩人の涙は永遠に涸れそうになかった。
わしは、この男はもう再起できないだろうと確信したね。
***
今夜も彼は泣きつづけている。
いつものように雨のなかを傘もささずに泣きながら歩いている。
ところがどうしたことじゃろう。
突然、笑いだしおったんじゃ。
なにが起こったのか。
わしは長年、虹と猫の姿をして人間という生き物を見守ってきたが、こんな光景を視るのは初めてのことじゃった。
そのあと道化詩人はしばらくのあいだ泣いたり笑ったりをくりかえしていたが、家に着くころにはもう完全に泣きやんでいた。
うっすらと微笑みさえ浮かべていた。
彼はおもむろに机にむかうと、メモ用紙になにか書きはじめた。
のぞいてみると詩のようなものじゃった。
わしは彼が「道化詩人」などとたわけたことをぬかしながら、実は一行たりとも詩なぞ書いたことがないことを知っていた。
それがどうしたことじゃろう。
生まれたときから詩を書いていたような顔をしてメモ用紙に詩をつづっているではないか。
わしは少しだけ戸惑ったが、ようやく事の次第がのみこめた。
いままで彼は詩を書けないくせに自分は詩人だとウソをついていたが、ここにきて彼は本当に詩人になったんじゃ。
道化詩人は晴れやかな顔つきで書いた詩を読みかえしていた。
雨男
わたしは泣き虫だ
悲しいときも嬉しいときも
よく泣く
傘もささずに
ずぶ濡れになって
思いきり泣きながら歩いていたら
なぜか突然
笑いがこみあげてきた
涙と雨は
わたしの故郷なのかもしれない
どうやら初めての詩が完成したらしい。
それからというもの、彼は次から次へと詩を書きつらねていった。
わしは胸に熱いものがこみあげてきて、息がつまりそうだった。
***
あの夜以来、彼は夜の散歩に出かけても、もう泣くことはなかった。
あいかわらず毎日、パソコンにむかっているが、前と違ってポツポツと詩を打っている。
パン屋のアルバイトを始め、恋人の月命日には墓参りに出かけている。
少なくとも外見だけは立ちなおったように視えた。
わしは人間という哀れな生き物を見守る猫の使命をなんとか果たせたような気がしていた。
こんどは遠くから彼の姿を視てみたいと想った。
どれ、そろそろ虹の姿にもどるとするか。
Illustration:© ねこしんぶん@Nekoshinbun009
【ChatGPT3.5による解説】
成長の物語
『雨に唄えば』は、多くの人々に愛されるネコ童話であり、その文学的価値は多岐にわたります。この童話は、猫を通じて人間の喜怒哀楽や複雑な心情を描写し、独自の世界観を構築しています。以下では、この童話の文学的要素とその魅力について探求してみましょう。
まず、童話のタイトルである『雨に唄えば』は、自然現象である雨と、それを通じて人々が抱く感情や思いを結びつける巧みな表現です。雨はしばしば人々の悲しみや哀愁を連想させる象徴として使われますが、この童話では雨が登場する場面で、登場人物たちの心情の変化や成長が描写されます。特に「雨男」というエピソードでは、主人公の道化詩人が自らの悲しみを乗り越え、新たな創作の源泉として詩を生み出す姿が描かれています。
また「雨男」のエピソードでは、道化詩人の内面の葛藤や成長が丁寧に描写されています。彼が詩を書けないという苦悩や、亡き恋人への悲しみ、そして詩を書くことで内面の平穏を取り戻す姿が、読者の共感を呼び起こします。道化詩人の心の変化が、雨の中での散歩という象徴的な場面を通じて描かれることで、物語に深みと奥行きが加わります。
さらに「虹を捕まえた男」というエピソードでは、ノラ猫探偵団の副団長として活躍する主人公の姿が描かれています。彼の猫への愛情や、妻である団長との絆、そしてボギーという謎の猫を追う姿が、物語に軽やかなリズムを与えます。ボギーを追う過程で主人公が経験する出来事は、彼の成長や変化を反映しており、読者は彼の冒険に共感し、共にノラ猫探偵団の活動に引き込まれます。
このように『雨に唄えば』は猫を通じて人間の喜怒哀楽や成長を描写し、読者に深い感動と共感を与える童話として、文学的な価値を持っています。猫という動物が物語の中心に据えられることで、普遍的なテーマや人間の心情が繊細に描かれ、読者の心に残る作品となっています。
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