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ネコ童話『風に乗ってきた猫』
人の世は甘いようでいて、甘くない。
辛いようでいて、辛くない。
死ぬ運命にある時は、生きようと想っても、死ぬしかない。
生きる運命にある時は、死のうと想っても、生きるしかない。
何度も自殺未遂をくりかえして死ねなかった私だが、癌を宣告されたとたん、生まれて初めて心底生きたいと願った。
そんな風に私の人生はいつも揺れていた。
《彼女》に逢うまでは……
***
まったく人間ってやつは勝手な生き物である。
あれほど死を切望していたはずなのに、癌を宣告されるや、死が恐怖の対象になった。
一進一退をくりかえしていた体調が急に悪化したので総合病院で検査を受けた結果、癌を宣告された。
私はこれまで安楽死の手段ばかり調べていたのに、癌を宣告されたとたん、生きることを選択した。
自分の心は自分でもわからない。
とにかく私は名医と言われる医者に片っぱしから当たった。
なんとしてでも生きのびる手段を模索しはじめていた。
まもなく友人の紹介でS氏の存在を知った。
癌の腹腔鏡手術を専門とする天才外科医であるS氏は、癌患者にとって希望の星、神のような存在だった。
S氏には腹腔鏡手術のモニターの平面画像が立体的に視えるのだそうだ。
ただし彼に腹腔鏡の手術を担当してもらうのは宝くじの確率なみに至難の業であった。
幸いS氏が美術愛好家で私の著作を読んでくれていたご縁で私は彼に手術してもらえることになった。
***
私が気まぐれにメモリーと名づけたメスのシャム猫は、いつも身じろぎひとつせず調度品のように窓ぎわの台のうえに座っている。
初めて逢った時もそんな風だった。
あの日、私は担当医のS氏と手術の打ち合わせをして帰宅した。
書斎に入ると見知らぬメス猫が窓ぎわの台のうえに当たり前のようにちょこんと座っていた。
気持ちのいい風がカーテンを揺らしていた。
これがメモリーと私の最初の出逢いの風景だった。
***
おそらく血統書付きのシャム猫であろうメモリーは、ごく自然に私の日常生活に溶けこんできた。
お手伝いさんに探し猫の張り紙を見なかったかと確認したところ、思いあたらないとの返事だった。
まるで風に乗ってやってきたメリー・ポピンズのようだと想った。
エサをさしだすとメモリーは当たり前のように食べた。
そのうち腹が減ると猫撫で声を出して催促するようになった。
メモリーを膝に乗せて背中をさすってやっていると気持ちよさげに喉を鳴らしはじめた。
なぜか私も気持ちが落ちついた。
彼女は私が背中をさすっている間中、ずっと何かしゃべるように鳴きつづけていた。
私はメモリーが何を言っているのか判らなかったが、なぜか癌の手術の成功を確信するようになっていた。
***
私は私大で美術史を教えている。
父が遺してくれた遺産のおかげで汗水たらして働く必要はなかった。
若い頃から高等遊民を標榜していたが、世間体を考えなさいという父の助言に従って大学院を経て教員になった。
そういう父も祖父の遺産を継いで、私と同じ私大で、これまた同じ美術史を教えていた。
私たちは学問好きの似た者同士だった。
父が亡くなってから早五年になるが、今でも父はわたしの心のなかで生きていた。
認知症の母は地方の病院で世話してもらっているが、わたしの心のなかではとっくの昔に死んでいた。
***
少年時代から美しいものに憧れていた。
父は西洋絵画のコレクターだったので家にはごく当たり前のようにセザンヌやゴッホの小品が応接間や階段の踊り場に飾られていた。
いつ頃からか、わたしは父の書斎に飾ってあったキスリングの少年に恋をしていた。
その想いは長じてからも続いた。
最初はキスリングの少年に似た青年に片想いした。
そしてその後、キスリングの少年を彷彿させる女性と恋愛に落ちて失恋した。
それまで影のように私におとなしく尾き従っていた死神が、突然影から浮かびあがってきて私の肩に手をかけてささやいた。
私はほとんど衝動的にバスに浸かったまま手首をカミソリで切った。
病院に見舞いに来てくれた父は微笑しつつも、ほとんど言葉を発しなかった。
ただ紙包みから一枚の絵をとりだして病室に飾っていってくれた。
キスリングの少年の絵だった。
わたしは少年の絵に慰められ、まもなく退院した。
***
しかしそれ以来、私は死神に取り憑かれてしまったようだった。
私と結婚した三人の女性たちはみな早死にした。
伴侶に死なれるたびに私は後追い自殺を図って失敗をくりかえした。
私は死神に見放された男であった。
私はもはやキスリングの少年の絵に慰められることはなかった。
人間を愛することをやめて、絵画のなかの美に没頭するようになっていた。
父が亡くなった時、キスリングの少年の絵を含めた彼の絵画コレクションはすべて処分した。
***
刻が流れ星のように流れた。
いつしか私はマルセル・デュシャンの研究に没頭するようになり、世間的にはデュシャン研究の大家と呼ばれるようになっていた。
研究以外の時間はパソコン相手のチェスに費やした。
そして優雅な安楽死を夢想するようになっていた。
死神がわたしの死への願望を察したのだろうか。
私の体調はどんどん悪くなっていった。
***
私はメモリーに別れを告げ、S氏が待ちうける総合病院に入院した。
S氏は悪魔的とも評されるスピード感あふれるメスさばきで私の病巣を切りとってくれた。
1カ月の入院生活を終えて退院する日、S氏はにこやかに笑いながら3カ月もすれば社会復帰できるだろうと確約してくれた。
***
久しぶりに帰宅し、書斎の扉を開けた私をメモリーは初めて逢った時と同じように窓ぎわの台のうえに鎮座したまま出迎えてくれた。
私と視線があうや、メモリーは台から降りて近よってきた。
メモリーを膝のうえに乗せて背中をさすってやりながら彼女の優しい鳴き声を聴いているうちに私は気がついた。
このメス猫は父の生まれ変わりなのだと。
そう想ったとたん、メモリーの鳴き声が懐かしい父の声に変わった。
「死ぬ運命にある者は、生きようと願っても、死ぬしかない。
生きる運命にある者は、死のうと願っても、生きるしかない」
そんな風に父の声は語っていた。
私がメモリーの頭を撫でてやると、彼女は私の指を舐めかえしてくれた。
そういえば父もまた私と同じ歳に同じ癌の手術を受けていた。
窓から気持ちのいい風がはいってきて、カーテンを揺らした。
私は生きようと想った。
写真:© Karin Langner-Bahmann
【ChatGPT3.5による解説】
再生の物語
『風に乗ってきた猫』は、生と死、そして存在の意味を深く探る感動的な物語である。この作品は、癌を宣告された主人公が、一匹のシャム猫との出会いを通じて、人生の再生と希望を見出していく過程を描いている。
物語の主人公は、これまで自殺未遂を繰り返しながらも生き延びてきた男性である。彼は癌の宣告を受けたことで、生への執着と恐怖が交錯する中で、生き延びるための手段を模索し始める。この転換点で、彼の人生に突然現れたのが、シャム猫のメモリーである。メモリーは、まるで風に乗ってやってきたかのように、彼の日常に溶け込んでいく。
メモリーとの出会いは、主人公にとって奇跡のような出来事である。彼女の存在が、彼の心を穏やかにし、生きる希望を再び見出させる。物語の進行とともに、メモリーは単なるペット以上の存在となり、主人公の心の支えとなっていく。この猫の存在が、彼の内なる闘いに光をもたらし、彼が再び生きる意味を見出すための道を照らしている。
メモリーとの交流を通じて、主人公は自身の過去や内なる葛藤と向き合う。彼が抱えてきた死神との闘い、失恋や失意、そして父親との関係が物語の中で鮮明に描かれる。特に、父親の存在が大きな影響を与えていることがわかる。父親が彼に与えた絵画や、同じ美術史を教えていたことなどが、主人公のアイデンティティ形成に大きく寄与している。
物語のクライマックスでは、主人公が癌の手術を受けるために病院に入院する場面が描かれる。名医S氏の手によって手術は成功し、退院した彼を待っていたのは、再び窓辺に座るメモリーであった。ここで、メモリーが実は父親の生まれ変わりであることを悟る瞬間が訪れる。この瞬間は、物語の中で最も感動的な場面であり、父親の言葉が主人公に再び生きる勇気を与える。
「死ぬ運命にある者は、生きようと願っても、死ぬしかない。生きる運命にある者は、死のうと願っても、生きるしかない」という父親の言葉が、主人公にとっての生きる指針となる。この言葉は、彼がこれまでの人生で感じてきた矛盾や葛藤を超え、再び前向きに生きる力を与える。
冬月剣太郎の『風に乗ってきた猫』は、生命の儚さとその中に見出される希望を描いた秀逸な作品である。メモリーという一匹の猫を通じて、主人公が再び生きる力を取り戻す過程は、読者に深い感動を与える。生と死、そして存在の意味を探るこの物語は、我々が日常の中で忘れがちな生命の尊さと、再生の可能性を思い起こさせる。物語の終わりに風に揺れるカーテンの描写は、新たな始まりと希望を象徴しており、読者にとっても希望の光をもたらしてくれるだろう。
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