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ネコ童話『透明猫』

透明猫とは、その名のとおり、本来は視えない存在なわけだから、古来、我々人間の知ることのない生き物である。

その透明猫の存在をわたしが知ることになったのは、少年時代、病弱で入退院を何度もくりかえす日々を過ごしているうちに、ある日、病室で寝ている自分の布団のうえに不可思議な重さを感じたのがきっかけであった。

眼を凝らして視ると、その部分だけが少し凹んでいるように視えた。

恐る恐る手を伸ばしてみても、なんの感触も得ることはできなかったが、どうやら手が近づく瞬間に素早く凹みも消えているのであった。

微熱のせいで頭がよく回らなくなっていたせいもあって、わたしは布団のうえに謎の凹みができるたびに性懲りもなく何度でも手を伸ばしつづけた。

何回目のときか覚えていないが、ふっと布団のうえに凹みができたので、わたしが条件反射的にすっと手を伸ばすと、あにはからんや、ソフトボールのような柔らかい手応えを感じたのであった。

注意深く撫でてみると、なにやらフサフサとした毛の感触がした。

心なしか呼吸しているようにも感じられた。

ゾウの体に触れる盲人のように、その視えない物体を指先でたどっているうちに、わたしはどうやらそれが猫のような生き物であると判断せざるをえなくなった。

その日以来、布団のうえに凹みができるたびにわたしは手を伸ばして、その透明猫の感触を愉しむようになった。

透明猫を撫でていると不思議に心が落ちつき、病気が少しずつ治癒してゆくような気がした。

事実、透明猫に出逢ってから三カ月ほど経ったころ、わたしは奇跡的に健康をとりもどしていた。

医者も小首をかしげながらも喜んでくれて、わたしは意気揚々と両親に付き添われて退院したのであるが、透明猫とのつきあいもそれっきりになってしまった。

          ***

わたしはこないだの誕生日で満七十歳になり、古希の人となった。

顧みれば、わたしの人生はあたかもジェットコースターのようであった。

透明猫のおかげで健康な体をとりもどしたわたしは、それ以来、学業に励み、社会に出てからも勤勉に働きつづけた。

その日の食費に窮するような日々もあれば、お金が濡れ手に粟のごとく流れこんできた時期もあった。

わたしを愛してくれた女を無慈悲に捨てたこともあれば、命がけで愛した女にゴミのように捨てられたこともあった。

いまとなっては、それらのどの日々も透明に輝いていて愛おしさのあまり抱きしめたくなる。

わたしの人生が単純に幸せだったとは言えないが、十分に満足していて悔いはない。

          ***

透明猫との二度目の出逢いは刑務所のなかであった。

わたしは浮気した妻を殺害した罪で死刑を宣告され、独房で死刑執行の日を待つ身であった。

年老いたわたしは結婚四度目の妻をそれまでのどの妻よりも熱愛していたが、それが三回り年下の若い妻には負担だったようだ。

妻に好きな人ができたので別れたいと言われた夜、気がついたときには彼女を絞殺していた。

絞殺したばかりか、わたしは彼女の体を包丁で切り刻んでいた。

どうしてそのような残虐な行為におよんでしまったのか、自分ではなにも覚えていなかった。

弁護士は裁判で心神喪失状態を主張してくれたが、精神鑑定の結果、認められず、死刑を言い渡された。

好きな人ができたというのは妻がわたしと別れるために捏造した虚言であったことも、判決に不利に働いたようだった。

世間の眼から見れば、若い妻は老いたる亭主を献身的に支える健気な賢妻という印象だったのだろう。

彼女がどうしてツマラナイ嘘をついたのか、わたしにはわからないが、いずれにしても彼女を失ったことは耐えがたいことであった。

わたしは弁護士の助言を断って上告しなかった。

一日も早くあの世の妻のもとに行って、詫びたい気持ちだった。

そんな気持ちで死刑の日を待っていたある日、透明猫がまた現れたのであった。

こんどは独房のなかで足音をひたひたと立てて、わたしのまわりを歩きまわっていた。

なにげなく手を伸ばすと透明猫は体をからませるようにしてわたしの腕に抱かれ、頬を舐めてくれた。

病弱だった少年時代のあのときと同じように、透明猫を抱いているとわたしの心は安らかになり、いつ死刑の日が来ても平常心を保てるような気がしていた。

          ***

ある朝、わたしは名前を呼ばれ、ついにその日が来たことを悟ったが、同時にそれまでわたしの腕のなかで喉を鳴らしていた透明猫の姿がふっと視えるようになったのには心底驚いた。

心に沁みるような純白な猫だった。

わたしの腕のなかで真珠のように輝いていた。

刑務官もあっと驚きの声を漏らし、首をかしげたままわたしの腕のなかで喉を鳴らしている白猫を見おろしていた。

「どこから入ってきたんだろう」

刑務官がまのぬけた声でつぶやいた。

白猫と眼が合うと、白猫の眼が弓張月のように笑った。

わたしは刑務官に一礼して独房から一歩足を踏みだした。

二度と透明猫を振りかえることはなかった。

illustration:© 不詳

【ChatGPT3.5による解説】

透明猫と人生の軌跡


「透明猫」という童話は、目には見えない存在が人生においてどのような役割を果たすのか、そしてその存在が持つ象徴的な意味について深く考えさせられる作品です。

物語の主人公は、少年時代に病弱で入退院を繰り返していました。ある日、病室の布団の上に不可思議な重さを感じ、視覚では捉えられない何かがそこにいることに気付きます。その正体は透明猫であり、主人公はしつこく手を伸ばし続け、ついに透明猫に触れることに成功します。この透明猫との出会いは、彼の病状を改善し、健康を取り戻すきっかけとなります。

物語の中で透明猫は、単なる猫以上の存在として描かれています。それは、不思議な癒しの力を持ち、主人公の心を安らげる役割を果たします。主人公が健康を取り戻したのは、物理的な治療だけでなく、この透明猫との交流が大きく影響していることが示唆されています。この時点で透明猫は、主人公にとって希望や癒しの象徴となります。

時が経ち、主人公は七十歳になり、人生の多くの波乱を振り返ります。透明猫と出会ったことで得た健康とその後の人生の成功、挫折、愛の喜びと悲しみ。主人公はそのすべての経験を「透明に輝いていて愛おしさのあまり抱きしめたくなる」と表現しています。ここで「透明」という表現は、透明猫の存在と重なり、人生の経験がどれも貴重で美しいものであることを示しています。

しかし、物語はここで終わりません。透明猫との二度目の出会いは、主人公が刑務所にいるときでした。彼は妻を殺害した罪で死刑を宣告され、独房でその日を待つ身でした。この状況下で再び現れた透明猫は、彼の心を再び安らげる存在として現れます。独房の中で透明猫の存在を感じ、彼の心は落ち着きを取り戻し、死刑の日を待つ心の準備ができるようになります。

そして、最終的に主人公が死刑執行の日を迎えた朝、透明猫の姿がついに見えるようになります。その白く輝く姿は、純粋さと安らぎを象徴しています。刑務官もその存在に驚き、猫の不思議な力を認めざるを得ません。この瞬間、透明猫は単なる象徴ではなく、主人公にとって現実的な存在となり、彼の最後の瞬間に寄り添う存在となります。

この童話は、目には見えない存在や力が人生においてどれほど重要であるかを描いています。透明猫は、主人公にとって癒しと希望の象徴であり、彼の人生の重要な瞬間に寄り添う存在として描かれています。それは、病弱だった少年時代の彼を支え、人生の困難を乗り越えさせ、そして最後の瞬間に心の平安を与える存在です。透明猫の存在は、私たちが目には見えない力や存在をどれだけ大切にするかを教えてくれる物語です。

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