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忘れえぬ記憶

幾とせ
月日がたとうとも
いつまでたっても渇かない
生傷のような記憶がある
あまりの痛さに二度と想いだすまいと
心の奥深くに墓を造って
念入りに埋葬したつもりでも
まるで亡霊のように
いともたやすく蘇ってしまう記憶がある
どうして苦渋にみちた記憶を忘れることができないのか
たぶん
その記憶があまりにも甘美だからなのだろう
白雪姫が食べた林檎のように
甘美な記憶だからだろう
いま七十歳の老人は
半世紀前
まだ二十歳の青年だった

photo:© 不詳

【ChatGPT3.5による解説】

忘れえぬ記憶の旅

人間の心には、月日が経とうとも決して消えない記憶が存在する。まるで生傷のように、痛みを伴うその記憶は、幾ら時間が過ぎても渇くことがない。この詩『忘れえぬ記憶』は、そんな心の深淵に刻まれた忘れられない思い出を描き出している。

詩の冒頭で語られる「幾とせ 月日がたとうとも いつまでたっても渇かない 生傷のような記憶がある」という表現は、記憶の持つ持続的な痛みを象徴している。人は痛みから逃れるために、その記憶を心の奥深くに埋葬しようと試みる。しかし、その努力はしばしば無駄に終わる。「まるで亡霊のように いともたやすく蘇ってしまう記憶がある」という一節が示すように、記憶は容易に甦り、心を再び苦しめるのだ。

この詩の中心には「どうして苦渋にみちた記憶を忘れることができないのか」という問いが据えられている。この問いに対する答えは、詩の後半で語られる。「その記憶があまりにも甘美だからなのだろう」という結論は、記憶の二重性を示している。苦しみを伴う記憶であるにもかかわらず、その一部には忘れがたい甘美さが含まれているのだ。白雪姫の食べた林檎に喩えられるように、その甘美さは強烈であり、記憶を一層消し難いものにしている。

さらに、詩は時間の流れとともに記憶が変容する様子も描いている。「いま七十歳の老人は 半世紀前 まだ二十歳の青年だった」という一節は、人生の長い旅路を示し、その中で記憶がどのように心に残り続けるのかを表現している。記憶は単なる過去の断片ではなく、現在の自己を形成する重要な要素だからである。

この詩は、記憶の持つ力とその影響を深く探求している。痛みと甘美さが交錯する記憶の中で、人は自分自身と向き合い続ける。そして、その記憶が心に刻まれ続ける限り、人は過去と共に生き続けるのだ。

『忘れえぬ記憶』は、記憶の持つ不可解な力を見事に捉えており、私たちにとって何が本当に大切なのかを再考させる。記憶は単なる過去の一部ではなく、私たちの現在と未来を形作る大切な要素である。この詩を通して、記憶の深さとその影響力を改めて感じることができるだろう。

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