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大人のためのネコ童話『ランドセルと猫』

少年時代の想い出は猫のぬくもりのように優しい。

そして、どこか少しだけせつない……

彼は無口でおとなしい少年だったので、大人たちは彼の存在を忘れたかのようにあれこれ世間話をし、ときによってはあけすけな本音で語りあっていた。

どんな話を聴かされても、少年は顔色ひとつ変えることはなかったけれども、大人たちの無神経な会話は少年の心を少しずつ蝕(むしば)んでいた。

少年が小学校に上がる直前のころの話──

少年の父親はいつものように定時に帰ってきて、ステテコ姿でちゃぶ台の前に座って瓶ビールを飲みながら新聞を読んでいた。

食事の支度をしている母親がときおり父親に話しかけたが、いつものように父親は生返事をくりかえすだけだった。

「河原で中年の浮浪者が死んでいたんですって。餓死だったらしいんだけど、ランドセルをしょったまま死んでいたんですって」

母親はなんとかして夫の反応をひきだしたかったようだが、夫は無表情のままだった。

聴いているそぶりのまったくなかった少年の片頬がピクリと動いた。

1964年の東京オリンピックの前までは日本全体が貧しく、行き倒れの話もそれほど珍しくはなかったが、「ランドセルを背負ったままの中年男の餓死」という物珍しさが少年の興味を惹いたようだった。

少年はランドルセルを背負って小学校に通うことを愉しみにしていた。

そして両親は小学校に上がったら、ちゃんと面倒をみるならば猫を飼ってもいいと約束してくれていた。

当時は道ばたに子猫が捨てられていることも珍しくなかった。

少年はそんな子猫をひろってきては両親に叱られて子猫をもどしに行かされていた。

小学生になれば、子猫を飼うことができるのだ。

そう考えただけで少年の胸は弾んだ。

少年はランドセルをまだ手に入れていなかったが、「ランドセルを背負ったままの中年男の餓死」は彼の記憶の片隅に刻みつけられた。

入学式の前日、両親は約束どおりランドセルを買ってくれたので、彼は意気揚々とランドセルを背負って小学校に通いはじめた。

そして学校からの帰り道、可愛らしいキジトラの子猫が捨てられているのに遭遇したので、少年はさっそく両親の許可のもと子猫を飼いはじめた。

子猫のエサは少年がいつもかならず自分で食べさせていたので、子猫は彼によくなついた。

友達はなかなかできなかったが、低学年のあいだ、少年はありきたりではあるが牧歌的な小学生生活を送ることができた。

少年の人生に最初の異変が起きたのは小学四年生のときだった。

父親が勤めていた会社が倒産し、一家は父親の田舎に引っ越すことになった。

少年の猫は家にそのまま置き去りにされた。

田舎にむかう汽車のなかで少年はずっと嫌な予感に苛まれていた。

不本意な転校生である少年の嫌な予感は的中して、田舎の小学校では毎日苛められた。

そして田舎でも父親は仕事に失敗して、結局、一家は夜逃げすることになった。

それから一家で全国あちこちを渡り歩いたが、定住することはなかった。

なぜか少年は中学生になってもランドセルを後生大事にして手放すことができなかった。

それどころかランドセルを背負って通学していた。

級友たちにどんなに冷やかされても少年はランドセル通学をやめなかった。

中学を卒業して働くようになってからもランドルセルを手放せなかった。

少年は大人の世界に足を踏みいれていたが、勤め先の工場にもランドセルを背負って通勤していた。

まわりの人間からずいぶん冷やかされたが、彼は気にしなかった。

二十歳を過ぎたころ、両親が立て続けに病死してしまったので、彼はひとり暮らしを始めた。

またキジトラの子猫をひろって飼いはじめた。

猫は彼によくなついてくれたので、孤独感を感じることはなかった。

彼は幸福感には愉しい幸福感と哀しい幸福感と寂しい幸福感の三つがあると想うようになっていた。

自分がどの幸福感を味わっているのかはよくわからなかったが。

工場での日々はけして愉しいものではなかったが、その分、帰宅してから猫と遊ぶのが唯一の愉しみだった。

ある日、工場から帰ると部屋のなかで猫が血を吐いて死んでいた。

誰かに毒をもられたらしかった。

彼はアパートの裏庭に猫の死骸を埋めながら復讐を誓った。

彼の人生が狂いだしたのは、そのときからであった。

工場の同僚が怪しいとにらんだ彼は、工場で働いていて、皆が皆犯人に想えて気持ちがざわめくばかりであった。

工場からの帰り道、工場の仲間に因縁をつけられて暴力をふるわれたのがきっかけになって、彼は工場をやめた。

それから各地を転々としながら日々の糧を得ていたが、ランドセルを背負って通勤する彼はどの職場にもなじめず、猫を飼うこともできず、孤独感に苛まれて彼の心は荒んでいった。

とうとう働くのが嫌になり、家賃も払えなくなったのでアパートを追いだされ、彼は浮浪者のような生活をするようになった。

着の身着のままの生活であったが、彼はどうしてもランドセルだけは手放すことができず、鞄代わりに背負っていた。

冬が近づくと、彼はひたすら南国をめざして歩きつづけた。

ある晩、清らかなせせらぎの聴こえる川のほとりにたどりついた。

せせらぎが聴こえなければ、夜の川は流れているのか静止しているのか判断できなかった。

空腹感には慣れっこになっていたが、数日間ほとんどなにも食べていなかったので、彼は精魂尽き果てていた。

いまここで死んでも神様は許してくれるような気がしていた。

彼はランドセルを背負ったまま河原に横たわると、体から意識が空気のように漏れていった。

誰かが彼の頬をペロペロと舐めているのを感じたが、もはや彼には眼を開けてそれを確かめる力すら残されていなかった。

どこからか現れた見知らぬキジトラの猫が彼を慰めるように頬を舐めてくれていた。

その猫のおかげで彼は寂しさを感じなかった。

薄れゆく意識のなかで、いままでの人生が走馬燈のようにまわっていた。

とうとう人間の友達はできなかったけれど後悔はなかった。

夜の川のせせらぎを聴いているうちにしだいに全身がせせらぎの音に溶けこんでいくのがわかった。

彼は哀しい幸福感に包まれて息をひきとった。

画像:© 不詳

【ChatGPTによる解説】

少年時代の記憶と孤独の物語

『ランドセルと猫』は、少年時代の思い出と孤独感、そして哀しい幸福感に包まれた主人公の人生を描いた冬月剣太郎の大人向け童話です。この物語は、主人公の少年がランドセルを背負って小学校に通い始めるところから始まります。彼の人生の中で、ランドセルと猫は特別な存在であり、その存在が彼にとって唯一の安らぎとなっていました。

少年時代、彼は静かな性格で、家の中でも目立たない存在でした。しかし、彼の心の中では、大人たちの無神経な会話が少しずつ彼を蝕んでいました。そんな彼にとって、ランドセルは希望の象徴であり、猫は彼にとって唯一の心の支えでした。物語は、少年がランドセルを手に入れ、猫を飼い始めることで一瞬の幸福感を味わうも、その後の彼の人生が次第に狂い始める様子を描いています。

特に印象的なのは、父親の失業と家族の引っ越しがきっかけで、少年が猫を置き去りにせざるを得なかったことです。この出来事が彼の心に深い傷を残し、その後の人生で彼が猫を飼うことに固執する原因となります。また、彼がランドセルを手放せなかったことも、彼の中で何か大切なものを失うことへの恐れや、過去の記憶に縛られ続けた証拠といえるでしょう。

成長してもランドセルを背負い続ける彼の姿は、社会から疎外され、孤独に苛まれる様子を象徴しています。工場での孤独な生活、猫の死による復讐心、そしてその結果としての精神的な崩壊が、彼の心をさらに追い詰めていきます。彼が最終的に浮浪者となり、ランドセルを背負ったまま河原で息を引き取る姿は、過去の記憶に囚われ続けた彼の悲劇を物語っています。

物語のラストで、彼が息を引き取る瞬間に、どこからか現れたキジトラの猫が彼を慰めるように頬を舐めるシーンは、彼の孤独な人生の中で唯一の救いを感じさせます。彼は結局、人間の友達を得ることはできなかったものの、最後に哀しい幸福感に包まれて旅立つことができたのです。

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