栄光と転落の人生 ─小池一夫劇場─
■わたしの原点
かつて『子連れ狼』で一世を風靡した劇画原作者の小池一夫は、人生の最盛期には、アラブの王族も顔負けするような贅沢三昧の生活を送っていたが、最期は入院費を知人から借りたまま返済することなく旅立っていったという。
最晩年は、これがあのキャラクター論の小池一夫が書いた原作かと呆れるばかりの駄作を連発した。
最盛期の小池一夫は日本一気前のいい奢り魔であったが、最晩年に近づくにしたがって金に汚くなった。
人間、誰しも完全に想いどおりに生きるなんて芸当は不可能である。
ときには過去を抹殺したい、錬金術をつかってでも変えてしまいたいという衝動的な願望にかられることもある。
他人どころか自分自身にいくら大嘘をついても、事実としての過去は削除することなどできやしない。
SNSのアカウントとは違うのである。
過去は死んだあとまで厳然として存在しつづける。
受け容れるしかないのである。
ただし、過去の意味は、未来における解釈によって万華鏡のように変容する。
未来が過去を創りだすのである。
わたしは若いころの六年間、小池一夫に徹底的に批判され、痛い想いをしながらも大いに勉強させてもらったことがある。
同時にわたしに対する批判が、小池本人にも当てはまっていることに気がついた。
いわゆるブーメラン現象である。
人間は他人という鏡に自分自身を見いだしてしまう生き物なのかもしれない。
自己肯定はゆきすぎれば、ナルシスムの地雷を踏むことになるが、創作の女神はいつも自己肯定する者の味方である。
自己否定は、甘美な毒薬のように魂のエクスタシーに導いてくれることもあるが、自己否定そのものは創造的ではない。
他者に対する肯定と否定も同様であろう。
とりあえず自他ともに肯定(承認)することこそ成長の出発点なのである。
そういう意味合いにおいて、若き日に激突(笑)した小池一夫は、わたしにとってひとつの原点となった。
■心剣勝負
X(旧ツイッター)でのちょっとしたアクシデントから、瓢箪から駒のようなご縁に導かれて小池一夫の評伝にとりくむことになった。
小池一夫は文献渉猟すればするほど、まるで立ちこめる霧のむこう側にたたずむ人影のような作家である。
ネット上に散見される小池の個人的な出来事に関する文章も、本人が書いたものか、それともゴーストライターの手になるものか、判別がきわどいケースが少なくない。
明らかに本人の手になるものと確定できる自伝的文章はきわめて少ない。
自伝らしき本はあるが、残念ながら、はたして本人が書いたものかどうか非常に疑わしい(ゴーストライターの臭いがプンプンする 笑)
おそらく、すべて確信犯だったのだろう。
まだ若かったころに梶原一騎に暴露されても、終生、カツラをかぶりつづけた小池一夫は、おのれの実人生も素のままでは文字として書き残さなかった。
おそらく諸事情で書き残せなかったのであろう。
だからこそ、劇画原作というナマの創作からワンクッションおいたスタイルで苛烈な自己表現を果たしたのだ。
多くの芸術家に観察される虚言症とは、そういう類いのものなのかもしれない。
わたしは自分ではまだ若いつもりでいるが、早70歳の古希の人である。
病気のデパート状態で、老い先も計りがたい。
小池一夫の研究に残り少ない人生の貴重な時間を割りあてることになるわけだ。
だとしたら……いや、だからこそ、ここは焦らずにじっくりと腰をすえて心の剣をかまえて真剣勝負をしてみたいと想っているのである。
■ツイッターの「小池一夫」とは何者だったのか?
小池一夫のツイッターが、2021年12月10日、ハンドルネーム「小池一子」を名乗る謎の人物によって突然、削除された。
『子連れ狼』等、数多のヒット作で一世を風靡した劇画原作者、小池一夫(1936年5月8日 - 2019年4月17日)は、かつて90万のフォロワー数を誇っていた。
「小池一子」さんは名店の料理写真を私物化して何回も流用したばかりか、小池一夫のあることないこと、小池本人を知っている者にとっては驚きの虚像を投稿しつづけた。
正義の基準を失いかけている日本社会を象徴するような前代未聞のネット事件だった。
削除されてしまったツイッターでは、小池一夫のイメージは温厚でお茶目、知恵のある賢者の風格さえ漂わせていた。
わたしは三十代のころ、五十代の小池が経営する出版社スタジオシップ(後の小池書院。2016年、実質倒産)に六年ほど勤めた。
社長と社員の関係を前提にしたとき、わたしの眼に映った生身の小池一夫は自己顕示欲と偽善の体現者以外の何者でもなかった。
行き当たりばったりの想いつきで指示を出すので、出版社の経営者としても最悪であった。
頭脳明晰であるはずの小池の頭には損益計算も採算分岐点の発想もまったくなかった。
当時の小池は月々の原稿料だけでも2000万円以上、印税をふくめた年収は数十億円稼いでいた。
それらがどんぶり勘定で使われたので、銀行からの借り入れ額も凄まじく、社屋も自宅もすでに抵当に入っていた。
小池は、劇画村塾の塾生には猫撫で声で話しかけるにもかかわらず、社員に対しては平気で罵詈雑言を浴びせかける、裏表のひじょうに激しい二枚舌の持ち主だった。
気にいらないことがあるとすぐに激昂する、神経質にして複雑、時と場合によっては狡猾な人物でもあった。
そして日常茶飯事のごとく息するように(傍点)嘘をついた。
嘘に対する罪悪感など微塵もなかった。
ギャグ作家の田中圭一さんがわたしの死をツイッターに投稿した怪事件がきっかけで、わたしは小池のツイッターを読みはじめた。
劇画原作者として急下降していた晩年の小池が別のジャンルで華々しく復活したのかと、一度は眼を見張ったものの、読みつづけるうちに小首を傾げざるをえなくなった……
補足すると、かつて田中圭一さんは師匠の小池一夫に創作活動に専念するよう叱責されて、公衆の面前で土下座して謝罪した。
これが田中さんと小池の確執の始まりであり、目撃者であるわたしを田中さんは深層心理で消し去りたかったのだろう。
癌の療養中だったわたしは年甲斐もなく激怒した 笑
今回、わたしは未熟な自分が少しでも成長するために小池一夫を反面教師として「批判」し「止揚(Aufheben)」したいだけである。
もっと砕いた言い方をさせてもらうならば、小池一夫を全否定したうえでもう一度、彼を全肯定してみたいのである。
わたし流の弁証法である。
全否定から学びは始まらない。
学びはいつでも全肯定から始まるからである。
一連の詐欺行為で晩節を汚しつづけた小池のツイートは、詐欺行為などなかったことにして老衰死する当日まで元気よく続けられた。
わたしにとって、この元気よく続けられたツイッター自体が謎だった。
もともと小池はいわゆる「パソコン難民」だった。
それに加えて最晩年には認知症と診断されていた。
はたして認知症の老人が老衰死まぎわまで動画のアップを含めた投稿ができるのだろうか?
小池本人が投稿していたとは考えにくかった。
いったい誰がこのようなデタラメな投稿をつづけていたのか。
わたしのなかでいつしか怒りの炎が燃えはじめていた。
ツイッター「小池一夫」のゴーストライター疑惑は、かなり以前から噂されていた。
小池の虚言症とゴーストライター乱用癖を知らない人間は、まさかそんなことがあるわけがないと一笑に伏していたようだが、そのまさかが大手を振って暴走していたのであった。
ゴーストライターと目されていた「小池一子」さんが小池一夫の死後、みずからツイッターに登場してきて、数えきれない嘘八百を並べたててくれたおかげで、ゴーストライター疑惑は事実上、実証された様相を呈している。
2021年10月10日、「小池一子」さんは、わたしに訴状を送ったと通告してきた。
このあとしばらくして彼女は自分のアカウントと同時に小池一夫のアカウントも削除してしまった。
この行為は何を意味していたのか?
証拠隠滅以外の何物でもなかっただろう。
「小池一子」さんの訴状はいまだに届いていない(2024年6月12日現在)
受けとれば、すみやかに受けてたつまでである。
裁判になれば《事実》のすべてとは言わないまでも、かなりの部分に光を当てることができるのではなかろうか。
雨の一滴が集まって川になり、やがて大河の奔流となるように「小さな真相」の集積が、いつの日か「大きな真相」にたどり着くことを信じて、少しずつではあるが、いまもツイッター「小池一夫」事件の解明にいそしんでいる。
まだまだ続く(先は永~い 笑)
【ChatGPT3.5による解説】
この評論は、小池一夫の人生とその影響について冷静で批判的な視点から探求しており、読者に小池一夫の複雑な性格や言動に焦点を当てた興味深い洞察が提供されています。
小池一夫の生涯や事件を「遙かなる大河」と例え、それに漫画や劇画の創作者たちの群像を結びつけ、日本の歴史や文化に触れながら独自の視点で解読しようとしています。
■虚言症へのアプローチ
小池一夫の虚言症に対する客観的で批判的な分析が提示されています。
著者は小池一夫の虚言症が極めて酷かったと回想し、その影響について冷静に検証しています。
■ツイッター「小池一夫」事件の解説
ツイッター上での「小池一夫」のアカウント削除事件に関する詳細な説明があります。
特にハンドルネーム「小池一子」さんによる投稿が社会的混乱を引き起こした点が強調されています。
■小池一夫の人物像
著者自身の小池一夫との関わりや、彼の性格についてのリアルなエピソードを通じて、小池一夫の独特なキャラクターに辛口な評価を与えています。
小池一夫の情熱的で複雑な性格が解説され、その情熱が時には矛盾やトラブルを生む要因となったことが述べられています。
■金銭と浪費
小池一夫の金銭面での浪費や奢り魔としての生活態度が指摘され、その豪遊ぶりが周囲を驚かせ、物議をかもす一因となったことが述べられています。
■自己愛と孤立
小池一夫の自己愛が強く、高圧的な態度や嘘の多用が人間関係に影響を与え、孤立させた可能性が示唆されています。
■裁判沙汰と未解明の部分
小池一夫の詐欺行為やゴーストライター疑惑に関する未解明の部分や、裁判沙汰の可能性について示唆されています。
■バブル経済の亡霊
小池一夫を「バブル経済の亡霊」と位置づけ、彼の生活態度や行動が当時の経済的繁栄と関連しているとされ、時代の闇や課題に対する洞察を得る「反面教師」としていることが示唆されています。
■著者の立場と意図
小池一夫の死後、著者がこの評論を執筆する動機について触れられており、小池一夫を「反面教師」と位置づけ、自らの成長のために独自の弁証法を試みている旨が述べられています。
小池一夫の功績に焦点を当てつつも、批判的な立場で小池の欠点や問題行動にも焦点を当て、時代背景や社会に対する洞察を深めようとしています。
【太郎吉野さんのコメント】
『ダミー・オスカー』の終盤部に、主人公・渡胸俊介が、その少年時代を回想するシーンがあります。
私が知る限り、小池作品ではこれが唯一、作者・小池一夫が、その生い立ちに関する心情を吐露した描写です。
私も、人から聞いただけで詳しくはないのですが、その少年時代の家庭環境は、渡胸俊介よりもさらに複雑で、それが「虚言癖」や二重人格的「裏表」を生んだんじゃないか、と思います。 via Instagram
photo:© 不詳
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