勝手に寄り添わないでください(伊勢崎おかめ)

近年、主にサービス業の広告などでよく目や耳にする言葉がある。

それは「寄り添う」である。

・お客様一人ひとりに寄り添う対応を実現するために

・お客様にそっと寄り添うサービスを

・「まごころ」を込めてお客様に寄り添う

これらは実際に広告で用いられているものである。

個人的に、この言葉に非常に違和感というか、嫌悪感を覚える。

そもそも、「寄り添う」とはどういう意味か。ネット辞書で調べてみる。

「寄り添う」(動詞)「ぴったりとそばへ寄る」「もたれかかるように、そばへ寄る」

どうやら、「物理的にくっつく」という意味のようだ。

しかし、近年、広告で使われている「寄り添う」という言葉は、物理的ではなく、「気持ちの上で近づく」というような意味合いでの使われ方ばかりしている。

では、お客様に「寄り添う」という言葉を打ち出している企業などは、具体的に客にどうしようというのだろうか。企業に質問したところで、おそらく明確な回答は得られないだろう。「よく聞く言葉だから使ってみた」「なんとなくお客様を大切にしてる感じがするから」。そういった回答が関の山のはずだ。

そもそも、サービス業であれば、わざわざそのように宣言せずとも、客を大切にし、客の意向にできるだけ沿うように動こうと「寄り添う」のは当たり前のことである。それに、こちらとしては、頼んでもいないのに赤の他人にぴったりと精神的に寄り添おうとされるのは、なんとも気持ちが悪い。

人は誰しも、他人に近づかれると不快に感じる空間「パーソナルスペース」を持っている。心にもパーソナルスペースはあるはずだ。そこへ押しつけがましく、「寄り添います!寄り添わせてください!」とずかずかと入ってくる企業の売り込み文句には、心底うんざりする。

「母と子が寄り添う」など、家族間や、よく知った間柄でなら、寄り添いあうのもいいだろう。しかし、「寄り添う」を濫用している企業などの広告主と私たちは、そういった関係にない。だから、気持ちが悪い。とは思うが、「寄り添う」に代わるような宣伝文句を思いつかない。

そして、私のまわりでは、この、企業広告で濫用されている「寄り添う」という言葉を「気持ち悪い」「不快だ」という意見を聞いたことがないというのも、私にとってはより一層不気味なのである。地球人に化けた宇宙人が、「OBEY(服従せよ)」などというメッセージを、地球人にわからぬよう植え付け洗脳するという、子供のころに見た映画『ゼイリブ』を思い出さずにはいられない。私たちはもう、「寄り添う」に支配されてしまっているのかもしれない。そんなことを考える夜である。

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