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夜切る林檎に月
当たり前のことだが、警備システムの作動している部屋に入室すると警報が鳴る。夜の11時を少し過ぎた誰もいない建物にけたたましく非常ベルが鳴り続けている。
しょぼいパソコン教室で講師をやっている。本業の後に週何日か働くパート講師だ。資格を取るような人たちはちゃんとした講師の時間に来ていて、夜遅いこのクラスは割とのんびりしている。どうしても会社でエクセルを使わなければならないような人のリクエストを訊いて、それに応えて授業する。
遅いクラスなので戸締りも仕事のうちだ。教室をチェックし、あれこれの電源を落とし、事務室を片して警備開始のボタンを押してドアを締める。しょぼいとはいえ何台ものパソコンがあるので警備会社もついているのだ。
駐車場の車が見えたところで気づいた。鍵、置いてきた。机の上。あーあ、と思いながら引き返してドアを開けて、このざまだ。
どうして人は爆音に触れるとしゃがみ込むのだろう。大きな音は思考を止める。止まった頭に赤外線のワナが浮かぶ。細い糸のようになっていて引っかかると攻撃してくるやつだ。うかつに身動きしたら殺られる。いやいやいや。違う違う。鳴り止まないベルの非難を一身に受けながらひとつひとつかみしめるように整理を始める。まず、この音を止めなければ。にじり寄ってボタンを何度か押してみたが止まらない。警備会社。警備会社に電話だ。どこかに番号が書いてあるシールが貼ってあったはず。窓から漏れこむ外灯が這いずりまわる私を照らす。そうか、強盗というのはこういうところで働いているのだな。強盗、すごいな。こんな大音量の中でも冷静で手際よく仕事をするんだ……。
ベルの音の中に他の音が混ざった。電話だ。すぐ取った。どうしましたー?と間延びした声が聞こえた。警備会社からだった。一瞬声が出なかったのは思いのほか口がからからだったからだ。すみません、一度締めたドアを開けてしまいました、と言うと、そーですかー、ベル止めますから、またボタン押して帰ってくださいねー、と返事がきた。電話が切れるとベルも鳴り止んだ。一瞬にして部屋がしんとなる。赤外線も強盗も霧のように消え去ってここはただの事務室だ。あまりにあっさり静かになってしまって、これでいいのか?と少し思った。
鍵を持って出たところで、先に電気をつければよかったことに気づいた。同時に警備会社の人に一部始終をカメラで見られていた可能性にも気づいてしまった。
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さよならのあとの道が広い
知らない間に元カレが亡くなっていた。付き合っていたのはずっと昔の話なので、何年もかかって私のところに話がきた。葬儀はとうに終わり、残された家族もそれぞれその後の生活を軌道に乗せ、誰もが昔話の一片としてしか語らなくなった頃に私は知った。知ったからといって何をするわけでもない。墓所を聞き出してまで墓参りをするほどの立場ではない。冥福を祈るには時間が経ち過ぎている。一時期同じ場所にいて色濃く交わったはずの人が、私の知らぬ間にいなくなっていた。自分を形成している時間の一部が欠けていても私は変わらず生きていたし、欠けたことを知っても変わらず生きている。
悲しむのとも悼むのとも違う。後悔でもない。なぜか腹立たしくもある。意識した途端、不在はなぜこうも重いのか。あきらめのつけどころを見失って思いは散り散りに漂う。もてあますばかりだ、泣けもしない。
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