自由律に散文(xissa)

風呂が沸くまで後悔している

初めてのスキー教室で、私は先生と途方に暮れていた。
止まれないのだ。
びしゃびしゃの雪の上をずるずるずり落ちる。ちょっとスピードが出るとおじけづく。止まれない。そして、転ぶ。足に力を入れたら止まる、と何度も言われてそのたびやってみたけれど、どうしても止まらなかった。
止まりたくなるたびに転び、長くてめんどうなスキー板をなんとかいなしながら立ち上り、結局私は最後まで止まれないまま講習を終えた。
次の日には首から下が全部痛くて布団から起き上がることも困難になった。
今ならわかる。力がはいり過ぎていたのだ。最初から全力で力んでいたのでもうそれ以上力を入れることができなかった。それで止まれなかった。
いつもそうだ。気がつくとどこかが緊張している。
リラックスを意識して肩が凝る。力を抜くと、後々別のところが筋肉痛だ。
使う力を間違える。
あれからずいぶん経つというのに、全然だめだ。
すずしい顔ばかり得意になる。
痛む背中をむりやり伸ばして、ありもしない風に吹かれている。

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ひとりのほうに歩く

七分咲きの桜の枝に、ちいさなビニール袋で泳ぐ赤い金魚がぶらさがっていた。朝日を浴びてゆらゆらしている。捨て金魚だ。
花見に浮かれて忘れて帰ったのだろう。あたりを見回すが、関係のありそうな人はいない。
誰かが落とした財布を探すおじさんが、うつむいて歩いているだけだ。
家に連れて帰ることにした。とりあえず家にあるいちばん大きいどんぶりに金魚を移して仕事に行った。夜、ガラスの金魚鉢を買って帰った。どんぶりから移し替えると、小さい金魚はとても立派に見えた。
日を追うごとに桜見物はにぎやかになり、そのうち雨が降って葉桜になった。
金魚はすっかり家に居ついた。出自はともかく、よく見るとなかなかに美人の金魚だった。背中は赤く、お腹の方は青いほどの銀色をしていた。左側の赤と銀の境目に木炭をこすったような小さい黒いもようがあった。何よりきれいだったのは身体の長さほどもある大きくて白い、透き通る尾びれだった。丸い金魚鉢の中を金魚は泳ぎ、そのたびにふわふわと白い花がひらくように尾びれは揺れた。
金魚は鳴かない。表情もない。
部屋は相変わらずしずかだった。
私は飽かず眺めていた。
金魚が泳ぐたびに聞こえる、鈴を転がすような音にひっそり耳を傾けていた。

桜の季節を2回過ごして、暑い夏の午後に金魚は死んだ。
金魚鉢は暗く、静まりかえっていた。
白い尾びれは揺らいでいたが、もう何も聞こえては来なかった。
表の花壇に金魚を埋め、金魚鉢を洗った。
責めるような夕暮れが音のない部屋に押し寄せてきた。

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