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傘さしてみなしずか
大量のキュウリをぶら下げて信号待ちをしている。交差点は人だらけだ。こんなに暑いのにこの人たちはどこから湧いて来たんだろう。みんな楽しそうだが早口すぎて何を言っているのかよくわからない。信号が長い。太陽はもうすぐ南中する。
たくさん採れたから、と出先で貰ったのだ。キュウリ。書類を渡すだけだったので帰りは手ぶらになるはずだった。貰ったスーパーの袋の中にはしょぼしょぼした黄色い花のついたキュウリが山ほど入っていた。今朝採れたばかりなのよ、と彼女は嬉しそうだった。
新しく買ったマンションのオプションで1畳くらいの畑がついていたそうだ。試しにキュウリを植えてみたらみるみる育って、自分のところだけでは消費できないくらいに実がついたらしい。毎日毎日採れるからみんなに配ってるのよ、ちょうどいい時に来てもらってよかったわ、と私の手から書類を受け取ると同時に袋を押し付けた。
映画を見てお茶でもして帰るつもりだったが、もうだめだ。この町にキュウリは似合わない。この交差点の人々の中にキュウリを持っているのなんて私のほかに絶対いない。せっかく町まで行くのだからとお洒落したワンピースもサンダルも台無しだ。採れたてキュウリの破壊力。黙っていたってすぐにバレるに決まっている。このみずみずしさ、生命力。どうだ、キュウリだぞ。赤沢デザインオカモトさんちの産地直送、採れたてのヤツが20本ばかり。オカモトさん。空気の読めない。都会に乾いた君たちにも分けてやろう。オカモトさんのキュウリ。あの無邪気な親切心にはみんな割と迷惑してるんだ。人がかたまりで動き出す。信号が変わったらしい。交差点に押し出される。前からも横からも後ろからも人がくる。キュウリが通りますキュウリが通ります。カッパか。カッパのお使いか。焼けつく極彩色の町をよれよれぺちゃぺちゃカッパがゆく。右も左もビルだらけ。このビルなりはでかいが空っぽなんだぜ知ってるか。夜になったらテナント募集のおばけが出るんだ。そうかキミはあそこのヒャッキンで働いていたのか。無職かそうかキュウリをあげよう。2リットルのペットボトルをわしづかみのサラリーマン、汗だくで営業おつかれさまです。キュウリ、あげます。つけまつげが落ちそうなおねえさんも。虫刺されの跡がひどいおねえさんも。パパ活ですか。今からウナギ?ウナギとキュウリは、あ、あれスイカでしたっけ何でしたっけ。はいはいキャッチのおにいさん。これだけ日ざらしなのにあなた色白ですよね。日傘が邪魔なおばさんも採れたてですあっあっお一人様一本ずつですどうぞ。キュウリですキュウリです。あ。オカモトさん。おつかれさまです。もらったものですがあげます。キュウリあげます。返します。
スマホが鳴る。キュウリあるからおみやげは買わない。人の波に押し流されてくるくる駅が遠ざかる。暑い。皿の水かぶりたい。スコールはまだか。
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暮れることのない長い廊下だった
担任の先生が病気で休んだ日、自習にも飽きてだらっとしてきた頃に教頭先生が来た。教頭先生は給食前の4時間目の中ほどに現れて、教科書も触らずに教壇に置いた椅子に座ってべらべらしゃべっていた。全校集会の時に姿を見るくらいの全然知らないおじさんだったのにそのフランクな話術にあっという間に心を奪われ、私たちは色めき立って先生の話を聞いた。笑い転げたまますっかり忘れてほとんど内容は覚えていない。ただひとつ、人の中にはたくさんの能力があるのにそれに気がつかないまま死んで、死んでからああオレはそうだったのか、とわかるのかもしれない、と黒板にカッパの絵を描きながら話してくれたことだけは鮮明だ。何の流れでその話になったのか、何故カッパなのかはまったく記憶にない。キザクラのカッパみたいな絵に男子は盛り上がり、先生は描いた途端にいかんいかんとすぐ消した。クラス中が笑った。みんなと一緒に笑いながら、そうか、死んでからわかるのは悔しいから今から超能力の訓練をしよう、と私は心に決めた。
超能力の訓練は何度かやってすぐ飽きた。今は特別な能力があるのに知らないまま死んだとしても、それはそれでいいような気がしている。
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