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夏日暮れて観覧車からから


前を行く車のウインカーがずっと点きっぱなしだ。ひたすら真っ直ぐな道が続く国道を走っている。右側は海、左には山が迫っている。海のそばには製糖工場や焼酎の工場や倉庫が並び、山側には崖に張り付くように家が建っている。傾斜に柱を建てて上に家を乗せている、と言った方が正しいかもしれない。その下を鉄道が通っている。一番せり出しているプレハブはよく見ると焼肉屋だ。

今は寂れてしまったが、昔この一帯はとても栄えた港町だったらしい。今でもその名残があちこちに見える。商店街の看板は日本語と英語の二段構えも多く、古い電気店などは丸々外国人向けの看板だったりする。そういう店は大概シャッターが下り、看板だけが残っていた。学生だった頃にこの商店街で短いアルバイトをしたことがある。看板にNO TAXと書いてあるレコード店だった。夏祭りの日に店先で空のビデオテープを売った。そのころの商店街はまだなんとか健在で、祭りの日には人通りも多く賑わっていた。通路に金魚すくいやわたあめの出店が並び、商店街の人たちのパレードや神輿が流れていった。いくら安くても祭りの日に3個セットのビデオテープなど売れるわけもなく、それを咎められることもなく、何もかもがのんびりしたものだった。花火が始まるから早く上がりなさいよ、と店主は早々に店を閉め、ほとんど何もしないままアルバイトは終わった。
友達もいなかったし、華やかな浴衣の人々が行き交う祭りに参加する気もしなくて、そのまま帰ろうと駅に向かった。商店街の賑わいを抜けるとすぐにどん、と大きな音が聞こえた。海の上で花火が上がった。人混みの中で足を止めて見入った。いくつもいくつも大きく打ち上がってはきらきらと、花火は海の中に沈んでいった。

渋滞が始まったらしく急に流れが悪くなった。前の車のウインカーはまだ左を指している。もう商店街にあのレコード屋はないし、今年は夏祭りも花火大会もないと聞いた。対向車のライトが点いた。ラジオのナイター中継も始まった。車の列は夕日の方向に少しずつ動いている。

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蚊の羽音執拗に追う


矯正しなければ何も見えない強度近視だ。普段はコンタクトレンズを付けた上からさらに眼鏡を使う。今は裸眼で眼科の椅子に座っている。

年に一度のコンタクトレンズの検査で眼科に来ている。ピンク色のユニフォームの丁寧な看護士が私のコンタクトを持ったままどこかへ行ってしまい、ほったらかされてしばらく経つ。目に映るものの輪郭は全て滲んでとても心もとない。待合室に雑誌はあるが読む気もしなかった。遠い目をするのにも飽き、持っていたスマホのカメラを立ち上げて顔に近づけてみた。画面には今の私に見えないものが事細かに映っていた。ピンチアウトすればポスターの文字も読める。見えるのはうれしい。私の目はいつも何かにすがりたいのだ。ふと思い立って小さな鏡をバッグから取り出してみた。待合室を映して覗き込んだが、鏡に映り込んだ景色は裸眼の光景と同じように滲んだものだった。

待ち時間が長すぎる。なんでコンタクト持ってっちゃったんだろう。視界がぼんやりすると頭もぼんやりする。鏡に映った自分の目を至近距離で眺めていたら向こうの白い壁側に何か動くものが見えた。見えた、というか、何かがふらふらと動いたような気がした。見えない目を凝らす。何一つまともに見えていないが、動くものはなぜかわかる。しばらくするとまた壁の前をふわり、と小さな黒い点が動いた。3Dアートを眺めるような顔で空間を見つめる。見ようとすればするほどこういうものが見えなくなるのは知っている。あれは間違いなく虫だ。飛び方の感じからすると蚊かもしれない。息をこらし、知らん顔をしながら神経を張りめぐらせた。

虫はなかなか浮上しなかった。もしかしたらそばまで来ているんじゃないだろうか。気になりだすと止まらない。足をばたばたさせてみた。軽く腕を振って空気をかき回した。蚊は浮き上がらない。サノさぁんと看護師の声が聞こえて我に返った。蚊への警戒は緩めないまま、すり足で診察室に移動する。

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