言いたい事を我慢する(ボーフラ)

小説ではなくて、エッセイを今日は書こうと思う。

僕は本来、とても内向的な性格なので、言いたい事が言えないで苦しむ事が多い。その場では笑って過ごしたり、聞き流している振りをしているが、心の奥で傷付いている。

中学生の時、ある同級生の女に、お前の服装は常軌を逸してとんでもなくダサい、と言われた。その時、僕は、茶色がかったネルシャツを着ていた。茶色のチェックのネルシャツだった。薄い茶色だ。ポップな茶色ではない。

今から思えば、その同級生の女もオシャレじゃなかったし、成績も良い子ではなかった。僕があまりにも言い返さないから、特殊学級に入るべきアホな子が普通学級に通っていたのだが、その子に、僕が生徒代表で壇上に上がった時の、壇上への上がり方を真似された事もあった。屈辱を感じた。

そういう悔しい思いをしてきたから、頑張れた部分もあるが、あまりに人は傷付くと、立ち直る気を失くしてしまう。傷付きやすくなって、過剰反応してしまうようになってしまう。

でも、僕は、もし、これまで傷付いていなかったら、小説なんて書こうと思わなかっただろう。筒井康隆先生の、小説内の述懐だったか、筒井さんが学生の頃、父親が筒井さんの書いていた原稿を見つけて、「はん」と言った。そして憐れむように笑って、原稿をひらり、ひらりと落としたという(僕の記憶による)。筒井さんは、その「はん」を何度も反芻しただろう。よく気持ちがわかる。

誰も傷付かない世界は望んではいないが、せめて、ひどい事を言われた時に、何か言い返せる力が欲しい。文脈にもよるが、キモイとかダサイとか言われると傷付く事もある。茶色のネルシャツの記憶が蘇ってしまう。僕はまだ、まがりなりにも、傷付いたら小説を書く事ができる。まがりなりにもだが。たったひとりでも、傷付いた人が、自分の傷を忘れて、笑い飛ばせるような、そんな小説が一度でも書けたら良いな、と思う。

「文芸ヌー」で、僕が一番気に入っている自分の作品は、「文学に夢中作左衛門」だ。これは僕の今まで書いた小説のベストでもあって、これを超える読切中編のイメージがないので、ここのところは、思い付きのような短編小説を書いている。


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