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朗読劇「痴人の愛」ありがとうございました!

構想というか・・・思いつきは昨年末から

撮影は3月末からという、初めての長いスパンでの準備で迎えたイベントでした!

といっても、8割は寺田御子ちゃんにおんぶに抱っこ状態でした!!!

改めて振り返って、御子ちゃんの才能なくして今回のイベントは成立しなかったなぁ・・・としみじみ感謝が永久機関のように湧きおこっています。

痴人の愛は「悪女三部作」と呼ばれる中の一冊でして、色んな監督さんがそれぞれのナオミ像を描き出してきました。

1949年 監督:木村恵吾

1960年 監督:木村恵吾

1967年 監督:増村保造

1980年 監督:高林陽一

と、今まで全て男性視点で映し出されてきたナオミを「女」である寺田御子が映し出したらどうなるんだろう?という好奇心が、昨今のオンラインの普及に後押しされ

「朗読の映像を撮影してもらえないか?」とお願いすることが出来ました。

悪女といい女は私の中では=で結ばれるくらい近しい存在でして

そんな「いい女」を私がやるのは荷が重い。勇気が出ない。でも文豪ストレイドッグスで谷崎ナオミちゃんと出会わせて頂いたご縁を朗読作品として成就させたい!

という思春期の自己顕示欲と承認欲求と至らない自分の実力との地獄のような三つ巴に「寺田御子」という救いにたどり着いたのです。

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(↑ARUHIちゃんが照れてしまった結果、悲しい写真みたいになった。笑)

イベントが終わった後に映像制作をお願いしたピアプレの2人と(御子ちゃんとOtoくん)ARUHIちゃんとお話をしたのですが

上記3人の作品への理解や考察が凄すぎて、私が一番ノリで痴人の愛に向き合っていたなぁと反省しました。

クリエイターとパフォーマーの超えられない壁といいますか、私は自分の事しか考えられないので「やっぱり違うなぁ~!」と今回のイベントを支えてくださったこと、出会えた幸運、胸を張れるような作品を世に送り出せた幸せを嚙み締めた夜になりました。

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谷崎ナオミちゃんを務めさせていただいているのもあり、私はナオミ肯定派なのですが(笑)

ナオミをどう捉えるか、ナオミの今後の予想の仕方でその人の恋愛観や今までの人生がどうだったか分かるよね。なんて話をしていました。

私はこの「痴人の愛」は崇高な愛の物語だと思っていて、愛の形はそれぞれだし世間が何と言おうがお互いに納得していたらそれが正解。

2人だけの法律を貫き通す孤高の戦いが愛の証明なのだと思って今回の朗読に挑みました。

今回のアプローチとしてはフェティッシュ全振りでしたが、私なりの愛を証明しよう。伝えよう。と思って言葉を紡ぎました。

御子ちゃんと私というフィルターを通って浮かび上がった今回のナオミ像、皆さんにはどのように見えましたでしょうか???

私の朗読と通じて「痴人の愛ってロリコンの気持ち悪い話でしょ?」という平面的な見方が少しでも立体的になっていたら嬉しい。

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(客席に放り投げた髪留めはちゃんと連れて帰っていただけたのだらうか・・・?)

対談中にご来場いただいた皆様の事を「理性があるから二足歩行している豚」だの「ドМの紳士」だの形容してしまいましたが・・・プレイ中のリップサービスだと思って笑って許してね♡笑笑笑

こんなご時世なのに会場までご来場いただいた皆様

オンラインでご覧いただいた皆様

(Twitterでいつも遠方からいらっしゃる方がオンラインで見てくださっていたのを知りうれし涙)

本当にありがとうございました!

綺麗ごとではなく、本当に皆様がいらっしゃらないとイベントは成立しません。作品の最後のパーツです。

そして、皆さんに「届けたい!」という想いが私の全ての原動力です。

お金はかかるし、準備は大変だし、販売数という目に見える数字からくるプレッシャーとの闘いだしイベント前までは「もう今回が最後だ。二度とやらない」と胃薬を飲みながら日々を過ごしているのですが

イベント当日、大好きな作品を表現できる快感、それを大好きな皆さんと共有できる幸せ、伝えたいものが届いたという達成感に脳みそがやられて

「次はこんなのやりたいな!」と再び自分の首を自分で絞めだしてしまうのです。

なので皆さんが居なかったら表現したい欲も生まれないし、頑張れない。

皆さんに届けたいとい想いが大げさではなく私の人生の生きる目的の1つなのです。

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私事ですが、私は「理解してほしい」という欲がある側面から見ると少ないです。

例えば誤解をうけたとき

例えば仲違いしたとき

例えばSNSなどで嘘が事実の様に語られているとき

悲しいなぁ。とは思うけれど「違います!」と訂正の文をSNSに載せないし

「あなたはそう言うけど、本当の私はこうだよ」などと相手に説明をしません。

私の感情は私だけのものであるから説明したところで「本当の意味」で理解されないし、どんな言葉で彩っても「私が求める形」で共有も出来ないと思っています。

だって他人だもの。あなたは私じゃない。

ある人が「小見川さんってこうだよね」と思ってしまったら、私の事実とは違ってもある人の中ではそうなってしまっているのだからもう無理だな、と。

何を言ったところで言い訳にしか聞こえないんだろうな。と早々に諦めてしまいます。

(それは他人と向き合う事を放棄して傷つくことから逃げている行為だと理解はしている。)

だけど「理解してほしい」気持ちがないわけではないので、私は伝えられなかった様々な想いを表現を媒介して昇華しているのかもしれません。


話が逸れてしまいました!

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今回の「ドキッ♡女だらけの痴人の愛」で何か感情が動いてくれたら

それが私の幸福なのです。

世間の需要と逆行している私の活動ですが、これからも見捨てずに一緒に歩いてきてくださると嬉しいです。


改めて本当にありがとうございました!!!!

アーカイブが見れます!宜しければ引き続きよろしくお願いいたします!

オンラインチケット特典も楽しみにしていてくださいませね🐇💕


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